ばばあもどきの日常と非日常 その11「金沢レインボープライドに参加します」

こんにちは。
“ばばあもどき”のルル山ルル子(ルル)です。
女の容れ物(身体)に男の魂が宿っています。
「トランスジェンダー」とか「FTM」とかの呼称がどうもしっくり来ず、
普段は「見た目は女 中身はおっさん」と自己紹介をしています。

さて、今日 私は、長年の夢だった「レインボープライド」のパレードに参加します。

東京でも毎年開催されているのになぜ今まで参加したことがなかったのかというと、
それは単に、コンビニ店員の私が土日になかなか休みが取れない、という事情によりました。
今回、開催場所が石川県金沢市という遠いところであるけれども、開催日が月曜日(祝日)なのです。
「行けるじゃん!」「交通費めっちゃかかるけど、仕事休まずに行けるじゃん!」という訳で、
遥々300km離れた金沢に向かっているところです。

実は今、割と緊張しています。
昨日から何に緊張しているのか分からないまま緊張していたのですが、
恐らく自分の「LGBTQ」としての立場を声高に表明したことがあまりないので
(SNSでは書いているけれど、顔出しの生身の状態で仲間内以外の人の前で、は初めてかも知れません)
そのせいだと思います。
まあ、そこはいつもの私通り「行きゃぁ何とかなる!」と思って北上中であります。

LGBTQとしての自分の立場を思う時、
特に昨今の世の中の騒がしい状況を思う時、
私の中には常に相反する二つの思いが湧き起こって来ます。
ひとつは「放っておいてほしい」で
もうひとつは「いなかったことにしないでほしい」です。
「どっちなんだよ‼︎」と突っ込まれそうですが、どっちも私の中にある思いなのです。
興味本位に色々訊かれるのは別に構わないし、よっぽど失礼な質問以外は「あくまで私の場合だけど」と前置きした上で答えられる範囲で答えますが、
最近の、LGBTQだからというだけであたかも犯罪者のような言われように接すると、鉋で削り取られるような心の削られ方をします。
誰かに迷惑をかける訳じゃないんだから放っておいてほしい、と思わずにいられません。
一方で、主にキリスト教徒を名乗る人々から、そして時にはそれ以外の人からも、「そんなのは神様がお許しにならない」だの「自然界の摂理に反している」だの「悔い改めて真っ当な道に帰って来い」だのと言われてしまうと、
「そんなことを言ったって、ここにいるものはいるんだから仕方ないじゃん! 勝手にいないことにしないでよ!」という気持ちにもなってしまうのです。
この連載の その4「差別のこと①」でも書いたように、私は小学校高学年までは(今で言う)LGBTQが差別されるような存在だとは思わずにのうのうと、いや、のびのびと生きていました。
別件でいじめに遭ったり親が虐待をする親だったりと、大変なことは多々ありましたが、少なくとも己のセクシャリティで悩むことはありませんでした。
でも、中学校に入る辺りから「本当はいけないんだよ」というような空気が立ち込め始め、
大学時代には女性を好きになったことで属していたコミュニティから追放され、30代の時には職場で暴力を振るわれ、
どんどん「いてはいけない」存在として扱われるようになりました。

転機が訪れたのは2019年、私が47歳の時のことでした。
作家の乙武洋匡さんが、noteで「ヒゲとナプキン」という小説を連載し始めたのです。
しかもなんと! 乙武さんは作家であるにも拘らず、その小説を全文無料で公開し始めたのです。
え? 何やってんのこの人⁉︎ というのが最初の感想でした。
だって、プロの作家さんなのに、こんな誰でもタダで見られるようなところに小説を書くなんて。
いいのかな、タダで読んで?
っていうかもう読んでるけど。
面白いんだけど。
なんかすごく面白いんだけど。
これって、美空ひばりが立川駅前でフツーに歌ってるようなもんじゃん?
いいのかな、こんなのタダで読んじゃって?
いや、読むけど。
続きが待ち切れないんだけど。
……そんなこんなで最終話の一つ前の話まで辿り着いた私は、主人公の義理の父親の言葉を読んで、パソコンのキーボードが水没するんじゃないかとか思うくらい泣きました。
今まで、いなかったことにされていた、いちゃいけないとされていた私に、乙武さんが「いてもいいんだよ」と言ってくれているように感じました。
そうだよね、いてもいいんだよね、だって……いるんだし。

あの時感じた、そんな思いを込めて今日のために描いた横断幕がこちら


なんか緊張しているけれど、頑張って歩いて来ようと思います。

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