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その時々に感じる青春とは

先日、上京してすぐにできた友人の母校の高校の学園祭に行った。
学園祭は、大人になって出向くのは久々かもしれない。

厳しかった私の母校の高校の雰囲気とは違い、
校則がない彼女の母校の学生は、金髪にピアスをし、ラフな格好で校内を歩いていたのは衝撃だった。ただ都内ではtop10に入る進学校だという。

そんなゆるっとした雰囲気のなか
各クラスの展示や学園祭の一番の見せ場でもあるダンスの演舞台を見た。
皆がこの日のために一生懸命準備をしたり、練習をしてきた様子をみると明るくフレッシュな気持ちにさせられた。

学園祭という学校の様子が見える場所を歩きながら
他校の様子や学生時代という時間を
過去の自分の学校生活時代を重ね合わせる時間がすごくエモかった。
ここにその時感じた思いを残しておきたい。


私の母校は女子校だった。かつ進学校。
授業は受験に合わせたカリキュラムで組まれており、高校は大学に行くための学校かのような空気感だった。楽しい学校生活に重きを置くよりはいかに勉強時間に充てれるかを言われていたような気がする。

生徒に勉強してもらうことに加え、身なりの校則も厳しかった。
先生が見ていない所で少しでも羽目をはずすと、ハンターかのように目を光らされて逮捕されるのである。校内でも、校外でも気を緩める事はできない状況でおしゃれな制服なんてかけ離れたとこにいた。

「一度きりの青春だから思いっきり楽しんで」

この言葉は学生時代、まわりの大人からよく言われていた。
ドラマや漫画からの影響が強く残っていた私は、恋愛があってこそ青春だと思っていたため、世にいう青春ってなんだろう?と思いながら、何かしら何でも頑張っていれば今が苦しくても楽しいものに変わるのだろうとぐらいしか思っていなかった。

鎖国のような学校生活の環境で、10代のこの時にしかできない楽しさをコソコソと時に堂々としながら生きていた。また、恋愛のない強いつながりでもある友情を通して友人たちと笑って泣いて苦しんで、日々楽しんだ学生生活だったと思う。

ただ、今思い返すと、楽しむ反面、何かに挑戦できていたかといわれると難しかった。常に人と比べながら自分よりできる人や要領の良い人と自分は違うな、挑戦するのはやめよう。そんな気持ちがいつも心に合ったと思う。
一言でいうと臆病だった。


冒頭に書いた先日の学園祭にいったときにふと感情を思い出した。
学生たちのダンスを見た時、ふと学生時代に自分はダンスができないだろうから踊らないほうがいいなと思ったことがあった。
進学校でかつ、自由な校風の学校の雰囲気を感じた時、こんな学校に行けたらいいなと思っていたことがあった。

あのときやっていたら。あのとき行っていたら。
いま見ている私の風景とは違う風景が広がっていたのかもしれない。
終わってしまったけれども、決断一つで何かが変わっていたことに
ちょっと自分が惜しかった。悔しかった。


ただ、今を目の前にしてこれからの未来に向けて前を向けるならば、
やってみたいことや挑戦に対して積極的に向かっていける選択ができる。

学生時代の当時は親やまわりの大人によって選択肢が狭められた環境。
大学時代で好きな専攻に取り組みながらモラトリアムな自由な時間を過ごし、社会人になるにあたっては、自分らしく働ける場所を選ぶという選択肢を得たのである。いわゆる"大人になっていくことで"自由を獲得できたのだと思う。

もう、何かに押さえつけられた空気ではない。思いっきり楽しめる。
自分と他人を比較するのではなく、過去の自分と自分を照らし合わせながら更新していく時がきた。


青春という時間は人間として未熟な時期に訪れ、そこで何をやるべきか、何をするかが今後のその人の人格形成に関わる。もちろん自由な判断が危険を引き起こすこともあるが、締め付けては創造性や選択肢がすごく狭くなる。


私の青春時代には「キラキラ」といった輝きをつけることができなかった分、生きている今をより「キラキラ」できるように努力のできる大人になってよかったと思う。

過去の青春を今からアップデートすることはできないが、
自由に挑戦のできる今と未来に、青春のようなきらめきをつけていきたい。

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