下重暁子さんのコラム(「青春と読書2018年6月号」より)から

集英社から刊行されている「青春と読書」2018年の6月号で、下重暁子さんが連載の第1回めに選んだのが羽生結弦選手についてでした。タイトルは、「潔い負け方」

読むたび自分にも照らし合わせて力をもらえる、とてもよい文章です。年末大掃除をしていたらたまたま出てきて、つい読みふけってしまいました。その中から、何箇所かご紹介します。

引用ーーーーーここからーーーーーーー

 なぜ羽生は特別なのだろう。これまでもこれから先も様々な選手が登場し、活躍するだろう。けれど羽生のような選手は多分出ない。なぜなら、彼には美しさがあるからだ。それも悲劇性に裏打ちされているからこそ美しい。見た目はきゃしゃで細く、表情も優しく少女のようなはにかみと弱弱しさをたたえているのに、実はその心は張った弓弦のようにピンとして、強く一分の隙もない。
 悲劇性とは彼の人生における様々な挫折である。普通の人の味わうことのない試練。とりわけ、平昌オリンピック直前の挫折をどう受け止めたか。
 (中略)

「選ばれてあることの 恍惚と不安と 二つわれにあり」
 フランスの詩人ヴェルレーヌの詩にある言葉だが、太宰治が引用したことでよく知られている。
 私は羽生結弦を見ているとこの言葉を思い出す。選ばれてあることはいまさら言うまでもない。恍惚は演技をしているときの彼の表情から感じる。一種の陶酔感が読み取れるのだ。選手の中には、一生懸命さとか努力が先に見えすぎる人もいるが、見ている方がしんどくなって楽しめない。本人が陶酔しているその余韻と雰囲気が観客を包み込んで、こちらも陶酔できるのだ。
 演技者からは、よく「楽しみたい」「楽しんで見てもらえれば」という言葉が出るが、それは違うと思う。自分が楽しめる境地というのは、出来ることはすべてやった上で滲み出てくる一種の余裕であり人間の大きさなのだ。
 羽生が自己陶酔できるのは、孤独を知っているからだと思う。誰も助けてくれない、頼りに出来ない。自分一人の境地、それを知ることは恐ろしくも不安でもあるけれど、これ以上自由に遊べるものはない。(中略)孤独を知る人こそが、誇りを持ち、品がある。
 そのためには土台となる不安や恐怖や様々な感情にうち勝って、自分を知り自分と戦わねばならない。それが出来る人のみが到達する境地があるのだ。(中略)
 彼は極上の孤独を知るナルシストである。彼がまず愛しているのは自分であり、ギリシャ神話のナルキッソス同様、水に映る自分の美しさに惚れることが出来る。ということは惚れることの出来る自分をいつも保っていなければならない。そのための常日頃からの努力と鍛錬、自分が好きな自分でいるのは、この上なくしんどいことだ。それを自分に課し、辛くともなしとげる。そして更に高みをめざす。
 その中で神はこの上ない試練を課す。それが表面的には挫折である。いくつもの挫折はあったが、平昌オリンピック前の挫折は大きく、練習もままならぬ状態で、彼だって焦りもあったろうし、「なぜ?」と怒りたくなったこともあったろう。(中略)

「孤独な鳥の五つの条件」という詩がある。
  一、孤独な鳥は、高く高く飛ぶ。
  二、孤独な鳥は、仲間を求めない、同類さえ求めない。
  三、孤独な鳥は、嘴を天に向ける。
  四、孤独な鳥は、決まった色をもたない。
  五、孤独な鳥は、しずかに歌う。
(中略)
 羽生からイメージするのは一と三である。高く高く飛び、嘴を天に向ける。より高みを求める姿勢である。どんな挫折が待っていようとも、負けない。というより、自分に勝って更に嘴を上に向ける。挫折は誰にでもやってくるものではなく、選ばれた人にだけ襲ってくるものなのだ。(中略)
 彼は振り付けや音楽など何をやっても一流になることは出来るだろうが、あの自分に厳しい姿勢がどうなっていくのか。魔物を呼び寄せないことを祈りたいが、彼ならそれをも更にのりこえていくだろうが。
 この先の生き方に注目したい、魅力あるめったにいない人物であることに変わりはない。
 その魅力は挫折に裏打ちされているからだ。

―――――――――引用ここまで

 下重さんは羽生選手を「天賦の才を与えられた選ばれし人」ととらえてらっしゃっいました。その才は、まぎれもなく、挫折を乗り越えていく力、だと思います。その意志の強さ、努力できる能力、そして才能。
 それをここまで見事に取り揃えて与えられた人は本当に滅多にいないのではないかと感じます。彼はその与えられたものを、まるでそれが自分の使命であるかのように、ストイックに鍛錬することで見事な形にして私たちに見せてくれる。彼の与えてくれる夢は、スケートもプログラムもオフで垣間見せてくれる可愛さも生き方すらも、全てが極上です。その裏にどれほどの努力があるかを想像するとき、私はいつも拝みたくなるのです。
 ジェットコースターに乗ったようだ、と羽生選手のファンは言います。羽生選手自身も自分のスケート人生をジェットコースターに例えていました。
 ここまで、彼は本当に何度も試練に見舞われ、挫折を経験し、そのたびに不死鳥のように立ち上がり、蘇ってきました。そのたびに、一回りも二回りも大きくなって。
 挫折は、選ばれた人に神から与えられたチャンスなのだと。羽生選手のスケート人生は、それを証明し続けている。
 今も。

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