もしかして、濃尾傾動運動と伊豆半島、関係あり?

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2024.7.31 presented in [note] ( //note.com/runningWater/]
2024.8.9 rewritten
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三つの大河と濃尾傾動運動

で、濃尾傾動運動(濃尾地塊・傾動運動)について書いたが、もしかしたら、これと伊豆半島と関係、あるんでは? という思いが、沸き起こった。

 「伊豆半島は、南の海からやってきた」

と、いうことを、聞いていたので。 

はるかかなた、南の海からやってきて、やがて、日本列島に・・・。

なにか、島崎藤村が作った、あの歌を、思い出すような話だな。

 名も知らぬ遠き島より 流れ寄る椰子の実一つ

発表の後、大中寅二により、これに、メロディーが付与されたのだそうだ。

これに関連する碑が、あるようだ、伊豆ではなく、伊良湖岬に。

施設案内 椰子の実記念碑 田原市

ユーチューブにアクセスし、[椰子の実]で検索すれば、これを歌ったコンテンツに、リーチすることができるかもしれない。

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で、Geminiくん(生成AI)に、きいてみた、下記のように。

質問文

[濃尾傾道運動] と [伊豆半島形成] との関係について、なにか、論じられているでしょうか?

Geminiくんからの回答は、なかなか、アジのあるものであった。

ダイレクトに、「そんなものは、ありませんよ」と、いうようなスタイルで回答するのではなく、婉曲的に、やわらかぁに、回答してきた、下記のような、さらなる次の行動へと、質問者を後押しするような文まで、付加して。

 「しかし、両者を深く掘り下げていくと、日本列島の形成という大きな視点から、間接的な繋がりが見えてくる可能性があります。」
 
さらに、 Geminiくんは、次のようにも、示唆してくれた、

 「濃尾傾動運動は、比較的最近の地質学的な出来事であり、濃尾平野の局所的な現象です。一方、伊豆半島の形成は、数百万年という長い時間をかけて、プレートの動きによって形成された大規模な地質現象です。時間スケールと空間スケールが大きく異なるため、直接比較しにくい側面があります。」

なるほど、と思い、更に、Geminiくんに、きいてみた、

 質問文

さきほどの、あなたからの回答の中に、「濃尾傾動運動は、比較的最近の地質学的な出来事であり」と、ありましたので、それについて、おたずねします、[濃尾傾道運動]は、いつ頃から、始まったのでしょうか? その事について言及しているコンテンツや、論文を、インターネット上で見ることは、可能でしょうか?

この問に対しても、Geminiくんは、生産性の高い応答をしてくれた。その全てをここに記すのは、記述スペースの観点から不適切と思われるので、印象深かった点についてだけ、以下に記す。

 濃尾傾動運動は、数百万年前から始まったと、されている。
 一般的には、 新生代第四紀 に入り、特に 更新世に本格的に動き始めたと、考えられている。
 より詳細な情報を得るためには、
 キーワード: 「濃尾傾動運動」「開始時期」「新生代第四紀」「更新世」「地層」「断層」などのキーワードを組み合わせる
 検索範囲: 学術論文データベースだけでなく、大学の研究室のウェブサイトや地質調査機関のウェブサイトなども検索範囲に含める

てなことまで、示唆してくれた。

このような応答であったので、私は、Geminiくんに、好感を持った。

同じ質問を、マイクロソフトの生成AI にお願いしたら、いったいどのような回答が返ってくるのだろうか、興味しんしんだ。

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と、いうことで、Geminiくんのアドバイスに従うことにし、

[濃尾傾動運動 開始時期 新生代第四紀]

で、グーグル検索してみた。そして、下記にリーチした。

第四紀堆積層 ジオランドぎふ

には、

 「第四紀という地質時代は地球史における現代にあたり、2009(平21)年の国際地質科学連合において258万8000年前から現在までの期間と再定義されている。」

 「濃尾平野地域は、山間部の多い岐阜県内にあって第四紀堆積層が例外的に広く分布する地域であり、ここでは鮮新世末期(約300万年前ごろ)から始まった濃尾傾動運動によって、平野の西端にある養老断層を境にして西へ傾きながら沈降しており・・・」

