ばばあもどきの日常と非日常 その10「〇〇だったら殺していい」〜映画「福田村事件」のネタバレありの感想〜

こんにちは。
“ばばあもどき”のルル山ルル子(ルル)です。
女の容れ物(身体)に男の魂が宿っています。
「トランスジェンダー」とか「FTM」とかの呼称がどうもしっくり来ず、
普段は「見た目は女 中身はおっさん」と自己紹介をしています。

今回は、最近観て頭から離れない映画「福田村事件」のネタバレありの感想を書きたいと思います。

関東大震災の時に、混乱に乗じて
「朝鮮人が井戸に毒を入れているぞ」とか
「朝鮮人がそこら中で女子供を襲っているぞ」という流言飛語が飛び交い、
それを信じた人々によって朝鮮人の大量虐殺が行われた、ということを私は子供の頃から知っていました。
そしてそれは許し難いことだと思っていました。
あと、「井戸に毒を投げ込んだら朝鮮人はどうやって水分補給するってんだよ⁉︎  ちょっと考えれば出鱈目なのが分かるはずなのに」とも思っていました。

今年は事件から100年目ということでこの朝鮮人虐殺事件のことがあちこちで取り上げられていて、
私は、応援している世田谷区の区議会議員さんのツイートによってこの映画の存在を知り
絶対観ようと思っていたのです。

地震がなかなか起きない


映画「福田村事件」では、前半で人間模様がものすごく丁寧に描かれています。

香川を出発した薬の行商人の一行が千葉県の福田村に向かいます。
ストーリーの予備知識が殆どないまま観たので知らなかったのですが、
この行商人たちは被差別部落の出身者でした。
私は、部落解放闘争の歴史に興味があり、ずっと学んでみたいと思っていて
いよいよこの秋くらいから本を読み始めようと思っていたところだったので、
そのタイムリーさに驚きました。
香川県と千葉県で、最初は約600kmも離れているのですが、その行商人たちがだんだんと東に、つまり運命の福田村に向かって来ます。
15人の一行の人間関係も丁寧に描かれていて、
いつしか自分も彼らと一緒に旅をしているような気持ちになり、自然と感情移入させられます。
話が少し先走ってしまいますが、ここで丁寧に一人一人のことが描かれていたせいで、
後に彼らが虐殺された時、「9人もの人が殺された」というだけではなく、「本が好きだったインテリの〇〇も殺された」「子供が生まれるのを心待ちにしていた〇〇も殺された」「〇〇の子供達まで殺された」と、「抹殺された命の重み」がひしひしと伝わってくることになるのです。

一方、千葉県の福田村では主人公夫妻が暮らし、村の人々が暮らし、新聞記者もいて村役場の人々もいて、様々な思惑が交錯しています。
主人公夫妻と、冒頭でたまたま汽車に乗り合わせていた戦争未亡人(「未亡人」という言葉は女性差別の意味合いがあるので普段は使わないようにしていますが、この時代に鑑みて敢えてこの言葉を使います)、そして村で渡し船の船頭をしているその情夫の4人が織りなす人間模様と心理描写が、
見ていて息苦しくなるほどです。

それは良いのだけれど、私は不謹慎にもこう思いました:
「ねえ、地震、まだー?」
驚くことに、そう思って1分もしないうちに地震が起きました。
きっと、観ていた人の中で、私と同じタイミングで「地震、まだー?」って思ったのは私だけではないと思うのです。
そうした狙い澄ましたようなタイミングで大地震が発生します。
そこからは一気に畳み掛けるように事態が転がり出します。
福田村で虐殺が行われたのは大地震の発生から5日後のことなのですが、その5日間で村に緊張が漲っていく様子の描写がすごかったです。
まるで巨大な波が来る前に海面が平らなままどんどん高まっていくのを見ているかのような緊迫感でした。

「この人たちは日本人です!」


地震の直後から、流言飛語が飛び交い、自警団が組織され、一般人が竹槍を手にし、どさくさに紛れてアカ(ここではプロレタリア演劇をやっている平澤という男)が連行されて人知れず処刑されます。
そしていよいよ15人の一行のうちの9人の行商人が村人たちによって虐殺されます。
村の女衆のひとりは、東京に出稼ぎに行っている夫が朝鮮人にやられてしまったと信じ込んでいて、
朝鮮人を仇のように思っています。
また、村の男連中も、俺たちの村を俺たちが守らないでどうする、と血を滾らせています。
そんなところに香川からの行商人がやって来るのです。
今のようにテレビなどない時代のことですから、四国の方言が千葉の人々には奇異に聞こえてしまいます。

