ニュージーランドから消えたサツマイモが、日本のおかげで復活? その真相
ニュージーランドでたびたび聞かれるこの噂。
ヨーロッパ人がやってきてジャガイモなどが栽培されるようになり、それまで主食だったサツマイモが消えた。
しかし、日本にニュージーランドのサツマイモが保存されていることがわかり、再び作られるようになった。
果たして本当でしょうか?
その噂の真相を探ります。
1. クマラってなんだ?
日本でいうサツマイモのことを、ニュージーランドを含むポリネシアやメラネシアといった南太平洋の国や地域では、クマラ(Kumara)と呼びます。
ニュージーランドのことを紹介するブログなどで「クマラはサツマイモによく似たイモで」などと書かれていることがありますが、似ているというよりも全く同じ植物(Ipomoea batatas)です。
以下、サツマイモ=クマラとします。
また、ニュージーランドの国としての呼称もマオリ語との併記で、アオテアロア/ニュージーランドとします。
アオテアロア/ニュージーランドでは、一年を通してスーパーでクマラを買うことができます。
皮の色や実の色で何種類かにわけられます。
2. クマラの起源と伝播
クマラの原産地はメキシコからペルーにかけての熱帯アメリカで、「Ipomoea trifida(以下、トリフィダ)」という植物がクマラの元だと考えられています。
トリフィダはクマラ(Ipomoea batatas)とよく似た植物ですが、根は細くて硬く、似ても焼いても食べられない植物でした。
ちなみに、アサガオ(Ipomoea null)も近い植物で、アサガオもトリフィダもクマラも似たような花が咲きます。
およそ80万年前にクマラ(Ipomoea batatas)はトリフィダから独立した種となりました。
この時にクマラは遺伝子の変異によって根が大きくなる性質を獲得したか、そもそもトリフィダが持っていた根が大きくなる遺伝子が発現するようになったと考えられています。
さて、クマラは少なくとも5000年前には熱帯アメリカ地方で人類によって栽培されていたと考えられています。
とくにペルーのあたりでは重要な作物だったようで、過去の文明の遺跡からクマラを模した土器なども出土しています。
このクマラが世界に広まったルートは大きく分けて三つあります。
一つめは、15世紀の終わりにコロンブスが南アメリカに到達した際にヨーロッパにクマラを持ち帰り、その後アフリカ~インド~東南アジア~中国へと広まったルートです。
二つめは、16世紀にメキシコがスペインの植民地だった時代に、ハワイやグアムといった北太平洋の島々を経由してフィリピンに至ったルートです。
これら二つのルートは当時の記録もあるので確からしいと考えられています。
いずれにしても、ヒトによって広まったことに間違いはなさそうです。
そして、三つめのルートは熱帯アメリカからポリネシアの島々に伝わったルートです。
このルートでクマラがポリネシアに渡ったのは三回ほどありました。
最初は少なくとも10万年以上前で、その頃は人類は南アメリカにもポリネシアにも到達していないことから、鳥や海流などによって種子や根が運ばれたと考えられています。
※参考リンク
二回めはポリネシア人によるもので、3000年ほど前にポリネシアに到達した人類が南アメリカにも到達し、南アメリカからクマラを持ち帰ったと考えられています。
この時の人類の移動には明確記録は残っていないのですが、南米でのいくつかの言語ではクマラを「クマラ」もしくは「クーマル」と呼んでいることから、この仮説が裏付けられます。
※参考リンク
しかし、一回のクマラのポリネシアの伝播があったかかったかは今も議論が続いています。
したがって、およそ1000年前以降のマオリの人々によってアオテアロア/ニュージーランドにもクマラがもたらされたと考えられています。
これをニュージーランドにおける「第一世代」のクマラとします。
そして、三回めはヨーロッパ人によってポリネシアにクマラがやってきたことです。
1642年にエイベル・タスマンがニュージーランドに到達したことを契機として、続々とヨーロッパ人がアオテアロア/ニュージーランドへやってきます。
この時にヨーロッパ人がクマラを持ってきました。
これは「第二世代」のクマラとします。
3. マオリのクマラとヨーロッパ人のクマラ
1000年前以降にアオテアロア/ニュージーランドにやってきた第一世代のクマラは、様々な色や形の多くの種類がありました。
※参考リンク
その後、ヨーロッパや北米から第二世代のクマラがやってきます。
これらのクマラはマオリの人たちが持ってきたクマラより大きく収量も多かったことから、第一世代のクマラに置き換わって栽培されるようになりました。
現在もアオテアロア/ニュージーランドで栽培されている主要なクマラの品種である “Owairaka” “Toka Toka” “Beauregard” などはすべて第二世代のクマラです。
ちなみに、新しい品種として日本の「鳴門金時(高系14号)」、「黄金千貫」そして「Honey Sweet(おそらく安納紅)」も作られるようになっているようです。
※参考リンク
4. アオテアロア/ニュージーランドからクマラが消えた?
