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それは女の意地と闘い~纏足と女武芸者~

 私が水滸伝を初めて読んだのは高校生の時。その時に浮かんだ、はっきり言ってどうでも良い疑問が、今回の出発点です。
 そして、そのどうでも良い疑問が、意外な事実を浮かび上がらせたのです。

きっかけは些細な疑問

 初めて手にした水滸伝は、高校の図書館にあった平凡社奇書シリーズの1冊でした。その中で「女たちは卑しい生まれだったため 纏足てんそくをしておらず、さっさと逃げられた」と言うような描写がありました。で、その時はまだ纏足について大した知識もなかったので「纏足って良家の子女がやるもので、歩きにくいもの」程度の認識でした。

 でもその時、ある疑問が湧いたのです。
 梁山泊に集まった好漢・108星のうち、女性は3名。一丈青の扈三娘こさんじょう、母大虫の 顧大嫂こだいそう、母夜叉の孫二娘そんじじょう。どなたも並の男なら秒殺レベルのすごうでな女傑ですが、ゴッドマザーな顧大嫂や、人肉饅頭の孫二娘はいいとして、扈三娘はお嬢様なので、「ん? 纏足はしているの? していないの?」と思ったわけです。

 その後も、カンフー映画や 金庸きんようの小説、武侠ドラマなどで「深窓の令嬢」かつ「武術の達人」とかいうのを見かけると「纏足」なのか「NO纏足」なのか気になって気になってしまいまして……ほんと、どうでも良いことなんですけどね。

 そして、纏足ってその特異性から「グロい」とか「残酷」といったフィルターにかけられて、真実が見えにくくなっているような気もするのです。
 今回はそのフィルターをちょっと外してみて、中国文学では馴染みの「纏足はちゃんと歩けない」というイメージは正しいのか、そして纏足とはどんなものなのかを改めて考えてみました。

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