無意識の宝箱
先日、私が参加させていただいておりますサークル、「みんなのPTA」のお題として、「宝箱公開」というものがありまして。。。考えてみました。
実は、私は「宝箱」という言葉とか、何かをしまい込んでおく。ということが苦手なのです。(うぅ。。高岸様、失礼なお話、すみません。)
そんなことをしたら、「私、いいもの隠してますよ!」と同じで、私はそれを隠すのが信じられないほど苦手だからです。
まぁ子どもの頃は、だいたい妹のものになっていました。「年長者は、妹に譲るもの」という教えだったからです。
ですから、文学小説の「宝箱」は好きでも、「あなたの宝箱」と言われると、「ヒェーーー。ないですぅー。」と、反射的に、年貢の催促にこられた農民のような心理状態になります。(なぜだ。。。)
ま、そこから、ちゃんと、高岸さんの意図も考え、モリシタセイコさんの記事も読みました。
ん?私の思考回路って、どうなってるの?
私も近々、書けない日がくるかも知れません。
ちゃんと、無意識を意識化することは、モリシタセイコ様のためでなくとも必要です。
で、結論は・・・
1、写真です。
私は、いつもiCloudに写真を入れています。SNSのアイコンにも使ったり、どこかに何かがある状態になっていて、それを何気に見るんです。
この写真は、夫と結婚する前にルンルンが、夫との散歩中の写真です。
ちょっとリズムを刻みながら、1人で楽しそうに歩いています。
思い出すのは、夫との出会い、不登校。
そして。。。この年平成15年に「大阪府が、不登校の対処は学校に任せる。」(不登校への理解)が、いつの間にか不登校児の放置になってしまい、「病気などが原因の不登校以外の不登校がダントツ一位」という不名誉を喰らって、一斉に不登校児をテコ入れする。という波がきて、怖かったこと。
母子家庭への偏見。心細さ。
まぁ、一枚の写真で楽しい思い出から、条約改正問題から、差別問題まで。
様々なことが思い出されます。
アルバム整理が困難になるはずです💦
その中の一つを、Noteに載せています。
2、新しいことを勉強した時に、取り入れるために自分の記憶と結びつけるときの記憶
私は、好奇心が旺盛で、色んなことを始めます。(だから更年期なのに多忙・・・)
例えば
編み物にしても、昔は棒針と、かぎ針だけだったのに、今は輪張りなんていうものもあって、目を落としにくいし、長い棒の扱いに苦しまなくていいようになっています。
それを初めてした時にも、どういう仕組みか知りたくて、はるか前の棒針の記憶を引っ張り出すのです。
本当は、新しい考えを、そのまま鵜呑みにして、信じて行動できれば、一番早いのですが、ちょっと怖いですし、自分で納得したいこともあります。
そこで確かに、「すごいなー。これ考えついた人天才!」となるのですが、それが、嬉しくて嬉しくて、誰かにいい回りたいわけです。
でも、みんな編み物をしているわけでも、興味があるわけでもありません。
それで、みんな知ってても、私は今知って、感動してますーみたいなことを、書いてみたり、昔と今を比較して、どれだけ素晴らしいかを、書いてみたりしてます。
3、共感する本や、noteの記事
これは私は、やっては失礼になるのでは?と思って、下書きだけして掲載していないことです。
こちらへきて一ヶ月も経ちませんが、すごく共感する記事がたくさんあります。
正直いうと、短期間でこれだけ世界が広がって、目が回りそうなほどです。
とても共感して、自分の思いもあふれる記事を読ませていただいて、思わず感想文を書いてしまう記事があります。
でも、自分のところに載せるのは、相手に失礼になるのでは?
コメントに一言断りを入れてから?
いや、それはそれで、ハードルが上がるぞ?
と、結局載せていなかったりします。
素晴らしい記事で、感動して、それが溢れて文字にもなったのに、素晴らしすぎて気後れしちゃう現象です。
そして、そもそも内部記事の貼り方を、今日知ったのでした。
いつもいつも、ありがとうございます。
高岸亮介様。
番外
これは、私がこれから真似をしようかな?と思っていることです。
ツイッターに、何かを思いついたら書く。という人がいました。
きっとメモがわりでしょうね。
強く感情が動いた時に、つぶやいて、それを後で深く掘り下げて書くそうです。
私は、ツイッターはちょっと、反応が怖くてあまりしていませんでしたが、最近のことは知らないので、ちょっと挑戦してみようと思っています。
サポートいただければ、より頑張って、みなが、しあわせになれる記事を書いていきます!