さて、アオテアロア/ニュージーランドにはこんな噂があります。
「ヨーロッパ人がやってきてジャガイモなどが栽培されるようになり、クマラが消えた。しかし、日本にアオテアロア/ニュージーランドのクマラが保存されていることがわかり、再び作られるようになった」
しかし、主食のひとつであった作物が栽培もできなくなるほどに減少もしくは消滅してしまうことなどあるでしょうか。
この噂を検証してみます。
日本には「ジーンバンク」という事業があります。
植物・微生物・動物といった遺伝資源を、種子や細胞やDNAの形で数十万種に渡って保存し、研究や教育、新しい品種の開発や創薬などに活かすものです。
※参考リンク
その事例の一つとして、「7) 原産国からは失われてしまった作物の復活」という話に、
「クマラは、ニュージーランドでは消失しましたが、農業生物資源ジーンバンクのサブバンクである農業研究センター(現 (独)農研機構 作物研究所、つくば市)に保存されていることが分かりました。1988 年に、マオリ族の長老が日本を訪れ、クマラの里帰りの儀式が行われ、マオリ族の伝統食「クマラ」が 20 年ぶりにニュージーランドに復活しました。」
と、クマラのことが紹介されています。
※引用元
これを受けて、SNSでも「欧州人の移住ののち食べられなくなり近代に入って絶滅してしまった」というような発信がなされたりしています。
実際に、1969年に数百種類のクマラが遺伝資源の保存のために日本に送られました。
これは、ポリネシアのクマラを研究していた、Department of Scientific & Industrial Research, Crop Research Division の D. E. Yen氏が収集していたものです。
そして、1988年に “Rekamaroa” “Hutihuti” “Taputini” という三つの品種がアオテアロア/ニュージーランドに持ち帰られました。
※参考リンク
ところが、アオテアロア/ニュージーランドのクマラの歴史を調べてみると、「クマラが消滅した」という記述はありませんでした。
また、FAO(国連食糧農業機関)の統計で1960年から2000年までのクマラの生産量をみると、クマラの生産が途絶えたことはありませんでした。
上の記述によると1988年の前後20年間でクマラの生産がなくなっていなければならないことと矛盾しています。
したがって、これは重要な文言が抜けたか勘違いによるものだと推測できます。
すなわち、『アオテアロア/ニュージーランドで栽培されなくなってしまったのは、「第一世代」のクマラで、それが日本のジーンバンクで保存されていて、マオリの人たちの手に戻った』ということでしょう。
ヨーロッパ人が持ってきた「第二世代」のクマラが主に栽培されるようになったという背景もあります。
おりしも、1975年に「ワイタンギ条約法(Treaty of Waitangi Act 1975)」が成立したことにより、マオリの人たちの文化や財産に関する関心が高まっていた時期でもあります。
「第一世代」のクマラはマオリの人たちが栽培していたものか、ヨーロッパ人が持ってきたものか、それを明確にしようという機運が高まっていたのだと推測できます。
そして、日本からアオテアロア/ニュージーランドへ帰ってきた、“Rekamaroa” “Hutihuti” “Taputini” の三種のクマラが「第一世代」なのか「第二世代」なのか、その分析がなされたようです。
※参考リンク
今のところ、この三品種は、「第一世代」のクマラだと考えられているようです。
※参考リンク
現在では、商業的な栽培はされていませんが主にマオリの人たちによって栽培されているようです。
というのも、アオテアロア/ニュージーランドの気候ではクマラはほとんど花が咲かずタネをとるのが難しいため、栽培し続けないと保存ができないためです。
この伝統品種、機会があったら食べてみたいものです。
5. まとめ
アオテアロア/ニュージーランドには、マオリの人たちが持ってきた「第一世代」とヨーロッパ人が持ってきた「第二世代」のクマラがある。
「第二世代」のクマラがやってきたことによって「第一世代」のクマラの栽培は途絶えてしまった。
「第一世代」のクマラが日本で保存されていて、アオテアロア/ニュージーランドへ帰ってきた。
この出来事もとに『アオテアロア/ニュージーランドではクマラがなくなってしまい、日本に保存されていたクマラのおかげで復活した』という勘違いが広まった。
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