時には人を信じる事。
時には
人を信じる事も必要だ、と思う事がある。
ひとりでは
出来る事は限られている。
だからこそ意思を同じくした者が
集まって進める。
失敗をしてもそれを嗤わず
お互いが向き合えば
いつか成長するものだ。
そのために努力を重ねて
みんなで進めていくのだ。
時には
どれほどの実力を持とうと
力を出し切るが故に
そこに留まらざるを得なくなるのも
上に立つが故の配慮。
育って往く者のために。
それら努力を忌嫌い
楽なもの
力だけを簡単に手に入れて
此れ見よがしにひけらかすためだけであれば
独りで十分だと思うのは必定の理。
人を信じると云う事は
その人が培ってきたものを
学んだ事を試す機会でもある、
そのためにこそ。
結果だけを
目に見える数字だけを慮るのは
それを不快に思う証拠でもあり
結果を理由に相手を寄せ付けない口実を付ける格好の理由ともし得るがために。
育てる事こそ
偏らない事こそ
未来を作り拡げる事に繋がる。
そのための礎とするために
そこに留まるのだ、
過去には己れもそれに拠って成長したが故に
未来に繋げるために。
その感慨は。
その時に
ならなければ解らないかも知れないが。
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無理にしないで大・丈・夫!
あなたもゆとりを、ワタシもゆとりを。