博士と彼女のセオリーを観て。
日曜の昼下がりに、なんとなしに見始めた作品。
「博士と彼女のセオリー」。
※ネタバレも含みますのでお気をつけて。
英語のタイトルは「The theory of everything」。
見終わった後に考察記事を読み、日本語の意味合いのセオリーとtheoryは違うのではという見解を知り確かになとなった。日本語でセオリーと言ってしまうと少し軽いのでは、とも思うような作品だった。
なんといってもエディ・レッドメインの演技が凄すぎる。学生時代から30年分くらいを描いているが全て本人が演じている。病気になって歩きにくくなる様や、指の動きまで本当にすごい。痩せていく見た目も本当に圧巻であった。
彼の出演するファンタスティックビーストは元から好きだったが、今回の作品で更にファンになった。役者魂がすごい。
例えば、あなたは恋人が難病だと知ったら恋人を支えようと決断できるだろうか?現実問題支えられるだろうか?周りの反対を押し切れるだろうか?自分の夢と両立出来るだろうか?
この手の展開はよく見かける話だが、だからこそ、その度に思う。これは本当に綺麗事ではない。と。
幸い結婚生活はうまくいき、余命を遥かに超えて生きることができていた。子宝にも恵まれる。しかしやはり妻の負担は増えるばかりだ。そんな妻に対して、主人公のスティーヴンも苦しそうな、申し訳ない感情を持っていることは確かだった。病気になった側も、支える側も、辛いのだ。
後半、主人公のスティーヴンは妻のジェーンに別れを切り出す。ヘルパーとアメリカに行くと。
その時の気持ちがわたしには測れなかった。ヘルパーに単純に惚れてしまったのかもしれない。妻へ介護を強いている罪悪感をヘルパーには感じないという面もあるかもしれない。妻にジョナサンへの恋心があると疑っていてのことかもしれない。自分から解放しようと思ったのかもしれない。それでも、妻からしたら裏切られた気持ちになるのではないか。今までの時間はなんだったのかと思わずにはいられないのではないか。
でもここでジェーンは「I loved you」ではなく、涙を流しながら「I have loved you」とスティーヴンに伝える。すれ違いの中で確認できなかった気持ち、お互いを愛し合っていた気持ち。最初から最後までジェーンは夫を愛し続けていたのだ...。その言葉を聞いて泣き出すスティーヴンからも、さまざまな気持ちが伝わってくる。
病気なんてきっとここでは関係なくて、単に愛し合っていたカップルがそれぞれの道を歩むことになった、仕方のない結末のように感じるのだ。
よくある映画の展開のように、最後まで愛し合うのかと思ったし、ジェーンからはなれるのかなとは予想にあったのだが、こうくるか...と心を揺さぶられた。実話のリアルさをここで感じてしまったのだ。
本作は実話でのスティーヴンの学者としての凄さは確かにあまりメインにはされていないと思う。
でもとてもリアルな、愛の深さを知ることができた気もするし、一緒にいてほしかった気持ちにもなってしまった。
離婚をしても、女王との謁見はジェーンを呼んでいて、2人の愛の形なのかな...と思いました。
なんとなく見始めた割には、心揺さぶられてnoteを書く始末です。