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終わり、と結ぶ

何も言わずに去ること。それが私に対するやさしさだったのだとしたらそれはどれほど残酷なのだろうと思ってしまう。「どうしてあのひとはわたしの前からいなくなってしまったのだろう」を引き連れたまま生きていけるほど、わたしは強くない。さようならすら言ってもらえない苦しさを抱えながら、てのひらのぬくもりも、ほんのり宿った恋心も。どうしようもなく宙ぶらりんになった気持ちをないがしろにして、忘れたふりをして無理やり前に進むことなどできそうにない。ただただ苦しくて悲しくて、ひたすら一晩中泣いた。大人になって自分のことで涙を流すことなんてほぼなくなっていた私は、あの晩久しぶりに泣いたのだ。

だから涙がひとつぶ頬を伝ったとき「ああ、泣けた」と思ったんだと思う。その瞬間やっと自分が思いきり泣きたかったことに気が付いて「悲しかった、苦しかった、切なかった」と自分の気持ちを抱きしめて、自分の感情や何かを思うことから逃げないことが無理やり忘れることよりも大切だったのだと知った。

自分の感情になんとなく折り合いをつけて、諦めて「仕方ないね」と困った顔をして笑って誤魔化すことが自分の心を守ることだとばかり思っていたけれど、「怒っていいんだよ、悲しいって言っていいんだよ」と言ってもらって張りつめていた糸がぷつりと切れた。我慢しなくていいんだなと思うとまた泣けて、泣けて、泣けて堪らない。泣きつかれてすこしだけ眠って、自分が泣いていた理由を思い出してまた苦しくなって、でも不思議と朝になるとすこしだけ元気になっていた。急激に、というよりはすこしずつ、すこしずつ、それはグラデーションのように。

こんなにも大人になったのに知らなかったことはまだまだある。自分がこんなにも全力で誰かのことを好きになって、怖くなって、悩んで、苦しくなって、落ち込むだなんて知らなかった。知らない自分に、知らなかった感情に出会うたびに、なにも無駄なことなどないなと思う。はじめて知った感情はいつか出会う誰かの同じ境遇に差し出せる「何か」になるのかもしれない、とか、そんなことを考えながらここ数日布団に転がっていた。

他の人からすれば大したことないちっぽけな事柄かもしれないけれど、わたしにとっては特別で大切でとてつもなく大きな出来事だった。そんなことが人生の中できっとこれから何度もあるのだろう。そのたびわたしはちゃんと傷ついて、ちゃんと苦しんで、ちゃんと痛みを受け止めたいと思う。血まみれの傷がいつかかさぶたになってまた一段と強くなれると信じて。

もっと悲しくなろう、もっと苦しくなろう。もうこれ以上悲しめないと思うくらいにおもいきり悲しもう、そうしたらきっと、大丈夫。自分のことは自分が一番大切にしてあげたいとぎゅうっと自分のことを抱きしめながら「back numberのハッピーエンド」を聴いたあの日の夜中のわたしが、いつか報われる日が来ると信じている。

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しかしどーーーーーーーしてもこのままじゃ終われないなと思ったので、いままでの感謝とちょっぴり皮肉を添えた愛たっぷりのラブレターを書いて、さっき投げてきた。届くかどうかはこの際どうでもいい。ちゃんと「終わり」を結んだら、きっとまたはじめられる。さようならくらい直接言わせてほしかったなあ、うん、だからさ、それくらいのわがままもトッピングさせてくれ。じゃあね、どうかお元気で。


(追記)
しょんぼりしているわたしに、だいすきな友達がかけてくれた言葉はひとつずつリボンをかけて、ラッピングしてとっておきの宝箱にしまってある。みんないつもありがとう。よ~~~~~し、また走り出すぞ~~~~頑張るぞ~~~~のために書いた。いつか笑い飛ばしたいね!私ならいける!

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