枕草子にも登場!?夏の風物詩「かき氷」
お疲れ様です、瑠璃くんさんです。
夏!!…はもうすっかり終わりですね。最近寒い…
僕の夏休みもまもなく終わりを迎えようとしており、定期記事もそろそろどうするのか考えているところです。
さて、既に過ぎ去りし夏ですが、皆さん今年の夏はかき氷を食べたでしょうか?
夏といえばお祭り、そしてそのお祭りでもよく見かけるかき氷。僕は今年は1回だけ食べました。
実はかき氷は平安時代から存在した、という事は皆さんご存じでしょうか?
今回は、そんなかき氷のお話です。
冷たくて甘いだけじゃない、歴史も長いかき氷。
そして掲げられる「氷」の旗、実はもう意味がなかったり…?
長い歴史のかき氷
さて、冒頭でも少し書いたように、かき氷は実は平安時代からあったとされています。
その最古の記録は、なんとあの有名な「枕草子」。
枕草子の中には「あてなるもの」という上品であるとか、いいものを紹介する段が存在するのですが、そこにかき氷の記載があるのです。
といっても、名称はかき氷ではなく「けつりひ」(これでけずりひ、と読みます)という記載になっています。
これは金属の器に刃物で削った氷を盛り、過去の甘味料であるツタの樹液やツル性の植物の汁をかけて甘くして食べるものである、という記載がなされており、まさに現代のかき氷のようなものであったことが伺えます。
またこの時代のかき氷は小さな刃物で削って作られるものであるとされ、特権階級の者しか口にできない高貴な食であるとされていました。
かき氷が一般人にも食べられるようになったのは、明治2年(1869年)ごろから。
神奈川県の横浜にて、日本におけるアイスクリームの発祥とされる店舗がかき氷の販売を開始した事が始まりです。
尚かき氷の名前の由来ですが、これは東京方言である「ぶっかきごおり」が由来であるとされています。
よく見る「氷」の旗は実は許可証だった!?
さて、一般人にも食べられるようになったかき氷、当時は大工道具のかんなで削るのが一般的でした。
しかし明治11年(1878年)頃、市場には粗悪な氷が出回り始めます。
このころは人工的な氷は少なく、ほとんどが天然の氷でしたから、粗悪品が出回れば衛生面などの問題が発生してしまうのです。
そこで、内務省は「氷製造人並販売人取締規則」というものを公布しました。
これは、営業者は衛生検査に合格した氷を使用していることの証明として、氷の生産地・販売者名を示したのぼりもしくは看板を掲げなければならないというもの。つまり、それを掲げる事で「うちの店の氷は安全だ」と示しているのです。
そして、この時掲げていたのぼりや看板の名残が、現代でもよく見る「氷」と記載された旗なのです。
現代では氷はほとんど人工氷なので衛生面では問題ない為掲げる事が義務化されているわけではありません。
偶にこだわりで天然氷を使用している店舗もありますが、現代では食品衛生法が定められていますし、何も氷に限定してそれを掲げる必要もなくなったというわけです。
大衆食になるかき氷
さて、明治16年(1883年)になると、ようやく人工的に作られた人工氷が出現してきます。
これにより氷が量産できるようになり、明治20年代にはかき氷は大衆食として食べられるようになりました。
しかし、大衆食として食べられるようになっていったかき氷は、未だかんなで作るのが一般的でした。
では、僕たちのよく知る「かき氷機」のようなものは一体いつからあったのか?
実は、「かき氷機」のような製品が出現したのは明治20年。このころ、氷削機の特許が取得されています。
しかし、高額だったためかこの頃はまったく普及せず。
結局、このようなものが一般化したのは昭和になってからだったようです。
最後に
少々短めにはなりますが、いかがだったでしょうか?
かき氷が売れるのは気温が30度以上の時、なんて言いますが、今ではすっかりそんな気温の日の方が多くなっていますね。温暖化とは恐ろしい…
僕はかき氷ではイチゴが一番好きです。皆さんは何味が好きでしょうか?
次回更新予定日は9月22日になります。お楽しみに!
それでは、ここまでお読みいただきありがとうございました。
お疲れ様でした!