#77. 1ヶ月間で26年分戦った話
書くことで癒される。
色々あって、人と話しして、それでだいぶ昇華されたけど、話してる間も気づきがあって
気づきは私の場合、書くことで昇華される 癒される
気づきの発端
普段私の友人関係をけなすくせに、
私とは関係性のない人から頼まれた、不躾な質問に対応してもらうよう、その友人に連絡してくれ、と頼まれたこと。
頼まれ方も、応える義理も、普段の無礼も含めて、相当怒っていた私。
今回
帰省、私の可愛い○○(私の名前)を太らせないで。何でそうなったの?何で太ったの?あなたがその体型でいいならいいけど。
自分の体型に詰められる。
当時私は私の体型でよかった。家を出て丸4年間全力で生きてきた。不器用だから上手くいかないこともあったり
仕事に引っ越しに本当に4-7月大変だった。
寄り添いもせず、太った原因だけ詰められる。
余裕のない時、食が救いになる私に、甘えだと言う。
改善は分かる。でも気持ちは無視。
基本いつだって正義を盾にふりかざす。従わせる。そこに私の意志はどこにあるの。
デブだと罵られる。
そんな口汚く罵る人の話なんて聞きたくもない。尊敬できない。アドバイスが正しかろうとそんな奴嫌だ。
追い詰められる。思考がショートする。身体が固まる。苦しくて、もうやめて、しか言えなくなる。
口汚く罵ってもいいのは親だから、気づかせてやれるのは親だけ。言葉に対して全面賛成の上で、実行しないから、イライラしたとのこと。
事を荒立てないよう表面上賛成をして実行しないことが、暗に大人のNOだということを知らない。
言っていることが正しくとも、罵声を浴びせてはいけないということを知らない。
そもそも本人の感情、意志が本人の言動を決める上で最重要事項だという前提がない。
普通じゃないと気付く
5歳のままで止まってるらしい。私の反応。
確かに動けないし、母親の不機嫌が人生で1番しんどい。
思い返してみる。パワハラ受けてた時よりもしんどい。
パワハラの時のことを考えてみる。
されたこと、全部正しくないこととして会社と社会で処理された。助けられた。救われた。味方してもらった。
種類や立場は違えど、暴言吐かれたり、相手の気が済むまで謝らせられることが、当たり前ではないと気づく。
育ててもらったり、教えてもらったり、時間をもらったり、愛してもらったとしても
暴言を吐かれたり、雑に扱われたり、意志を無視して強いられたりすることは
してもらったこととされたことで帳消しにしなくてよくて、辛いことは辛いこととして自分で認め、
されたことは抗っていいこととして気付く。
26年間の辛かったことがフラッシュバックする。
愛憎入り混じってぐちゃぐちゃになってる母親への感情、異性に傷つけられた経験や、ハラスメントを真正面から抱えてしまった経験。
自分を大切にしろ、と友人から怒られてた意味がやっとわかる。
幼少期から怒鳴り散らかされ続けてきた、一つ一つの理不尽さに気づく。全部覚えてること、全部覚えてること自体が異常だと言うことにも。
吐き気を催しそうになるし、兎に角過去の辛さに気付いて涙が止まらなくなる。
一緒に住んでる妹、違う立場で違う苦しみを味わっていた妹ととことん話し合う。理解する。痛みを共有し、お互いを助ける。
負の連鎖への甘え
逃げればいいだけの話。断てばいいだけの話。
うちの中で解決法は一つしかなくて、母の情緒不安のトリガーを私が引いてしまったが最後、解決できるのは私しかいない。
私が気の済むまで痛めつけられる、それだけだった。
私がそれがおかしいこと、対応したくないことを伝えた。甘えだと言う。大好きな父が。
代わりに謝罪文を書かれた。今回で2回目。
前回は休職中実家にお世話になってたが、家を出ようとした時。
なんで、ずっと家にいるって言ったじゃん。
こんなに献身的に尽くしてるのに、そんな遊んで耐えられないって。
家にいる時は基本目に入る場所にいて、携帯をいじっちゃいけない、TVを一緒に見なきゃいけない、私の趣味は否定。遊びに行くのは週一まで。
流石に無理だったので、出ていこうとした時も今回同様。その時にも父親に長文で母親への謝罪文を代筆された。おかしいやろ。
私は謝りたくない、と伝える。
父に言われる。相手の気を落ち着かせるためには兎に角一回話を聞くこと。
正しいけど正しくない。そんな話ししてない。
感情の渦に飲み込まれて自ら破滅していく母親に26年間付き合わされてきた。
それ自体が誤っていることを主張する。
対して、俺も父親にそうされてきたから気持ちが分かる。一緒に頑張ろう、と言われる。
大絶望した。
絶対悪を我慢できるようになることが、正義な訳がない。
何で悪を赦すの。改善しようとしないの。
自分がされてしんどかったことを、自分の娘に強いるの。
対処療法しかしない及び腰の大人なんて、仕事でも家庭でもただのクズだ。同罪だ、ふざけんな。
寄り添ってくれようとする父への感謝と絶望とでぐちゃぐちゃになる。
丁寧に丁寧に伝えた。
ただ私が忍耐がないだけでなく、26年分、幼少期からの母親からのヒステリーにより、
母親の否定→命令のターンに入ると、パワハラをされてる時と同じような状態になると、
理解してもらえた。ありがたい。丁寧に言葉を尽くした甲斐があった。
犠牲の上での家族仲
兎に角今回の目的はただ一つで事の発端に対する母親の情緒不安定に立ち会わずに、母と父自身で母のメンタルを回復して、ことを納めて元気になること。
なんでやねん。おかしくない?
