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「ゆきてかへらぬ」久しぶりに"映画"を観たという感覚になった。神経と神経が結び合う恋を求める実話
田中陽造脚本、根岸吉太郎監督作品。その名前を見た時から、早く見たいと思っていた作品だ。そして、主演は広瀬すず。題材は、中原中也とその愛人だった長谷川泰子、そして、中也の友人であり、長谷川と三角関係になる小林秀雄の話。この話、知ってはいたがあまり深いところまでは知らなかった。
で、田中陽造が好きな題材だろうなという感じもしたし、それを日活ロマンポルノ時代に共に同じ撮影所の空気を知っている根岸監督が撮る。最近の映画は賞を取らない限りそんなスタッフのことを話題にはしないが、1980年代の映画というものを知っているものにとったら、久しぶりに映画を観たという感覚に陥った。少し長めのカットで役者に芝居させ、贅沢な構図で撮って繋ぎ合わせる。そして、光と音に拘りながら、男女の愛想の見えないところを探っていく感じは、題材的にはロマンポルノだし、恋愛を哲学とした感じの流れも、私にはたまらなかった。
そして、この三角関係。広瀬演じる泰子が20才のところから始まる。そして3歳下の中也と京都で同棲をし、東京に出てきて、中也の元から彼女より2歳上の小林秀雄の元に棲家を変え、そして個々に歩き出す、いや、中也は死んでしまうわけで、二人が歩き出す話である。そして、彼らがお互いに心を交錯しながらも時に狂ったようになり、時に笑い、時にある意味、お互いに必要だからこそうまくシンクロできないみたいな、結構面倒臭い心理劇だ。
そして、最初にも書いた少し長めのカットでの芝居は、舞台劇を観ているようでもある。だから、役者の芝居がすごく大事。そういう意味では、ちょっと物足りないという方もいるかもしれない。特に、中也役の木戸大聖の芝居はまだ未熟である。広瀬や岡田のある程度熟してきた俳優に比べれば、それは見ればわかる。ただ、そこが中也の年齢的な未熟さも表してるようであり、最初はちょっと?と思ったが、終幕の時点では私的にもそんなに違和感は無くなっていた。
広瀬すずの役が演じるには一番難しいだろう。ロマンポルノ的なものとしては、「㊙︎色情めす市場」の芹明香を大人しくしたような役だ。そして、田中陽造脚本としてみれば「ツィゴイネルワイゼン」にも近いのかもしれない。もちろん、鈴木清順のようなカオスにはなっていないが…。脚本的にどんなト書きがあるかは知らないが、広瀬の感情の演技の幅はすこぶる広い。そういう意味で、完全に処理できているかといえば、できていないのだが、広瀬の俳優としての演技の振り幅はこれでとても増えたのだろうと思ったりする。その結果、今放送中の「クジャクのダンス、誰が見た?」の演技にもつながっていることは確かだ。そう、私は「流浪の月」で彼女が女優として開眼したと思ったが、まだまだ、成長ができる余白はある。
そして、濡れ場もあるのだが、そこでもちゃんと大人の顔ができるし、SEXでは満足できない状況、つまり彼女がセリフで言う「神経と神経でつながろうとした」みたいな感情を出すために苦心しているのはよくわかる。ここでの結果が、脚本家や監督の思った通りなのかどうかはわからないが、心の深淵で彷徨う女を必死で演技しているのは分かったりした。そう言うものに加えて、男同士の会話に対する嫉妬もあるのだ。広瀬がこの役にどういう気分で挑んだかは知らないが、まあ、面倒臭い女の役を期待以上には演じられていたとは思う。
そう、結構、三人の心情を追うのが難しい映画なのだ。見終わって、もう一度見直して頭を整理つけたい作品だった。昔の出入り自由の映画館だったら、もう一度見て帰った気はする。
久しぶりの根岸監督作品、さすがのプロの仕事でした。まだまだ、新作撮ってください、お願いします。