ばばあもどきの日常と非日常 その25「講演会〜誰も自殺に追い込まれることのない社会の実現をめざして〜の感想 その②」

前回までのあらすじ

私の最初の母親は、自殺に憧れを抱いており
あの手この手で娘(本当は息子)である私が自殺をするように仕向けていました。
そんな私が自殺対策の講演会に行きました。

「君は犯罪被害者だからね」

大人になってから通っていた精神科のクリニックでこの話をしたら、主治医に
「いいかい、君の母親のしたことは自殺教唆だよ。自殺教唆は犯罪だよ。君は犯罪被害者だからね。そのつもりで今後も治療を受けてください」と言われました。
親の果たせなかった夢を……と子供に無理矢理 野球をやらせても(子供からしたらいい迷惑だったとしても)、犯罪ではないでしょう。
でも、自殺教唆は犯罪だったのです。
だから死にきれなかったことを私はそんなに恥じる必要はないはずなのです。

でも、子供の頃に見た、元の母親がノートに書いていた言葉が今でも私の心から消えません。
細かい文言は覚えていないのですが、内容は
「自殺をする人は心が弱い人だというけれど、それは違う。
日々を無為に生きている心弱き人の何と多いことか。
自ら断を下す人こそが本当の強い心をもっている」とかなんとか。

男として強くありたいと常に思っているのに、
容れ物は女だし、刺せないし飛び込めないし、
私はなんて弱いのだろう、と長年 恥じながら生き延びてきました。

「自殺をする人は心が弱い」?

講演の中で、「昔は『自殺をする人は心が弱い人だ』とか『勝手に死んだんだ』とか言われていたけれど、最近になってそれは違うと言われるようになった」「自殺は選択された死ではなくて追い込まれた末の死だ」という内容のことが言われていました。
そういえば最近、以前と比べると確かに「心が弱いから死んだんだ」という論調を聞かなくなりました。
寧ろSNSなどで自殺に追い込んだ側を特定して叩いたりすることの方が多い気がします。
講演の中では「自殺対策の歴史」についても語られていて、それを知ったら
「自殺をする人は心が弱い」「勝手に死んだんだ」という論調は“時代の流れと共にいつの間にか説として廃れた”訳では決してなく、自殺対策に携わって来た方々の大きな、そして長きにわたる努力の賜物であるに違いないと思いました。

「個人の問題」か「社会の問題」か

とはいえ、私は元々(元の母親の影響で)「自殺をする人は心が弱い」とはさらさら思っていなくて、寧ろ「自ら断を下す強さを持った人」として尊敬と憧れを持っていた訳です。
私はこうしたことを、ずっと「個人の問題」、或いは「私と元の母親との問題」だと思ってきました。
それでも、講演が進むにつれて「私の『死』(まだ死んでないけど)は、もしかしたら“個人の問題”にとどまらない“何か”があるのではないか」と感じました。
というより、その“何か”を探し当てないと自分は救われる資格がないと思ったのかも知れません。

他の人の事なら、いくらでも見付けられるんです、その“何か”を。
想像でしかないかも知れないけど、その一つだけではないかも知れないけど、
「いじめ」とか「借金苦」とかはその最たる例だし、
例えば受験に立て続けに失敗して……というのが理由だったら、そもそも学歴偏重の社会の側に問題があるんじゃないのか、とか。

一方 私は、ただ小さい頃からずっと元の母親に自殺を強要されていて……

えっ? 「強要されていて」?

私の「死」は私が選び取ったものだと思い込んでいたけれど、もしかしたら元の母親によって追い込まれたものだったのかも知れません。
「自殺をする人は心が弱い」のアンチテーゼは、「自殺をする人こそ心が強い」ではなく「追い込んだ存在(個人であれ集団であれ社会であれ)がいる」ということなのです。
そして、もし元の母親が言うように「自ら断を下す」ことこそが「強さ」だというのなら
「生き抜くと決断すること」もまた「強さ」なのではないかと思いました。
どちらが強いとか弱いとか比べる必要も別になくて。

ケムリのように≒空気に溶けて

講演の中では「自殺を考える人たちのリアル」として3人の例が語られていました。
これは、「実在の匿名の〇〇さん」ではなくて様々な事例から抽出した3人とのことですが、
自分と重なるところのある人もない人も身につまされることばかりで胸が潰れそうな気持ちになりました。
特に紹介されていた「ケムリのように消えたい」という誰かの言葉ーーこれって私が常々思っている「空気に溶けて無くなってしまいたい」という気持ちとそっくりじゃないかと思って、どこの誰とも知らぬその人の手を握りたいような気持ちになりました。

そしてその後、それぞれの人について
「教員に相談できていれば……」
「役所で手厚い相談ができていれば……」
「もっと早く障がい(資料原文ママ)について相談できていれば……」
「家族の勉強会があれば……」
「児童相談所に保護されていれば……」
などのことが言われていました。

私だったら……? と嫌でも考えざるを得ません。
「元の母親が私の“ダメさ”を『自分の恥』と思わずにもっとざっくばらんに周りに相談できていたら……」
「『身体の性別と中身の性別が違うことなんて大して珍しくもないよ』というのがもっと90年代から一般的に知られていたら……」
「学校の先生からひどいことを言われたり暴力を受けたりした時に相談する場があるということが田舎の子供にもきちんと周知されていたら……」
「虐待に気付いている近所の人が立場のある私の親に遠慮することなく通報してくれていたら……」

こうして改めて考えると、私の「死」も個人的な問題に見えて社会の問題と言えなくもないような気がしてくるのです。

天啓のように

講演会から帰って来て、余韻を噛み締めつつ色々と我が身を振り返っていた私ですが、2週間ほど過ぎた頃に突然、天啓のようにある考えが頭の中に降りて来ました。
私はこれまで、「死ねなかった自分(=弱い自分)」に痛烈な否定感を持っていて、生き永らえるならばせめて「頑張って人並みにちゃんと生きなきゃ」と思っていました。
それは、元の母親が常に
「人生は辛いし苦しいのよ。でもそれは“生まれて来てしまったという罪”に対する“懲役”みたいなものだから辛くて当然。苦しくて当たり前。文句言わないで。
それが嫌ならいつでも……」
と私に言い続けてきたことと関係があると思っています。
けれども、不意に「死なない」ことと「頑張る」ことに関連性はなくても良いんじゃないか、という考えが降って来たのです。
私は今、頑張りたいことがあるから頑張っています。
それは、自分の叶えたい夢があったり、やりたいことがあったり、応援したい人たちがいたりするからです。
「私が頑張りたいことを、頑張りたいように、頑張れる分よりちょっとだけ多く頑張る」のは、決して生きていることへの“罪滅ぼし”ではなくて、なんていうか「生きてることそのもの」なんだな、ということです。
時にはちっとも頑張れない時だってあるけれど、「そんな時もあるよね」って思っていいのかも知れない、少なくとも「頑張れない時がある」ということを「死ねないくせに」と関連付けなくてもいいのかも知れない、ということです。

まとめ

長々と書いてきましたが、来し方・行く末、様々なことを考えるきっかけをいただいた講演会でした。
聴いた直後はかなり苦しかったけれど、自分なりの「答え」のようなものが降りて来てからは前よりも晴れやかな気持ちになっています。
多分、私はこの先の人生においても「死んでしまった方がいいのに」という気持ちを抱くはあると思うのです(無いに越したことはないけれど)。
その時、この講演を聴き返して、自分の状況を客観視(決して「軽視」ではなくて)できたら良いなと思います。

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