自分のメンタルは自分で世話しろって私、概念は二十歳そこそこで知ってたよ。
今もなかなか難しくてエンタメや友人や妹や上司たちにお世話になってるけど。
母親のメンタルのトリガーも回復も私に依存してることが分かる。そして父はそれに疑問を感じていない。
父にとって家族の状態が良い時は、母親のメンタルが良い時で、その背景に我々の緊張や我慢があっても、それが当たり前だと言う事。
おっかしいな。
食わせてもらってる実家時代ならまだ分かる。
それこそ親だしね。
おっかしいな、家出て4年。
帰らないこともできるけど、やはり母には良い状態でいてほしいし、感謝もしてるし、こまめに帰った方がガス抜きもできるから、月1で帰ってたけど
2、3ヶ月に1回、母の言う事を聞かないからと言う理由で暴言吐かれたり、泣いたりされて、辛い思いしてるし、
半年に1回は私が泣いて暮らさないといけないくらい、母親の感情に縛られる。自分で稼いでるのに。
父は家族仲良い時に戻りたいから、私に母を許してもらいたいから、私が母に対して抱いているトラウマについて母に語り、理解させ、母に謝らせようとする。
私が求めてる事違うんだけど。
そんな父から3日に1回長文で帰ってこい、とくる。私は馬鹿だけどそれでも分かる。
謝りたいから帰ってこい、と。
その度に私は全力で抵抗する。
謝りたい、という名のもとで大泣きして暴言吐いて、気が済んだら、怒りすぎちゃったごめんね、で終わらせる母に
体力気力休日を奪われること、そしてそれが死ぬまで続くこと。
だから帰らないし、感情コントロールを教えてくれ、と土日を潰して、丁寧に電話で伝える。
そんなこと言って、でも、帰ってくるんだよね?父は電話越しに困ったように笑う。
帰らないから。電話を切る。
無力な父
今は辛いけど、また家族仲良く集まれるように頑張るよ、と言う父、こんな形で会えなくなってしまって虚しいという母。
誰が家族一緒にいる時間が幸せだと言ったか。
美味しいご飯、楽しい家族団欒を演出するために、どんだけの神経を使い、泣き叫び、泣き叫ばれてきたのか。
そのために頑張りたいのは父であって、少なくとも私ではない。
もう嫌だ、全力で抵抗する。これが3日に1回。毎回わかった、ごめん、と来る。
2回目あたりでほっとして微熱を出した。
微熱出したんだが、ストレスなので、もうやめてくれ、と言う。
そのすぐ後にまた帰ってこいと長文が来た。
もう駄目になってしまって、上司に部屋に呼ばれ、話を聞いてもらって見方してもらった。
子は親を選べないけど、両親が一緒にいることは両親が決めたこと。母親の笑顔が見たいなら、父が頑張るのであって、私が母親に泣き叫び続けられる必要はないこと。
踏まえて父に返す。
お前は娘をボロボロにしたいのか、と。
ふざけんなと。
我慢することだけを要求して、26年間もあったのに、感情コントロールの観点で一切成長しない。
人権もハラスメント意識も世間では変わってるのに、一向に変わらない。古い人間だと言って逃げて人に迷惑かけるんじゃないよ、未熟なんだよ、
とまで言って初めて止まった。
葛藤
この間ずっと親不孝なんじゃないかと苦しかった。
ボロボロにされてきた時に確かに寄り添ってくれたのは父だったし。
結果的に耐えられなくて、周りの友人も怒ってくれて、そんなの幸せじゃない、そんなの辛いって言い切ってくれて、
罪悪感から抜け出せた。
新たに
私の○○と言われてきた。
私のやりたいことで母に否定されてきたこと、いつも私は誤ってると思ってた。
でも私の人生は私のもので、干渉も支配もされなくなるのであれば、私自身が私自身を生きなければいけないと思った。
友人と恋愛の話など、色んな話をする。
蛙化現象と向き合わなくてはならない。
話したことを踏まえて改めて客観視をすると、自分が自分のこと、嫌いなことに気づく。
自分に言い聞かせる。自分は自分のこと、好きだし、愛してるよ、と。
そしたら寝れるようになって、朝陽で起きれるようになって、ストレス発散に運動したくなって
今までの自分のコンプレックスに今から取り組み始めたくなった。
難しくて読めなかった本に手を伸ばす。
癒される。
でも改めて大好きな人と話したら、虚無感に襲われて、帰ってDVD見ながらボロボロ泣いてしまった。
でも知ってる。元気になったって信じ込むより、きちんと癒された方が早く元気になれるって。
だから今日も私は、文章を書く。