「こいつら、鮮人だ」

誰かが発したその言葉で自警団のメンバーたちも女たちもどんどんボルテージが上がっていきます。
一方、行商人が本物の日本人であることをたまたま知っている主人公の妻は、彼らを庇うために何とかして彼らが日本人であることを立証しようとします。
村人の中にも「ホントにあの人たちが日本人だったらどうすんだよ! おめえら、日本人殺すことになんだぞ!」と言って、熱り立つ自警団を宥める者もいます。
それを聞いてみんなが流石にちょっと冷静になりかけたその時、
行商人のリーダーが言うのです:
「鮮人だったら殺してええんか」

恐らく彼らがただの日本人なら、「この人たちは日本人です」という言葉を渡りに船とばかりに「そうだ、俺たちは日本人だ」と言って難を逃れていたのかも知れません。
しかし、エタと呼ばれて蔑まれ、長年の差別を受け続けてきた彼は、どうしてもそう問わずにいられなかったのだと思うのです。

「〇〇だったら殺していい」 あなたはこの〇〇にどんな言葉を入れますか?


これを読んでくださっているあなただったら
この「〇〇」にどんな言葉を入れますか?
どんな状況下なら、どんな条件なら、誰に言われれば、どんな人であれば、殺して良いと思えますか?
逆に、どんな状況下でも、どんな条件でも、誰に言われたとしても、どんな相手であったとしても、絶対に殺さない、殺してはいけない、と言い切れますか?

例えば絶対にバレないなら、
例えば相手を殺さなければ自分が殺されるとしたら、
例えば自分の尊厳を踏み躙られたとしたら、
例えば大事な人を人質に取られていたとしたら、
例えば大事な人の仇だったら、
例えばその場の自分以外の全員が手を下していたら、
例えば……

そんなことを、観終わった後 何日も何日も考えさせられる映画でした。
完全な悪人も完全な正義の味方も出て来なくて
(強いて言えば社会主義者と若い新聞記者だけは最後まで信念を貫こうとしていたけれど)、
みんな中途半端に良いところもずるいところもある生々しくて人間臭い人たちでした。

私は、いずれ書くとは思いますが所謂“アカ”なので、登場人物の中では平澤という社会主義者に一番肩入れして観ていました。
一緒に観に行った友人と感想を話し合っていた時、私が
「私なんか“アカ”だから真っ先に殺されてそう」と言うと、友人は
「私はあの空気の中で殺しちゃダメって言えないかも知れない」というようなことを言っていて
一緒に観に行った友人とですら、想像の中とはいえ違う立場に拠って観ていたことが興味深かったです。
勿論、どちらが良いとか悪いとかではありませんし、
私も実際その場にいて「あんたの旦那、鮮人に襲われてたよ」なんて聞かされようもんなら、
すんなり信じ込んで手当たり次第に朝鮮人と思しき人に殴り掛かっていたかも知れません。

映画を観てから半月近くが過ぎましたが、どうしてももう一度観たくてたまりません。
というのも、パンフレット(1,500円もするけれど絶対に買う価値あり)に脚本が載っていて、それを読みながらストーリーを振り返ると
「ああ、これが伏線になっているのかな」とか
「こいつ、このシーンでどんな顔してたんだっけ」とか、
昭和のVHSビデオでいうところの「ちょっと巻き戻して」観てみたいシーンがたくさんあるからなのです。
凄惨な殺戮のシーンが多く、笑うところも全くないし、観た後も重苦しい気持ちが消えない作品なのですが、
それでも、どうしてももう一度観たいと思わせるこの「福田村事件」という作品は、
「啓蒙」とか「啓発」とかそういうものを超えて、“エンタテインメント”としての完成度がものすごく高いんじゃないだろうかと感じています。
「面白おかしい」という意味でのエンタテインメント性ではなく、観た者の心に深く刺さっていつまでも消えない、という意味での。

「福田村事件」は、間違いなく私の2023年のNo.1映画となりました。
……でも、よく考えたら私、今年、劇場で映画を観たの今のところ「福田村事件」だけかも?

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