シェア
るお
2025年1月1日 13:28
こんにちは、るおです。 #10 留学時代(上海)のつづきです。キャンパスを移ってから、参加していた課外活動があります。それは「太極拳」です。週2回ほどだったと思うのですが早朝、太極拳の先生が留学生寮の前まで自転車でやってきて、太極拳を指導してくれました。始めの頃は、留学生がたくさん習いに来ていたのですが、そのうち1人また1人と人数が減っていき、最後の方は私ともう1人の留学生の2人だ
2024年12月7日 13:59
こんにちは、るおです。 #7 留学時代(上海)のつづきです。授業がない週末は、よく上海の中心部へ出かけていましたが、上海大学・宝山キャンパスは、上海中心部からわりと離れたところにあって、金銭的に可能な移動手段がバスのみだったので(今はキャンパス近くに地下鉄が走ってます)、移動時間がけっこうかかっていたと思います。向かう先はたしか、上海駅周辺が多かったように記憶しています。厳密に言うと、
2024年12月3日 14:05
こんにちは、るおです。 #6 留学時代(上海)のつづきです。そのころ、留学生寮の2人部屋から、1人部屋に移りたいと思い始めていました。同部屋のトルクメニスタン人留学生との生活が、少しキツくなってきたのです…。彼に何か問題があったわけではなく、私が「超絶コミュ障」なのと、「もっと1人の自由な時間が欲しい」って思う気持ちが強くなったからです。ごめんね、彼。本来なら、彼が中国語での話し相手
2024年11月15日 16:51
こんにちは、るおです。 #3 留学時代(上海)のつづきです。私の記憶では、留学生が中国語を学ぶクラスは全部で5つ(A~E班)あって、私はその内、下から2番目のレベルのクラス・D班でした。事前にレベル分けのテストを受けて(テストといっても、確かテキストの中国語を読んだだけだったような…)、D班より1つ上のレベル・C班で学ぶように言われたのですが、私がビビッて、1つ下のD班に入れてもらったので
2024年11月12日 17:03
こんにちは、るおです。 #2 留学時代(上海)のつづきです。「上海大学・宝山キャンパス」は、市の中心から少し離れたところにありました。当時、市の中心へ出る移動手段はバスでしたが、今は地下鉄7号線が通っていて(上海大学駅)、まあ便利になったものです。キャンパス到着後、まずは留学生寮で入寮手続きをして、無事に住む場所を確保できました。ただし、2人部屋です…。本当は1人部屋が良かったので
2024年11月9日 17:10
こんにちは、るおです。 #1 留学時代(上海)のつづきです。2003年3月、中国・上海浦東国際空港。私は留学先の上海に初上陸しました。空港の出口で待っていた留学斡旋会社の迎えの車に乗り、いざ留学先の「上海大学」へと向かいました。私が留学した当時、上海大学には3つのキャンパスがありました。・延長(イエンチャン)キャンパス・宝山(バオシャン)キャンパス・嘉定(ジャーディン)キャン