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諳んじる詞(ことば)は——ゼンジン未到とリライアンス〜復誦編〜を見終えて

「ゼンジン未到はね、 僕たちにとって大切なタイミングでやるライブなんです」

MCを振られたギターの若井滉斗——“ひろぱ”は微笑みながら、それでいて真面目に言葉を紡いだ。

ゼンジン未到。
2013年に結成、2015年にメジャーデビューしたMrs. GREEN APPLEが、まだ全国流通盤も出ていない頃から大切にしてきた自主企画だ。

ゼンジン未到とコンフリクト〜前奏編〜に始まり、パラダイムシフト〜音楽編〜/プログレス〜実戦編〜/ロワジール/プロテスト〜回帰編〜と続いている。

それだけに、「ゼンジン未到とリライアンス〜復誦編〜」が始まるという知らせはファンをざわつかせた。活動休止を挟み、バンドとして「フェーズ2」を掲げて再出発した彼らは“ゼンジン未到”に何を込めるのか。そして、“リライアンス”は何を意味するのか。

——答えは、会場にしかないはず。
「チケットを申し込む」のボタン、人差し指は迷うことなく触れた。

***

Zepp Hanedaの待機列。

19:00をこれほど待ったことがあっただろうか。
首から提げたタオルを握る。

照明が落ちる。大声を出せない環境下、歓声の代わりに各々の内面で高まる思いだけが天井へと突き上がる。

象徴的なギターのイントロが鳴り、「藍」が始まる。

何と、過去の「ゼンジン未到とパラダイムシフト〜音楽編〜」でも藍が1曲目だったらしい。ライブの日付もこのツアーの初日と同じ。偶然にしては出来過ぎた話で、メンバーも無意識ではなかっただろう。

1小節ごとに左右から当たるピンスポットライト、舞台を包む静寂の暗転、唸るギター。遠くから聞こえる残響のようなしらべ。見事なまでにロックバンドの矜持を見せ、間違いなく過去の“ゼンジン未到”と地続きにあることを示唆していた。

続く2曲目は、2019年1月の音源化から初のライブ披露となる「灯火」。終盤でバチバチに焚かれるストロボが眩い。《キミに灯った様だった》で舞台上の照明が暗くなる瞬間、“灯火”の精は消えて私たちの心に小さな焔が灯ったのだろう。

3曲目の「ニュー・マイ・ノーマル」は、活動再開を飾るミニアルバム『Unity』のリードトラック。華やかなMVや、再開一発目のライブ「ARENA SHOW “Utopia”」で背景を彩った百花繚乱がファンタジックなイメージを生んでいたからこそ、対照的にバンドライクな演出は新鮮に感じた。

明るい雰囲気そのままに、「CHEERS」ではミラーボールとレーザーが輝く。「How-to」は2019年のホールツアー「The ROOM TOUR」のトリ曲という異色の登場をしたことから、意外な選曲。Zeppの箱いっぱいに響く“WOW OH”は高らかで、ボーカル&ギターの大森元貴は「心で(歌って)!」と呼びかけながら一体感を作り上げる。ライトに照らされた丸いガラスのコップは、水を湛えてきらめいた。

バンドの歴史を振り返るように、4thアルバム『Attitude』からの選曲が続く。「インフェルノ」で『炎炎ノ消防隊』の隊服を思わせる青い光線を浴び、熱気が冷めないまま“7曲目”の「No.7」へ。

空気が変わったのは、次の「soFt-dRink」から。

「フェーズ1は僕らの青春だった」だと言っていた大森が、10代で作った“青春”の曲を歌うのはあまりにも切なかった。
——失われた青春。もう二度と戻ってこない青春。
その意味を2021年12月30日、私たちは痛いほど知らされた。

淡いライトブルーの照明の中で、白い光がシュワシュワと立ち昇る。まさに炭酸を表すかのような儚い情景に、この胸が痛む。

傷心を引き摺りながらバラード調のイントロに身を委ねるも、始まったのは意外な曲のアレンジver.だった。「青と夏」。終始セピア色の明かりに包まれて歌い上げるメロディーは、夏を謳歌する曲ではなかった。それよりも、決して戻れない遠い青春を想起しているかのようで。
——楽しかったあの夏は、もう無い。
演出1つで曲の解釈がここまで変わることに、ただ衝撃を受けた。

しっとりした感傷を両手で掬い上げるような「僕のこと」は、同じく2019年度を代表するシングル曲。 前曲の文脈からして、《僕と君とでは何が違う?》という歌詞は、同じ人間でも解り合えなかった寂しさを表しているのだろうか。 それでも、事実を受け入れて人生を前向きに歩もうとする尊さや清らかさを感じる。すっかり定番として馴染んだこの曲に、そんな新たな側面が見えた気がした。

