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悲しみの浄化&人を信頼すること【スイレンさんのセッション編】

スイレンさんのセッションを3回受けた。
スイレンさんの情報空間操作は、
私が言語化できない領域まで
正確に切り込んでくるので心地いい。

【1回目】

1回目は以前noteにも書いた、
「かわいそうな自分でいたい」
「楽して稼ぎたい」
という私の本音について切り込んだ。

だが、人目を意識した途端に
私は本音を隠してしまう。

セッションで「絶望」について聞かれ、
「家がゴタついた時に、
親が離婚してくれなかったこと」
がハッキリ浮かんだのに言えなかった。

セッション後に、次に向けていろいろ練った。

【1回目の後】

私は未だに人を信じきれていない。
窮屈な焦りやすい自分。

焦りを止めるために瞑想した。
母への恐怖が出てきた。
イメージの中で
母をロープでぐるぐる巻きにして
封じ込めることで、ようやく落ち着いた。

母への気持ちに本気で向き合い、
ぐるぐるワークをした。

「これが嫌だった」
個々のエピソードの感じ方は、
自分の想像と違った。
「昔は重たかったエピソードでも、
けっこう語ってスッキリしているもの」
もある。

反対に、
「気にしていないつもりが、
相当ダメージ入っているもの」
もあった。

探っていくうちに、
記憶に残っていない根源的な部分の怒りが
膨大にあることに気付く。

【2回目】

上の内容を説明して
2回目のセッションを受ける。
「悲しみ」というキーワードが
私の潜在意識から出てきたが、
重要性を理解したのはセッションの数日後だった。

頭の中の母を使って言い訳し、
自分を動けなくしているだけ。
潜在意識を深掘りしていき、
動けない原因を細かく見る。

私は決められたレールに乗っかってきた。
だから外れる選択をするのが怖い。
でも、「不安や恐怖」の中身がない

浄化すると、
「感性や直感に従って生きていい」
という思いに変わった。
行動を変えたほうが何倍も得だと腑に落ちる。

本音を隠さないようにしたことで
1回目よりスッキリした。

セッション後は、不慣れだが
五感を使う意識をした。
1分未満で集中が途切れてしまうので
まだまだ課題だけど。

【2回目の後】

イロさんに
「経験上、怒りだと思っていたものの多くは
悲しみだった。
アプローチが違うと
いつまでも感情が昇華されない」

とオープンダイアログで教えてもらった。

なるほど、
「言われた通りにできなくてごめんなさい」
「いい点取れなくてごめんなさい」
「何もできなくてごめん。
いろいろ習わせてもらってるのに、
満足させられなくて。
ママを悲しませてごめん」


こっちの方が当時の私が言いそうだ。

いつもはスイレンさんのセッション前に
話題を入念に準備する。

3回目はそれがうまくいかなかった。
とにかくその場の本音で勝負するしかなかった。

【3回目】 ※録音失敗

キーワードは「小さい頃の悲しみ」

セッション中によく、
「暗い顔してうずくまる
学生時代の私が見える」そうだ。

いくら浄化しても、今回は笑顔の私の横に
ふくれつらをした私が同時にいる。

「なかなか浄化されないね。
昔、笑うことを禁止されたりした?」

そうかな。
私はいつも、こんなに自由に笑っているのに。

「実際に楽しいとよく笑うけど、
自分と切り離して楽しめる感じです」

私のデフォルトが
「楽しんではいけない私」になっていた。

笑顔の自分ではなく、
ネガティブな自分を本当の姿だと思おうとする。

「わかるよ、
昔の私もそうだった」
と言われ、安心して私も再び話しだす。

さらに
「人を疑う私」を掘ってもらうと、
頑丈な壁に囲まれた小さな私がいた。
恐怖で中から助けを求めている。

この「小さな私」が恐れてしまう言葉や
悲しみのメインのようだ。
不安を言い当てられて、
セッション中に号泣した。

浄化してもらい、
実際に泣いた分よりも強く
脳の疲労を感じた。

「1回目、2回目で
少しずつ浄化できたから、
今回の結構大きな浄化に
繋がったんですよ。
素直に泣くことを許可してあげて」

セッション後は
比較的爽やな気持ちで過ごしていたが、
ふと母から言われたことを
はっきり思い出す。

「泣くなんて情けない」
「みっともないからやめなさい」
「それくらい我慢しなさい」
「恥ずかしいからやめなさい」
私の行動を制するために向けられた
嫌な目線、表情、言葉。


「もう済んだこと」が
こんなにも引っかかっているとは思わなかった。
自分1人であんなに大泣きしたのは
本当にいつ以来かわからなかった。

こうして
「小さい頃に焦点を当てて泣けたこと」
に安心していた。

「もうだいぶ平気」
この見通しが甘かったことについては
また次回。


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