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留学

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中国留学時代のお話です。
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#中国語

#14 留学時代(上海)

#14 留学時代(上海)

こんにちは、るおです。
#13 留学時代(上海)のつづきです。

2004年1月、私の中国留学生活が終わりを迎えます。

2003年3月から、上海大学・宝山キャンパスと延長キャンパスで約1年間、中国語を学びました。

約1年の留学期間で、

・中国語力(あやしいですがww)
・修了証書
・外国で生活できたことからくる自信のようなもの

を得ることができました。

留学生活の最初の頃、ホームシック

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#13 留学時代(上海)

#13 留学時代(上海)

こんにちは、るおです。
#12 留学時代(上海)のつづきです。

留学生活後半戦のさらに後半戦を迎えていた頃、
授業に出て中国語を勉強する以外の環境も作りたいなあ、と思っていた私は、上海で活動している日本人コミュニティを探すことにしました。

フリーペーパーなどで調べると「〇〇同好会」「〇〇県人会」などのコミュニティがたくさんあって、改めて上海在住日本人の多さを感じました。

その中で、気になる

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#12 留学時代(上海)

#12 留学時代(上海)

こんにちは、るおです。
#11 留学時代(上海)のつづきです。

留学中の大きな思い出が、世界遺産「黄山」への旅行でした。

こういう場所です↓↓

大学の留学生寮からバスに乗り込みいざ黄山へ!
どれぐらい走ったでしょう。上海からなので、相当な距離だったと思います。

頂上へ行くまでにまず宿で一泊し、日の出前に出発。
かなり険しい道を登って登って、ようやく頂上にたどり着きました。
頂上から見えた

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#11 留学時代(上海)

#11 留学時代(上海)

こんにちは、るおです。
#10 留学時代(上海)のつづきです。

キャンパスを移ってから、参加していた課外活動があります。
それは「太極拳」です。

週2回ほどだったと思うのですが早朝、太極拳の先生が留学生寮の前まで自転車でやってきて、太極拳を指導してくれました。

始めの頃は、留学生がたくさん習いに来ていたのですが、そのうち1人また1人と人数が減っていき、最後の方は私ともう1人の留学生の2人だ

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#10 留学時代(上海)

#10 留学時代(上海)

こんにちは、るおです。
#9 留学時代(上海)のつづきです。

留学生活の後半戦は、上海大学・延長キャンパスが舞台。
この付近も上海の中心部ではありませんが、前学期までいた宝山キャンパス付近よりはまだ都会です。
 (今の延長付近と宝山付近はどうなってるのかな。)

新住居は延長キャンパス内の留学生楼の1人部屋。宝山の留学生楼の1人部屋よりも狭かったですが、全然苦ではなかったです。

延長キャンパ

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#9 留学時代(上海)

#9 留学時代(上海)

こんにちは、るおです。
#8 留学時代(上海)のつづきです。

そうこう留学生活を送っている間に、最初の学期が終わりを迎えようとしていました。
私なりに頑張って中国語を学び、クラスのみんなともまあまあ打ち解け、引き続き次の学期も同じ上海大学・宝山キャンパスで留学生活を送ろうと思っていたのですが、別の考えが頭をよぎるようになりました。

「今よりもっと留学生活を楽しみたい!」
「じゃあ、どうしたら

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#8 留学時代(上海)

#8 留学時代(上海)

こんにちは、るおです。
#7 留学時代(上海)のつづきです。

授業がない週末は、よく上海の中心部へ出かけていましたが、上海大学・宝山キャンパスは、上海中心部からわりと離れたところにあって、金銭的に可能な移動手段がバスのみだったので(今はキャンパス近くに地下鉄が走ってます)、移動時間がけっこうかかっていたと思います。

向かう先はたしか、上海駅周辺が多かったように記憶しています。
厳密に言うと、

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#7 留学時代(上海)

#7 留学時代(上海)

こんにちは、るおです。
#6 留学時代(上海)のつづきです。

そのころ、留学生寮の2人部屋から、1人部屋に移りたいと思い始めていました。同部屋のトルクメニスタン人留学生との生活が、少しキツくなってきたのです…。

彼に何か問題があったわけではなく、私が「超絶コミュ障」なのと、「もっと1人の自由な時間が欲しい」って思う気持ちが強くなったからです。
ごめんね、彼。
本来なら、彼が中国語での話し相手

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#6 留学時代(上海)

#6 留学時代(上海)

こんにちは、るおです。
#5 留学時代(上海)のつづきです。

その後、何とかクラスのみんなとも少しずつ打ち解けるようになり、さみしい気持ちも薄れて、ホームシックの状態は徐々になくなっていきました。
ただ、寮で同部屋のトルクメニスタン人の留学生とは、あまり打ち解けてはいませんでした。
仲良くなって、ガンガン中国語でしゃべっておけば良かったなって、今となっては後悔しています…。

そしてそのころ、

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#5 留学時代(上海)

#5 留学時代(上海)

こんにちは、るおです。
#4 留学時代(上海)のつづきです。

授業は普通に受けていたのですが、一方でだんだんと、ホームシックになっていきました。
学生時代と違い、1人で中国に来たことや、私が「超絶人見知りコミュ障」で、クラスのみんなやルームメイトのトルクメニスタン人と、ほとんど会話や交流をしなかったこともあって、なんだか寂しくなってきたんですよね。
(まあ、自分のせいなんですが…。)

「日本

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#4 留学時代(上海)

#4 留学時代(上海)

こんにちは、るおです。
#3 留学時代(上海)のつづきです。

私の記憶では、留学生が中国語を学ぶクラスは全部で5つ(A~E班)あって、私はその内、下から2番目のレベルのクラス・D班でした。
事前にレベル分けのテストを受けて(テストといっても、確かテキストの中国語を読んだだけだったような…)、D班より1つ上のレベル・C班で学ぶように言われたのですが、私がビビッて、1つ下のD班に入れてもらったので

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#3 留学時代(上海)

#3 留学時代(上海)

こんにちは、るおです。
#2 留学時代(上海)のつづきです。

「上海大学・宝山キャンパス」は、市の中心から少し離れたところにありました。
当時、市の中心へ出る移動手段はバスでしたが、今は地下鉄7号線が通っていて(上海大学駅)、まあ便利になったものです。

キャンパス到着後、まずは留学生寮で入寮手続きをして、無事に住む場所を確保できました。
ただし、2人部屋です…。
本当は1人部屋が良かったので

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#2 留学時代(上海)

#2 留学時代(上海)

こんにちは、るおです。
#1 留学時代(上海)のつづきです。

2003年3月、中国・上海浦東国際空港。
私は留学先の上海に初上陸しました。

空港の出口で待っていた留学斡旋会社の迎えの車に乗り、いざ留学先の「上海大学」へと向かいました。

私が留学した当時、上海大学には3つのキャンパスがありました。
・延長(イエンチャン)キャンパス
・宝山(バオシャン)キャンパス
・嘉定(ジャーディン)キャン

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#1 留学時代(上海)

#1 留学時代(上海)

こんにちは、るおです。

2001年3月に専門学校を卒業し、フリーターになった私。

アルバイトは、
・百貨店のフロア清掃
・レストランのホール
・懐石旅館の客室清掃
をしていました。

そしてアルバイト以外の時間は、中国語学習と、留学先に決めていた上海の各大学の情報収集にあてていました。
数ある上海の大学の中で、最終的に私が留学先に選んだのは、

「上海大学」

今は東京にもキャンパスがあります

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