『クビシメロマンチスト』を読みました。
西尾維新の『クビシメロマンチスト』を読みました。
大ダメージだ!!!
中学生のときに読んでめちゃくちゃ影響されていたのを思い出してしまった…
零崎◯識という自分で考えたオリジナル零崎ネームで中学生チャットに永遠に張り付いていたし、「《◯◯◯◯、ただし××××》みたいなっ!」という葵井巫女子構文をリアル友人にも使いまくっていた。
この病気は一瞬落ち着いたんだけど、大学に入学して同じ病気を患いし者たちと出会ってちょっと再発したよね。「殺してバラして並べて揃えて晒してやんよ」とかかなり擦っていたよね。
同じカルチャーを辿ってきた人と共通の知識を確認し合うことほど楽しいことはないね。
わたしは今でも夫とエンタ芸人のネタを擦り続けています。
大人になってからの感想ですが、大学のクラスメイト4人の仲良しグループに後から加わったいーちゃんの居心地の悪さ…、完全に職場でのわたしでいたたまれなかったです。
いーちゃんは居心地悪いとは思ってないかもだけど。
ずっと値踏みされてる感じとか、自分も向こうも大して興味ない感じとか、自分だけ場違いな感じとかね。
今読むと巫女子ちゃんそんなに好きじゃないしいーちゃんのことを酷いとも思わなかったな。
《今回の哀川さん》
今回はそんなに急に怒ったりしてなくて良かった!会話できてるよ!
出された水道水を普通に飲むところが好感を持てました。
ただ、哀川さんの「友達」の定義が少し気になる。簡単に友達認定するタイプでは…?
相手も友達と思ってくれているかな?
友達が多いからそんな気がしちゃうだけかな。
友達って対等なイメージがあるけど哀川さんは人類最強で飛び抜けた人だからしっくりこないだけかも?
そもそも哀川さんは友達も自分を友達だと思っているかとか気にしなさそう。
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