【ロシア留学】「大丈夫」の魔法の使い手
ロシアにこだわる理由
突然だけれど、わたしは今春から社会人になった。
新社会人として、避けては通れないのが自己紹介キャンペーンだ。
新しい人に会ったり、各部署を回って自分の中の定型文を繰り返すたびに反省ばかりで、自己紹介の難しさと深さを学んでいる。
もはやなにか一芸がほしい。(つかみは重要)
もう社会人の方、はたまた学生の方、どんなふうに自己紹介をしていますか?
なにかナイスなアイデアがあったら教えてください🐒
そんな中、これもやはり当たり前のように、抱負や夢というものを聞かれたりもするのだけれど、
わたしは面接のときからずっと「日本と世界の懸け橋になりたいです!」と言っているし、
なんならロシアに行きたくて、「行けるチャンスはありますか?」とチャンスがあれば聞いている。
(ちなみにいまのところは限りなくゼロに近い)
そんなあるとき、同期と一緒に電車に乗っていると、
「ロシアにすごい行きたいんだね。なにかこだわっているのには理由があるの?」
と聞かれた。
たしかに?
と思ったと同時に、
反射で出たわたしの答えは「リベンジしたいから」だった。
「こんな魅力溢れるロシア留学記書いてるんだから(自分で言うスタイル)絶対超楽しかったからでしょ〜!」
ともし思ってくれた人がいたら、それは間違いなくアタリではあるんだけど、
とっても正直なところ、留学生活の苦楽比は(苦)7:(楽)3くらいだったと思う。
…念を押しておくけれど、もちろんロシア大好きだし、また行きたいし、そこはもう胸を張って言えるので安心してください!
今回は、そんな苦楽比7:3の留学生活の苦を救ってくれたひとりで、わたしの女神様のはなしをしたいなと思う。
前振りめちゃ長くなってしまった🐢
※以下から少しネガティブな内容なので、苦手な方は折り返すなら今です!!
その温もりはどこから?
わたしの女神様は、ユリアさんという。
当時たしか9歳くらいの息子さん(スケート教えてくれた男の子)がいて、留学団体の結構上のポジションを任されていた。
息子さんも優しさ全開…
ユリアさんは、留学団体の結構上のポジションでありながら、わたしのステイ先地域の統括もしていた。
初めは、子ども会をまとめてる親くらいの距離感で、仕事ができて、ちょっと厳しそうかな?という印象だった。
それは間違いなく、ウェイウェイしてたイタリア組をよく注意してたから(笑)
留学して4ヶ月目ごろ、わたしはホストファミリーとあまりうまくいかなくなっていた。
理由はわたしが距離を縮められず、塞ぎ込んでしまっていたからだ、と今ならよくよく理解できる。
が、当時はもうメンタル豆腐で、毎日泣きながら寝ていた。
わたしが何やらヤバいという噂を聞きつけて、ユリアさんは家にやってきた。
話し合いをしても、どうしても泣いてしまうわたしを、ユリアさんは「ふたりで一度話そう」と部屋に連れて行ってくれた。
何が問題なのか?どうしていきたいのか?
ユリアさんは、英語もロシア語も辿々しいわたしの話を親身に親身に聞いてくれて、途中でわたしがあまりに泣くから「もう泣いちゃダメ!」と怒りながらも、わたしの背中をさすり続けてくれた。
これからどうするべきかを一緒に考えてくれた最後に、
「Всё будет хорошо(ぜんぶ大丈夫だよ)」
と言って、ユリアさんはギュッとハグをしてくれた。
そのとき、ふわっと優しさで満ち満ちした温もりに包まれた。
あの包まれた感じは、もう言葉じゃ表せられない。
きっと、マザーテレサに会ったら泣けてしまう人がいたみたいな、それと同じ感じだと思う。
ひとってこんなに温かい気持ちを伝えられるんだなぁ、というか、なんというか、羽根が生えたみたいになって、わたしもこういう人になりたい、と強く強く思った。
そして、その言葉も、唱えればなんだか大丈夫な気がして、今でもたまにザビエルポーズをしながら口に出してみたりする。
逆カルチャーショックのがインパクト大
ロシア人というと、なんだか冷たい印象があるけれど、わたしは1ミリもそんなふうに思ったことはなくて、むしろ情が厚いひとたちだと思っている。
そんな中で10ヶ月も過ごしていたから、帰国すると日本人は良くも悪くも少し淡白な感じがしてしまった。
留学前は思いもしなかったから、これは逆カルチャーショックだ。
海外に行くときは「文化違うしそりゃそうか」と思ってなんとか受け入れられるけど、そのあと当たり前に育ってきたところに戻るとなんか違う気がして受け入れるのに時間がかかってしまった。
今ではすっかり日本スタイルに慣れたけど、あの、人と向き合う姿勢が懐かしい。
ユリアさんを目の前にするとどうしても泣いてしまう
当時16歳だったわたしは、親を抜きにして「尊敬する人」とは何者なのか?(高校入試の面接で聞かれた)という問いがずっと心の中にあったのだけれど、留学して何人もの「尊敬できる人」に出会えた。
留学のいちばんの宝物は、そう思える人たちに出会えたことだと思う。