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大津市への旅
1 石山寺 三井寺
滋賀の大津へ9月6日、7日出かけた。7日にピアニストのイリーナ・メジューエワさんのコンサートがびわ湖ホールで開催されるので、それを聴きにいこうということが直接のきっかけ。住んでいる埼玉からは遠いけれど、コンサートを手掛かりとして出かける機会があまりない地方へ小さな旅がしたかった。
6月9日に宮城県の名取市文化会館で行われた辻井伸行さんのコンサート聴きながら、秋保温泉や松島へ足を伸ばした小旅行が思いのほか楽しくて、またそんな機会が作れればという気持ちがあった。
JRのジパング会員になっていると鉄道料金は大幅に割引されるので、それも動機としては大きい。今までも水戸、高崎、館山へ出かけている。
館山は自宅から片道4時間ほどかかるが藤田真央さんと山田和樹さん指揮のモンテカルロフィルハーモニー管弦楽団のコンサートだったので、是非とも聴きたかった。追っかけの人たちで満杯だった。
高崎は田中彩子さんのソプラノコンサートだった。このホールで直近のアルバムを録音したとのことで、素晴らしい歌声を聴くことができた。田中さんはその歌声そのものが貴重だし、磨かれたテクニックで魅力を増したその流れの中に浸ることがなんとも気持ちが良い。
大津は石山寺(いしやまでら)や三井寺(みいでら)など1200年以上前からのお寺が残っている古(いにしえ)の街である。
京都は応仁の乱で焼け野原になってしまったので、1477年より前のものがほとんで残っていないけれど、この二つのお寺はそれ以前からの歴史を伝えている。
石山寺は750年ごろに聖武天皇の勅願により建立されたといわれる。名前の通り石の山に多くの伽藍が点在している。石が剥き出しの山肌をところどころ見せながら、多くの樹木が山全体を覆っており、トレッキングさながらにかなり急な坂を登らなければならない。そこに幾つもの伽藍が建っている。本堂や多宝塔は国宝に指定されている。屋根や建物の曲線が美しい。その姿は空間を切り裂くように思い切りが良く、迷いがないところが気持ち良い。
文学とも縁が深く、清少納言の枕草子、蜻蛉日記にもこの寺は登場する。紫式部が源氏物語の着想をここで得たともいわれる。今の大河ドラマに因んで紫式部との関わりを伝える催しもあった。この時代、女官たちがこの寺を詣でることがブームになっていたらしい。
しかし、石山寺は本格的な山に伽藍がいくつも点在する壮大な寺院であり、一つの建物から別の建物へ移動するだけでも息が切れる。普段、歩くことのほとんどなかったといわれる女官たちは、詣でることも大変だったろう。
緑が濃く茂り、その間から本堂や多宝塔を望むと清々しい立ち姿を見ることができる。
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寺院全体の佇まいは粛々としていて、観光地の雰囲気はない。入り口の門の手前にお店がいくつかあるが、訪れる人の賑わいはない。本堂など案内をしてくれる人は静かであり丁寧。
三井寺も同様に一つの山が寺院となっている。
チケット売り場で、「見どころをご紹介しましょうか」といわれる。パンフレットの絵図を指し示しながら説明してくれたところ、680年ごろに天武天皇により園城寺(おんじょうじ)として創建されたが、850年ごろ、円珍によって再興された。円珍は真言密教の開祖である空海の甥っ子。延暦寺で修行し、同じく密教系である天台寺門宗の総本山としてこの寺を復興した。
国宝である金堂の他、重要文化財である三重塔など、多くの伽藍が緑に覆われた山の中に建っている。
三井寺と言われているのは、天智、天武、持統の3人の天皇がここの湧水を産湯として使ったからだと言われている。
今でもその泉がコポコポと音を立てて湧き出している。泉が音を立てて湧いているのを実際にみた、聞いた経験はあまりない。
この寺院も静か。訪れる人も多くはなさそうで、山を登り、あるいは下りながら、緑に染まった空気を吸い、静かに古の寺院の姿を楽しむことができる。