この検索の過程において、下記の情報にも、リーチすることができた。こちらは、濃尾平野から見たら西方にある、近畿地域に関する事について、述べられている

近畿の第四紀地殻変動と地震活動, 藤田 和夫(大阪市立大学理学部地学教室), 産業技術総合研究所 地質調査総合センター

上記中の、

  1. 近畿の第四紀地殻変動と地震活動

には、以下のようにある。

 「しかし 現在得られている資料からみると 近畿三角帯を中心としてきた地域は 第四紀に入る頃から 東西圧縮の応力場におかれてきこたとは確実と思われる.そしておよそ20~30万年前と見積られる高位段丘形成期ころより急速なひずみ速度の増加があり 基盤岩体の物性に応じていろいろの型の断層地塊運動が活発化し 今日の高起伏をつくりあげた.私はこの一連の変動を「六甲変動」と呼んできたのである.」

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以上に述べたような状況になってきたので、どうも、[濃尾傾道運動]の関係先としては、[伊豆半島]を調べるよりも、先に、[東西圧縮]を調べる方が、いいのかな、と、思い始めている。

[東西圧縮]は、日本列島の様々な地域が、現在のような姿になった事に、関連しているようで、様々なコンテンツに出現する。例えば、

日本列島の成り立ちから見た関東平野の基盤構造,高橋 雅紀(産業技術総合研究所)

には、

 「ところが,およそ300万年前になると日本列島は強い東西圧縮応力場に移行し,逆断層運動に伴い山地は隆起し山間盆地や海岸平野は沈降して地形的起伏が成長していった.」

と、ある。

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そうはいっても、やっぱし、伊豆半島も、濃尾傾道運動に関係しているのかも

この件に関しては、Geminiくんは、どうも否定的なように感じられるのだが、

成り立ち 伊豆半島ジオパーク

には、

 「約2000万年前、伊豆は本州から数百km南、現在の硫黄島付近の緯度にありました。」

 「100万年ほど前に本州に衝突。陸地同士が海を埋め、現在のような半島の形になりました。これが約60 万年前のできごとです。」

と、ある。

となると、伊豆半島が本州に衝突するよりも前に、本州では、すでに、東西圧縮が進行しはじめていた、ということになるだろう。

先にも見たように、

 第四紀は、258万8000年前 から 現在まで
 
と、いうことなのだから、

伊豆半島の衝突も、東西圧縮も、濃尾傾動運動も、第四紀のできごと、地質学のスケールでいうならば、「つい、最近のこと」と、いうことになる。

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かつて、伊豆に旅したことがある。

東海道新幹線で、三島へ
三島から、伊豆箱根鉄道で、修善寺へ
修善寺の駅前から、バスで、土肥へ
土肥で、生まれてはじめて、キンメダイの煮たものを食べ
「足つぼを刺激する石が並べられた健康歩道」というものの上を歩き
バスで、修善寺の駅前へ(残念ながら、天候の関係で、伊豆の西海岸からの富士山を見ることなく)
修禅寺温泉の温泉宿で一泊
路上で、大きなカエルに遭遇(もしかしたら、桂川ぞいの赤蛙公園という所から、やってきた?)

翌日、
指月殿へ
修禅寺へ
 最も印象的だったのが、このワンちゃん。

なんだか、
 ここ、護ってます!
みたいな感じで、大いに好感を持った。

修善寺から伊豆長岡へ
伊豆長岡駅から、バスで、下記をめぐった

韮山 反射炉

韮山反射炉とは 伊豆の国市

には、

 「反射炉は、ヒュゲニン(huguenin)著『ライク王立鉄大砲鋳造所における鋳造法』という蘭書に基づいた・・・」
 「佐賀藩士の助力を得て・・・」

とあるので、江川父子だけの力でできたものではない、ということは、言えるようだ。

[韮山の不動明王]を拝観するために、

願成就院

へ。

国宝五軀の仏像群は、運慶による東国での最初の造像なのだそうだ。

この寺の境内にある、北条時政公の墓前にお参りした。

[北条の里さんぽ路]も歩きたかったのだが、スケジュールの関係で、断念。

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