テレビとSNSの狭間にうまれて
「最近のテレビってつまらなくない?」
中学生の頃だった。世の中の一般論などは知らないが、率直に思っていたことを両親にそれとなく言ってみた。
それから我が家でテレビを観ることはほとんどなくなった。そして世の中でも「テレビは面白くなくなった」という意見が多くなった。
両親も堰を切ったように「本当につまらない」「昔は面白かったのに」「テレビは嘘ばかり」と言うようになった。私はそこまで言うつもりはなかったのだが。
テレビを消すようになり明らかに変わったことと言えば、家族との会話が著しく減ったことだ。それぞれがスマートフォンを見て、共有できるものがなくなったわけだから当たり前と言えば当たり前だ。
テレビがなくともSNSや動画サービスで満足できる。そう思っていた。SNSや動画サービスならエンタメが有り余るほどに溢れているし、自分の興味に合う内容を気が済むまで楽しみ尽くせる。
やがて短大を卒業し、就職を機に一人暮らしをすることになった。家具やちょっとした家電を買うときにテレビは必要かを考えてみたが、普段から観ることが減っていたのでいらないという結論を出した。
そして一人暮らしを始めたのだが、結論から言うと初任給で買ったのはテレビだった。
寂しかったのだ。テレビのない生活が。小学生以来何年も観ていなかったが、一人暮らしをしてみると無音の中で小さい画面を流し見している生活にとてつもない孤独感を強く感じてしまった。ただテレビをつけているだけでいい。自分の選択に捉われない、勝手に音や映像が流れていく賑やかさが欲しい。
生放送の情報番組なんかを流して、違う場所で、同じ時の中で、人々を楽しませようと頑張っている人たちを観たい。
テレビが届いて久しぶりにつけたときの安堵感は他にはなかなかない感覚だった。冷蔵庫や掃除機などは生活に欠かせないものだが、物によってさまざまな機能があるので、届いた時はどちらかと言えばワクワクの方が勝つ。
しかしテレビは多少の機能の差はあれど、楽しみ方は昔から変わらずにいてくれるものだからテレビが来た時は「ああ、やっと観られる」という安心感の方が強かったのだ。
その後、新卒で入社した会社では早くも挫折し、眠れない日々が続いた。朝が極端に早い仕事だったので夜型の私はむしろ寝ないで過ごしてみようと思い、実践したことが何度もあった。
そんなときは真っ暗な部屋でテレビをただ流しっぱなしにしているのだ。結局スマートフォンを見ているのでテレビをつけておく必要はなかったのだが、とにかく "テレビがついている" という事自体が安心材料だった。テレビのない生活ではあの、孤独で辛い日々を過ごすことはできなかっただろう。(社宅だったので電気代は会社負担だった)
しかしテレビは24時間やっているわけではない。深夜3時くらいになると放送終了してしまうのだ。
「○○○○dtv、こちらは~テレビです」というアナウンスと共に幕を閉じてしまう。そうすると私は決まってチャンネルを変え、放送プログラム開始までの約2時間をずっとテレビショッピングで埋めているチャンネルにしていた。音がないのがとにかく嫌だった。
その後会社を辞め、自宅へと戻ったわけだが、そうなるとまたテレビを観ることがなくなった。実家なら寂しさなどはないからだ。また家族それぞれがそれぞれの時間を過ごす。そんな日々が戻った。
あるときだった。知り合いと夜飲みにとある店に寄った。そこにはテレビがあり、私が子供だったときから続いている某番組が流れていた。
この知り合いとは喫茶店などにもよく行くが、基本的に会話がほとんどない。スマートフォンがあるからだ。
しかしその店では違った。自然と会話が続いたのだ。テレビをきっかけに。飲みの席だからそれなりに長い時間だったが会話が止むことはなかったしむしろあっという間に時間が過ぎて行った。
テレビがある生活もない生活も、どちらが良いとか悪いとかを主張したいわけではない。SNSを批判したいだとか、そういった考えも毛頭ない。
ただ、テレビというその場で近くの人と共有できる媒体を使わないと、コミュニケーションが減ったり、密度の高い時間が過ごせなくなったのは事実だ。
テレビが人々にもたらしていた喜びや楽しさというものはやはり大きなものだったのだと強く感じる。ふと思い返せば幼い頃の家族との思い出の中心にはテレビがあった。
好きな番組を家族みんなで観て、笑いながら過ごす時間はとても温かいものだった。
私を始めとする同世代は恐らく、この変遷を体感した最後の世代だろう。だからこそ時代の記憶として書き残してみたいと思った。
そういえば今日は久しぶりにテレビをじっくり観た。家族との間に笑いが生まれた。テレビもまだまだ捨てたものではない。明日は何を観ようか。
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