どちらの寺院でも全く外国人観光客に会わなかった。
昼食は石山寺の門の前の鰻屋で、ビールと少しの地酒をいただきながら、香り高い鰻を楽しませてもらった。
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2 義仲寺
翌日は義仲寺を参詣。「鎌倉殿の13人」にも出てきた木曽義仲の霊をその愛人である巴御前が弔うために小さな庵を立てたのが始まり、との話だけを聞き齧って、軽い気持ちで詣でる。
確かに木曽義仲の墓がある。そこには本人が葬られている。大変風情のある墓である。その近くには巴御前の墓もある。しかし巴御前の行方は歴史上よくわからないので、これは言い伝えに従ったものと思った方が良いのか。
驚いたのは、木曽義仲の墓と並んで、松尾芭蕉の墓があったのだ。そこに本人は葬られている。
松尾芭蕉は亡くなるときに、「骸(から)は木曽塚に送るべし」と遺言したという。弟子たちはその遺言を守って、芭蕉がなくなるとその亡骸を船に乗せて川伝いにこの寺まで運んで埋葬し墓を建てたという。埋葬したその日の深夜に葬儀は行われた。
芭蕉はこの寺を愛し、ここの無名庵にたびたび滞在したという。旅をして、多くの土地を訪れ、魂の想像力がなすままに無限の世界を私たちに残してくれた松尾芭蕉が、その魂の安住の地としてここを選んでいたと思うと、ただただその墓に手を合わせるしかない。
門人の又玄(ゆうげん)の句。「木曽殿と背中合わせの寒さかな」。
小さなお堂の天井画は伊藤若冲が描いたという。覗き込んで仰ぎ見る。褪色した図柄は望洋として判然としないが、若冲と聞けば瞬きをして何度でも凝視してしまう。
池とせせらぎが全体を整えて、低木の木々や草・苔が丁寧に水を打たれて日に輝き、静か。ししおどしの音。全く申し分がない。
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3 イリーナさんコンサート
義仲寺を後にして、琵琶湖畔沿いの遊歩道をびわ湖ホールへ向けて歩く。
琵琶湖は大きな弧を描いて広がる。ヨットの帆が点々としている。ボートと水上スキーが走っている。暑いけれど湖畔からの風が気持ち良い。
イリーナ・メジューエワのコンサートではシェーンベルク生誕150周年として「6つのピアノ小品」「3つのピアノ曲」が演奏された。
シェーンベルクの曲を聴く機会はあまりないし、聴いても自分なりに捉えるとっかかりがなかった。
今回イリーナさんの演奏を聴いて、慣性の法則で走っていた体が、全く前触れなく乗っていた台車が急停車したために、前につんのめってしまうような感覚を味わった。
また鋭角的でエッジの効いた音とその断絶との対比が新鮮だった。音が切れた後の沈黙、というか空白。音と前触れない沈黙。そこに沈黙がある、あるいはそこは空白になっている、というような感覚。
この世界には前触れがあることが当たり前になっているし、五感は常にその前触れを探しているが、その当たり前の前提が否定されている。別なやり方でこの世界を認識しようとするような感じ。
このような体験は初めてだ。イリーナさんの際立ったピアノの音があったからこそ気付かされた。
シューベルト ピアノソナタ14番。ブラームス 6つの小品。
イリーナさんが考えている音楽は私が想像しているものよりもはるかに壮大なもので、それを構築するための音の広がり、音量、音の強さ、弱さ、テンポは私が今まで体感したものを凌駕している。ピアノでビブラートをかけようとさえしているようだ!
一つ一つのパーツを丁寧に作り上げることによって、その音楽が秘めていた壮大な伽藍をこの世界にヴィジョンとして実現する。それができるとの思い。
ここ数年、そのような方向を目指してきて、その形が見え始めたような感じ。
今回使用したピアノは幅広いダイナミックレンジを持つヴィンテージピアノを使用したようだ。
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