《得ては失う》でギターピックを1つ手に取るも、掌から零れ落ちる瞬間を見届けた。

MCを挟んで、ファンの期待値を最大に膨らませた「私は最強」。提供した楽曲とは異なり、バンドサウンド全開のアレンジで爽快に駆け抜ける。《大丈夫よ 私は最強》と自らを奮い立たせ、仲間と共に音を鳴らす。そうだ。悲しみは消えないけれど、共に音を鳴らしてくれる新しい仲間がいる。 まるで麦わら海賊団みたいに、固い絆で結ばれた仲間と大海原へ漕ぎ出すようなワクワク感と疾走感。 まさに「フェーズ2」と題して新たなステージへと一歩踏み出した、そんな彼らの決意の表れのようにも感じた。

然しながら、「Soup」でバラードへと戻ってきてしまう辺り、拭い去れない心の葛藤を感じる。 そして追い討ちをかけるように「アボイドノート」の旋律が胸を抉る。

この曲のリリース当時、彼らは“5人”を強く押し出していた。「みんなのミセスから僕らだけのミセスでありたい」と、時にはファンを退けるほどの排他的な冷酷さをもって、絶対的な【5人】を主張していた。MVなんてその最たる例ではないだろうか。曲の世界観以上に、5人の仲の良さやチームワークを強調している。「僕ら5人以外は要らない」——そんな不遜にも思えるプライドさえ見て取れた。

まさか当時、その5人でこの曲を披露する日が来ないなんて——まだ予想だにしていなかったんだろう。「Utopia」に引き続いてセトリ入り、5人の象徴とも言える曲を違う5人で演奏している、この意味を聞き手は受け取る必要があると感じた。

【5人】を守れなかった自分たちへの皮肉なのか。あるいは、この象徴的な楽曲を共に鳴らしてくれる新たな仲間がいることへの希望なのか。

辛辣なファクトに揺れる心を紛らすように、「ダンスホール」の陽気なフレーズが会場を満たす。再びMCを挟んで演奏された「スターダム」では、青リンゴを思わせる黄緑色の照明が炸裂する。赤く熟れる前のグリーンアップル、そんな彼らの初期衝動を表現したいように感じた。

それでも現実は非情、「パブリック」は痛烈な重みを持って心を突き刺した。

例の「The ROOM TOUR」で最後から2番目に演奏されたのを覚えている。そのときと同じアレンジだろうか。テンポとキーが下がり、重苦しい雰囲気。この曲のイメージカラーは白だと言う人が多いだろう、されど今回の演出では真逆。薄汚く褪せたような照明の色味に、意味を感じずにはいられなかった。

パブリックは、壮大な世界をテーマに《醜さも精一杯に愛そう》と歌う曲。苦しみや悲しみが終わらない世界で、それでも愛を信じて生き抜いていこうとする曲。 そうだったし、そうであってほしいと願う曲だったのに。 けれども彼らは知ってしまった。それでも胸が張り裂けるほどの悲しみがあることを。退廃的で、安直に言えば「ア・プリオリ」にも似た歌い方が全てを物語っていた。

希望を打ち砕かれた自分が、希望を歌った自分を嘲笑するかのように。
諦めずにこの世界を生きていこうと歌った自分の、最早抑えがたい諦念を自覚するように。

悲しみの余韻が欲しい。そう感じていたところに、「フロリジナル」は間違いない選曲だった。この曲には、香水に対する彼らの解釈が詰まっている。お洒落やアイデンティティといったポジティブなイメージとは裏腹の、仄暗い憂いとノスタルジー。もう側に居なくなってしまったあの人の、纏っていた香りを嗅いで思い出す。懐かしむ。胸に切なさが迫る。

間を置かずに鳴らされた「CONFLICT」は、ゼンジン未到を締めくくるにふさわしい絶対的な曲。キーボードに手を置きながら満面の笑顔で会場を見渡す藤澤涼架——涼ちゃんの優しさが身に染みた。

写真は、唯一撮影が可能だった曲中にて。

アンコールはバンドの始まりを表すメジャーデビュー曲「StaRt」に、映画主題歌にもなった最新曲「Soranji」。

長いお辞儀で全てが終わった後は、「めっちゃ楽しかったー!」という朗らかな談笑よりも「すごく良かった…」と噛み締めるような声があちこちから漏れ聞こえる。1枚のチケットを握りしめ、1人で会場に乗り込んだ私は、音楽で見知らぬ人と心が繋がったような不思議な安心感を覚えた。

***

——結局、リライアンスとは何だったのだろう。

“Reliance”は、信用。信頼。拠り所。
“復誦”は、繰り返し唱えること。何度も口に出して記憶すること。諳《誦》んじること。

そうか。そうだったのか。そうだったんだね。

冷え切った心に灯火が生まれたように、その意味を噛み締める。
タイトルに込められた思いは、言葉にすれば何もかも陳腐な気がした。

——ありがとう。

午後9時台のりんかい線に揺られながら、頭の中で言葉のパズルピースが竜巻を起こす。
私の心の内側には、温かいモノが満ちていた。

Mrs. GREEN APPLE official

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