怠け者の感覚
最近は料理するのも嫌だと云う人が多い。
特に母親である人のそれが多い。
その事実に驚いたのでは無く、
単に楽をしたいだけで結婚を選んだのだと云う事実に驚くのだ。
今までなにもして来なかったのに
更に怠惰を貪ろうと云う。
なので彼らの感覚は鈍りまくっているのだ。
先ずは味覚。
単なる手抜きを手順を少なくだと思っているので
明らかに美味しくなくても美味しいと平気で云う。
自分で発明したと思いこんでいるアイデアは絶対なので一番嫌いでねじ伏せたい奴に突きつけるなんて事も平気でやるが、私はこれをすぐに指摘して返す。
鰹節にお湯を注いで味噌で味付けは昔から結構聴くやり方だし時々料理本でも知恵のひとつとして何度かお見かけしたのだが、怠け者にそれをやられた。
どうやらそれすら忘れているらしいのだが私はそれに納得が行かなかったので突っ返した。
それ以来。
私を怨んでいる怠け者は私の意見を聴いたそのままを他人に売りつける事を目論んだ。無論その不始末やボロは全部私に来る。文句を言う人もそれに気付かない有り様。
おいおい、大丈夫なのか?!
この時点で他人は怠け者の世界には居ない。絶対権力の自分とそれ以外だけ。
オマケに味覚も音痴の上に、その判断に私が駆り出される。自分が評価されもて囃される事しか脳には無い。それは仲間内でも同じなので
さっさと自分で肩書をなんちゃってで付けて、さも簡単に出来そう感のブログなりSNSなり出せば
後は仲間がそれを挙って持ち上げてくれる、と云う寸法だ。
良し悪しは一応しているらしい。
でも私が使わない、まず基本から外れるようなものを平気で取り上げる。何故いけないのか?何故駄目だとされたのかはどうでもいいらしい、
=自分の有名欲最優先なのだ。
彼らは今後ずーーーっとめっきの猫を被って行かなければならないのに被っている今ですらその事実に気付かない。愚かなり、とは。
ま、私に表に出られると実入りに出来ないし醜い姿を晒されて恥ずかしいからなのは知っている。
でもだからと云って
他人を
子供を
自身の老後や生活のために犠牲にして良い事にはならない。
でも彼ら怠け者は
成績や
収入やらを
他人と比較するためだけに正当論を繰り広げてくれる。
これで誰の未来が良くなるのか?
多分勘違いしているのはその怠け者だけで
なんにもならないのだとは思わないのだろう。
だから一見はなんの欲も無い見た目や文章のように錯覚してしまえるのだ、それは所謂撒き餌だから。
昆虫や動物と同じく擬態で誤魔化しているだけなのだ。
襲えば擬態で誤魔化していれば
いつか楽して過ごせる日が来ると疑いもせず
崩されたところを只補修して
更に仕掛けを少しずつ少しずつ仕掛けてバレないようにとそれだけしか出来ない。
だからそのためにも
花の蜜のような嘘の見返りで仲間を増やして。
崩れる作を崩れないようにひたすら誤魔化して。
だから
味のしないものすら判らず
だから使えるかどうかすら気付かないで、
作った肩書を自分で更に塗り込めて塗り込めて。
もし読んで興味が涌いた、助かった、もっとこんな事が広まればと思って下さったらお願いします。 無理にしないで大・丈・夫! あなたもゆとりを、ワタシもゆとりを。