見出し画像

対話するリーダーシップ #2 対立を歓迎する

あるグローバル企業のアジア太平洋地域のリーダーシッププログラムを担当することにあたって学んでいることをお伝えしてみたいと思います。プログラムでは、深く考え、対話を通じて参加者の個人、組織の変容を促す中で、各地域の伝統的な内省的な考え方にも触れていきます。私自身、人としてのあり方を探るような対話のプラットフォームを作っていくことに興味があり、セキュラーな仏教を通じて学んできたマインドフルネス、瞑想的なあり方という観点からも関わっていくことになりました。学んだこと、問いをここで共有することでビジネスパーソンの方々のご参考になったらと思っています。

今回のテーマは「対立を歓迎する」です。

日本語版Podcast

英語版 Podcast


対立というとかなり強い表現に思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、相手との意見の違い、立場の違いがあって、前に進まない・・・という場はどなたも経験されたことがあるのではないでしょうか。それでも、その違いを受け入れて進まなくてはいけない場も、また多くあるように思います。

取り上げるのは、アーノルド・ミンデル著「対立を歓迎するリーダーシップ」という本です。

昨年末に出版されていますが、実は原著は1992年に出版されており、関係者の方の熱意のお陰で、ようやく翻訳が世に出ることになったそうです。今年から始まったアクティブ・ブック・ダイアローグ®︎(ABD)に参加しています。
※ 次回は 5/1(日) 19:30 - 21:30 です。

翻訳者のお一人である西田徹さんの前書きによると、ミンデルさんは、ユング心理学を土台として、そこに老荘思想やネイティブ・アメリカンの英知などを統合して独自の心理学『プロセスワーク』を生み出した方であり、対立と変容を扱う達人です。

さらに、原著のタイトルは「The Leader as Martial Artist」で、直訳すると「武道家としてのリーダー」です。本書は、武道における相手との対立を回避する考え方や技をヒントにして、初めてビジネスも対象に含め、様々な対立の場にプロセスワークを適用するために、実際のワークも含めて、とても実践的に書かれています。

では、実際にどうやって対立を歓迎するのでしょうか?
言い換えれば、対立した相手と、どうやって対話をすることができるのでしょうか?
印象に残った部分を引用してみます。

集団の混沌と混乱の中でアウェアネスを維持する能力は、リーダーシップの核となる資質です
相手の気配や殺意は、こちらの平常心が澄みきれば澄みきるほど直感・直覚できるものだ
私たちが自分に対する執着をなくせば、私たちは標的としてはつまらない存在になります。自らの一方的な立場を意識的に認め、そこを離れ、中立的になり、私たちの古いアイデンティティを緩める手助けをしてくれたことについて攻撃者に感謝できるようになることです。さらには攻撃者の側に立って、彼らが自らのプロセスを完成させるのを手助けすることすらできるかもしれません
第五章 武道家としてのリーダー、デタッチメントより

この引用を読まれて、これは本当にビジネスパーソン向けの本なんだろうかと思われた方もいらっしゃるかもしれません。私も正直、そう思いました。でも、緊迫した顧客とのやり取り、緊張感のある社内の会議で、相手の反応や変化に気がつけなかった・・・という経験はどなたもお持ちではないでしょうか。特に、自分が主に話す立場だった時、同席者が相手の反応に気がついて、救われたという経験を持っている方もいらっしゃるのではないでしょうか。そして、自分が緊張していることに「気がついて」いることも、緊張を緩めるための一歩です。この「気がついて」ということが、アウェアネスです。緊迫している中でも「何かに気がつく」ことができる能力です。前回取り上げた「聴く力」で、交渉の相手が肩を落としたことに気がついたということにあたります。基盤になる能力ですね。

さらに「自分に対する執着をなくせば」というのはどういうことでしょうか。執着とは、自分の立場(もはやアイデンティティになってしまっていることも含まれます)、主張、相手への依頼事項について、全く譲れないと考える、あるいはこだわりすぎてしまって柔軟性を失ってしまうということです。水かけ論になってしまう、会話が続かなくなってしまうといった、こう着した状態に陥ることに繋がります。対話ができず、双方の相違点の理由や背景が何にあるのか、合意が可能な点が見出せなくなってしまうことです。逆に、そのような状態に気がついて「自分の執着は何か?」と問うことができたら、自分の殻、自我といったもの、アイデンティティを緩められるかもしれません。それ自体が自分にとっては変容となります。そこから突破口が開いていくのです。自分の殻を緩めることができれば、もっと相手のことを考えられるかもしれません。さらに進めることができれば、相手の変容まで促すことまでできるのかもしれないというのが、ミンデルさんが示してくれていることです。

何かの壁を感じている時、自分の限界を感じている時こそ、「自分」の何が壁や限界を感じさせているのかに気がつくチャンスなのかもしれません。視点を変えてみると、執着、あるいはこだわりすぎてしまっていることはないでしょうか?

なお、前回のPodcastの後に「ご自身にとってのリーダーシップとは何ですか?」とたずねてくださった方がいらっしゃいました。本当に、リーダーシップというのは本だけでも山のようにありますし、一つの定義というものがあるものではないと思います。あくまで現在の私が考えるリーダーシップを共有してみると、「その状況で必要なものを考え、言葉にして、行動できるようにすること」ということでしょうか。

また、一般的には、リーダーシップというのは、前提として集団であることを想定されているかもしれません。ただ、よく考えてみると、一人であっても、つまり、自分自身をどうするのかということも含まれると思います。最近よく、自らのキャリアに対して責任をもつ、自分の成長に対して責任をもつ、といった言葉があると思います。責任という言葉が適切なのかということもありますが、「自ら考え、言葉にして、周囲にも伝え、行動する」ということだと捉えることもできるのではないでしょうか。仏教では、誰も避けることができないこと、どうしようもないライフイベントを、生老病死という言葉で伝えられています。その一番最初の「生」ということ、生まれることは自分で選択した訳ではありません。かえって悲観的なイメージすぎると思われる方もいらっしゃるかもしれません。それでも、「生まれた」ということを、少しなりとも主体的に捉えることで、視点が変わるときもあるのではないでしょうか。

本日の問い
対立が生じている場で・・・
「自分」の何が、対立を感じさせているのでしょうか?
執着、あるいはこだわりすぎてしまっていることはないでしょうか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?