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インクブルーの夢

 私と初めましてではない方には申し訳ないほどであるが、性懲りも無く、鉄道の話である。

 私が鉄道に興味を持ち始めたのは高校生の頃であったと思うが、大学に入学してから鉄道サークルに入部するほどには鉄道が好きになっていた。丁度夜行列車が続々と廃止されていた時期で、この話もその最末期のことである。夜行列車の中でも、特にブルートレインの、それも日本初の豪華寝台特急と称された北斗星の乗車経験は、今でも幸せな乗車記憶として時折思い出す。しばしお付き合い願いたい。

 翌日に定期運行引退予定の寝台特急北斗星号の切符を手に上野駅十三番線ホームに立ったのは、出発時刻の十分ほど前といういささかギリギリなタイミングであった。
 三月とはいえまだうすら寒い、しかしこれからもっと寒い所へ行くとは思えないほどホームは熱気に包まれていた。北斗星のブルーの車体が美しい龍のようにホームに横たわっていた。幾多の夢をその青に灯し映してきたのだろうと思う。
 十九時三分、札幌に向けてゆっくりと動き出した北斗星を見送って、ホームにカメラを向ける人、手を振る人、駅員がいて、端にはラストランかと思うほど山のように人がいた。
 発車後間もなく検札があった。車掌は声も一人言も大きかった。
 沿線の線路沿いや通過駅にもカメラを向ける人多数。
 私はB寝台の上段だったのだが、大宮駅で向かいの上段に若い女性が入ってきた。
 仲間内の旅という人も多いようで、車内は楽しげに話す人ばかり。私の室内もいつの間にか言葉を交わすようになった。下段の二人は奈良から来たという高校の男子と、今週北斗星に乗り続けているという(そして明日のラストランも上野駅から乗車するという)中年男性、そして先ほど大宮で乗車してきた岩手出身埼玉在住ライオンズファンの社会人女性という組み合わせ。下段二人はそれぞれ同車の仲間がいるらしい。
 車内販売が二、三度やって来たが弁当を買いそびれ、町村牧場のアイスクリームを購入。寝台車の暖房でほてった体に美味しい。
 二十二時過ぎ車内探検に行くと、同じB寝台でも号車ごとににおいというか雰囲気が違うことに気づく。食堂車は木の温みがありあたたかそうな灯りが揺れていた。
 その内に中年男性は仲間とのみにロビーへ、奈良の高校男子は友人と食堂車のパブタイムへ行っていた。感想を聞くと「めっちゃうまかったっす。」とのこと。煮込みハンバーグを食べたらしい。
 車窓は、福島の辺りは雪が積もっていたが、仙台は路面が濡れている程度だった。
 青森で機関車を交換し、青函トンネルへ。トンネル内は施設が近づくと細長い電灯が増えたが、それ以外は真っ暗闇の中をただゴーッという走行音が途切れることなく続くだけ。時折ピィッという警笛がつんざくように響いた。海底の寒さに凍えているのか、漆黒の地下を走る孤独感か、はたまた老車体の悲痛な叫びのようにも聞こえた。しかし地上付近を走行中にこの音を聞いた通りすがりの小さな女の子は「いい音」と言っていた。確かに思い返してみると、その声は氷の彫刻のような美しい響きもあった。
 因みに、大宮の女性は海底トンネルを通ったら魚が沢山見えるのかと思っていたそう。それは海中トンネルだろうが、それも面白そうだと思った。
 函館で大宮の女性と中年男性は降りていった。
 北の大地をめぐる車窓は時折晴れ間も見えた。白雪を装った木々は朝日を浴びて金や銀に輝いたり、冬の海はビロードのようにうねって光ったりしていた。
 車内販売でホタテ弁当やら土産物やらを買い、一息ついていると、奈良の高校生が朝食から戻ってきた。洋食の感想を聞くと、「めっちゃうまかったすよ。」と。もしかしてこれしか言わないのか。
 弁当を食べたばかりだが、折角なのでと食堂車をのぞきに行く。登別~苫小牧ぐらいの三十分程度だが、列車内でスクランブルエッグなど温かい食事が頂けるのは貴重なことであろう。食堂車は、夜は夜でとろけるような闇に浮かび上がるような雰囲気があったが、のどかな車窓風景を見るなら朝の方がいいだろう。
 札幌到着前、車掌が北斗星乗車の礼と今後の抱負などを放送していた。多少しどろもどろ感があったのが気になっていたが、奈良の高校生曰く、車掌に「何か喋って欲しいことありますか?」と聞かれたので、高校生がお願いしたことをアドリブで言って下さったのだそう。下車時、車掌にお礼を言うと爽やかな返事があった。
 十一時十八分頃札幌到着。本日の最終運行に送り出す紙吹雪のように風雪が舞うホーム端で、回送していく北斗星を見送った。

 私のブルートレインの乗車記憶はこの一件と、これより前のあけぼの号乗車の記憶のみである。あけぼのに乗車した時も充実した体験であったが、人々との交流や贅沢な記憶があるのは、北斗星のこの経験なのである。
 ブルートレインは最早運行されていない。少し寂しいがそれが時代なのだろう。しかし私の数少ない鉄道ファンとしての乗車経験のなかで、一際あたたかい甘美な記憶としてそれは残っている。透き通った機関車の警笛を聞くと、今でも振り返る。インクブルーの優美な夢を。

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青水時(青時)
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