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るお
2025年1月10日 13:52
こんにちは、るおです。 #13 留学時代(上海)のつづきです。2004年1月、私の中国留学生活が終わりを迎えます。2003年3月から、上海大学・宝山キャンパスと延長キャンパスで約1年間、中国語を学びました。約1年の留学期間で、・中国語力(あやしいですがww)・修了証書・外国で生活できたことからくる自信のようなものを得ることができました。留学生活の最初の頃、ホームシック
2025年1月10日 13:32
こんにちは、るおです。 #12 留学時代(上海)のつづきです。留学生活後半戦のさらに後半戦を迎えていた頃、授業に出て中国語を勉強する以外の環境も作りたいなあ、と思っていた私は、上海で活動している日本人コミュニティを探すことにしました。フリーペーパーなどで調べると「〇〇同好会」「〇〇県人会」などのコミュニティがたくさんあって、改めて上海在住日本人の多さを感じました。その中で、気になる
2025年1月7日 11:45
こんにちは、るおです。 #11 留学時代(上海)のつづきです。留学中の大きな思い出が、世界遺産「黄山」への旅行でした。こういう場所です↓↓大学の留学生寮からバスに乗り込みいざ黄山へ!どれぐらい走ったでしょう。上海からなので、相当な距離だったと思います。頂上へ行くまでにまず宿で一泊し、日の出前に出発。かなり険しい道を登って登って、ようやく頂上にたどり着きました。頂上から見えた
2025年1月1日 13:28
こんにちは、るおです。 #10 留学時代(上海)のつづきです。キャンパスを移ってから、参加していた課外活動があります。それは「太極拳」です。週2回ほどだったと思うのですが早朝、太極拳の先生が留学生寮の前まで自転車でやってきて、太極拳を指導してくれました。始めの頃は、留学生がたくさん習いに来ていたのですが、そのうち1人また1人と人数が減っていき、最後の方は私ともう1人の留学生の2人だ
2024年12月26日 12:38
こんにちは、るおです。 #9 留学時代(上海)のつづきです。留学生活の後半戦は、上海大学・延長キャンパスが舞台。この付近も上海の中心部ではありませんが、前学期までいた宝山キャンパス付近よりはまだ都会です。 (今の延長付近と宝山付近はどうなってるのかな。)新住居は延長キャンパス内の留学生楼の1人部屋。宝山の留学生楼の1人部屋よりも狭かったですが、全然苦ではなかったです。延長キャンパ
2024年12月17日 13:22
こんにちは、るおです。 #8 留学時代(上海)のつづきです。そうこう留学生活を送っている間に、最初の学期が終わりを迎えようとしていました。私なりに頑張って中国語を学び、クラスのみんなともまあまあ打ち解け、引き続き次の学期も同じ上海大学・宝山キャンパスで留学生活を送ろうと思っていたのですが、別の考えが頭をよぎるようになりました。「今よりもっと留学生活を楽しみたい!」「じゃあ、どうしたら
2024年12月7日 13:59
こんにちは、るおです。 #7 留学時代(上海)のつづきです。授業がない週末は、よく上海の中心部へ出かけていましたが、上海大学・宝山キャンパスは、上海中心部からわりと離れたところにあって、金銭的に可能な移動手段がバスのみだったので(今はキャンパス近くに地下鉄が走ってます)、移動時間がけっこうかかっていたと思います。向かう先はたしか、上海駅周辺が多かったように記憶しています。厳密に言うと、
2024年12月3日 14:05
こんにちは、るおです。 #6 留学時代(上海)のつづきです。そのころ、留学生寮の2人部屋から、1人部屋に移りたいと思い始めていました。同部屋のトルクメニスタン人留学生との生活が、少しキツくなってきたのです…。彼に何か問題があったわけではなく、私が「超絶コミュ障」なのと、「もっと1人の自由な時間が欲しい」って思う気持ちが強くなったからです。ごめんね、彼。本来なら、彼が中国語での話し相手
2024年11月26日 12:48
こんにちは、るおです。 #5 留学時代(上海)のつづきです。その後、何とかクラスのみんなとも少しずつ打ち解けるようになり、さみしい気持ちも薄れて、ホームシックの状態は徐々になくなっていきました。ただ、寮で同部屋のトルクメニスタン人の留学生とは、あまり打ち解けてはいませんでした。仲良くなって、ガンガン中国語でしゃべっておけば良かったなって、今となっては後悔しています…。そしてそのころ、
2024年11月15日 16:51
こんにちは、るおです。 #3 留学時代(上海)のつづきです。私の記憶では、留学生が中国語を学ぶクラスは全部で5つ(A~E班)あって、私はその内、下から2番目のレベルのクラス・D班でした。事前にレベル分けのテストを受けて(テストといっても、確かテキストの中国語を読んだだけだったような…)、D班より1つ上のレベル・C班で学ぶように言われたのですが、私がビビッて、1つ下のD班に入れてもらったので
2024年11月12日 17:03
こんにちは、るおです。 #2 留学時代(上海)のつづきです。「上海大学・宝山キャンパス」は、市の中心から少し離れたところにありました。当時、市の中心へ出る移動手段はバスでしたが、今は地下鉄7号線が通っていて(上海大学駅)、まあ便利になったものです。キャンパス到着後、まずは留学生寮で入寮手続きをして、無事に住む場所を確保できました。ただし、2人部屋です…。本当は1人部屋が良かったので
2024年10月31日 14:08
こんにちは、るおです。2001年3月に専門学校を卒業し、フリーターになった私。アルバイトは、・百貨店のフロア清掃・レストランのホール・懐石旅館の客室清掃をしていました。そしてアルバイト以外の時間は、中国語学習と、留学先に決めていた上海の各大学の情報収集にあてていました。数ある上海の大学の中で、最終的に私が留学先に選んだのは、「上海大学」今は東京にもキャンパスがあります