コンプレックスを愛する
コンプレックスってありますか?
こういうのって、
能力とか才能とかそういった類のものだったり
純粋に自分の外見などの見た目だったり様々ですよね。
私のコンプレックスのひとつでもあるのは、見た目であるくせっ毛。
小学生の途中からどんどんくせっ毛になっていき、本当に嫌でした。
そこから思春期に突入して…
可愛い子はみんな綺麗な直毛で、直毛=可愛いみたいなところもあったと思います。
そういった価値観のルールの中過ごしているので、私だけでなく周りのみんなは縮毛をかける空前の縮毛ブームだった気がします。
例に漏れず私も縮毛デビューをしたタイプでした。
縮毛をかけたときは、すごく嬉しかった記憶があります。
…でも縮毛をかけたからといってあの子みたいに可愛くもならないし、
なんだか自分を喪失した気持ちになりました。大袈裟に聞こえるかもしれないけれど…
高校時代はもともとの猫っ毛のせいで縮毛かけ続けたら髪の毛が死ぬ!という強迫観念もあわさってかけることはありませんでした。
でもそうすると部活で雨に濡れるたびにクリンクリンになって、直毛の子と同じ様に雨に濡れても私だけ攻撃を受けて1000のダメージ!みたいな状況が本当に本当に惨めで、縮毛をやめてからもずっとコンプレックスでした。一生懸命アイロンでストレートにして行ってもすぐに元通り。
なんでこんなに人と差があるんだろう?そんなことばっかりに囚われて生きていた気がします。
晴れて部活を引退し、受験シーズンに入った頃、髪の毛の手入れが面倒なことを言い訳に今度はパーマをかけることに。これがまさかの大ヒットで人に似合うと言ってもらえる様になりました。自分のコンプレックスは殺さず活かすのが良いことをここで学んだ気もします。何よりもとがくるくるなのでパーマのノリも良く、フィットした感覚がありました。
大人になってからは、これまた髪が痛むことを恐れパーマもやめました。2度目の強迫観念。笑
そして最近また自分のコンプレックスのくせっ毛に耐えられなくなっていました。
直毛というだけで人生チートだろ!と思う卑屈な気持ちが簡単になくなるわけもなく・・・。
もうこれは縮毛してしまおう!と予約までしたんですが、ふと鏡を見た時にまた中学時代の気持ちが蘇りました。
「私、自分を愛せていないのかも」
「ありのままの自分を愛せないのは悲しい」
そんなふうに思って、予約をキャンセルしてしまいました。
縮毛すること自体は別に悪くなくて、ただ私は私を否定してアクションを起こそうとしていたことに気付いたのです。
きっと
「今のままでも最高!」「縮毛したらもっと素敵かも!」
みたいな感覚だったらよかったんだと思います。
たかがくせっ毛だけれどされどくせっ毛だなあと。
その話を直毛の夫に話すと「俺はパーマ似合わないからくせっ毛羨ましいのに」
「俺は黒髪ストレートの太そうな髪の毛は苦手」
と言っていて、私と真逆のタイプの人はそれはそれで自分の髪の毛嫌なんだなと知ってびっくりしました。
他人軸というわけでは無いけれど、くせっ毛が羨ましい人なんているのかと目から鱗でした。
そして、私のくせっ毛を肯定してくれる人がいると思うとすごく前向きに思える様になりました。
まだまだ折り合いはつかないけれど、自分で今のままもちゃんと愛せたらいいなあと思ったのでした。
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