ばばあもどきの日常と非日常 その24「講演会〜誰も自殺に追い込まれることのない社会の実現をめざして〜の感想 その①」
こんにちは。
“ばばあもどき”のルル山ルル子(ルル)です。
女の容れ物(身体)に男の魂が宿っています。
「トランスジェンダー」とか「FTM」とかの呼称がどうもしっくり来ず、 普段は「見た目は女 中身はおっさん」と自己紹介をしています。
自殺対策の講演会に行ってきた
「自殺対策支援コーディネーター」をしている友人が学習会で講演をするというので聴きに行きました。
「自殺対策支援コーディネーター」というのは、よく、著名人の自殺のニュースの後に「ひとりで悩まないでここに相談してね」っていうのが出て来るけど、そこで電話やLINEで相談を受けたり自殺のリスクの高い人を行政や支援機関に繋いだりする仕事をしている団体の職員さんだそうです。
講演を聴く「私」って……
実はこの勉強会、都内の区議さんが年に4回ある議会の後に毎回 報告会を開いていて、前半は議会でどんなことをしたかの報告、後半はゲストの方が来て学習会や講演会、というもので、
私が参加するのは今回が6回目でした。
内容はその時によって「環境問題」の時もあれば「里親」「地域猫」「武器の見本市の開催反対」などなどバラエティに富んでいて
私は参加するたびに「自分の身の回りでも小さなことから取り組んでみようかな」などと殊勝なことを思ったりするのです。
だけど、今回は違いました。
私は、これまでに2度も死のうとしたにも拘らず2度とも死に切れずに生き延びてしまった弱虫で半端者で挫折者である自分をどうしても赦すことが出来ないまま生きているからです。
いつもみたいに「勉強会に参加することを通じて、微力ながらも世の中を少しでも良くしたいなと思っている者」としてではなく、
何と言ったら良いのか……一般論でいいから、間接的にでいいから、生き延びてしまっている自分を責めなくても良いと思えるような言葉を聞きたいだけの「老いさらばえたみすぼらしい死に損ない」として会場にいました。
最初の母親だった人の果たせなかった夢を
講演会の感想を書く前に、ここで少し、私と「自殺」というものとの関わりについて触れます。
私が29歳11ヶ月の時に出奔した元母親は、自殺というものに強烈な憧れを抱いていました。
若い頃は文学少女で、武士道や自害・自決について書かれた本を読み漁り
「潔く散る」ことを理想としていたようです。
そして、20代の時に入院していた病棟で、
ある夜、手首だか頸動脈だかを剃刀で深く切って自殺を図った少女がいたとかで、
その時の光景をうっとりとした口調で何度も何度も私に語りました。
曰く「白いシーツが真っ赤に染まってね……」
曰く「もともと色白の子だったのに、運ばれて行く時の顔はもう透き通るようでね……」
憧れてはいたものの自分では果たせなかった「自殺」という“夢”を、彼女はいつしか私に託すようになっていきました。
有名俳優さんが猟銃で自殺をしたニュースが流れると「足の親指で引金をひいたんだって! あんたもやってみて!」と家にあった和裁用の曲がった物差しをライフルに見立てて練習させられたり(ルル子7歳)、
また別の俳優さんが「おやじ 涅槃でまってる」との遺書を残して自殺したと知ると「カッコいいわねぇ。あんた、“涅槃”なんて書ける? 頼むから遺書で誤字脱字なんて恥ずかしい真似はやめてよ」と言われたり(ルル子11歳)、
修学旅行で華厳の滝に行くことになると、華厳の滝に身投げして死んだ高校生の「人生不可解なり」とかいう遺書の話を延々と聞かされたり(ルル子14歳)、
悩み事があって泣いていると、風呂上がりに洗面所の着替えの横に(入る時まではなかった)安全剃刀ではない剃刀が置かれたいたり、枕元にナイフ(父の持ち物で刃の付いていない装飾用だが先端は尖ってはいる)を置かれたり(ルル子16〜17歳)、
学校の先生(妻子持ち)を好きになってしまったことで落ち込んでいると机の上に“高校の先生を好きになってしまったことから踏切に飛び込み自殺をした女子高生の手記「さよなら」”が机に置かれていたり(ルル子17歳)
「一緒に死のう」と変な粉薬(今思うと、ただの砂?)を飲まされたり(ルル子何歳だっけ)
なんかもう、「巨人の星」の星一徹・飛雄馬親子の野球をすっぽり自殺に置き換えたかと思うほど、元の母親からは「自殺のスパルタ教育」を浴びるように受けて育ってきました。
小学校2年生の図工の時間、みんなで牛乳やクッキーの空き箱を持ち寄って「まちをつくろう」という授業が行われた時、同じ班の子が作った牛乳パックのビルの高層階に「じさつよう」と書いたテラスを取り付けて先生に呼び出されました。
中学校2年生の時には担任にカンニングの疑いをかけられ無実の証明と抗議のために最初の自殺を図り、包丁で左胸を刺しました。
痛かったから先っぽの1cmしか刺せなかったけれど。
痛くて怖くて悔しくて大泣きしながらティッシュで血を拭いてそのまま泣きながら寝てしまったけれど。
2度目の時のことは、「ばばあもどきの日常と非日常 その5『差別のこと②』」に書いた通りです。
講演会を聴きに行った私というのは、こういう私でした。
「その②」に続く