なぜ、多くの日本人は、おじぎを頻繁に、するのだろうか?
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2024.7.24 presented in [note] ( //note.com/runningWater/]
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このコンテンツのタイトルに書いた、この問題に対する解答を、以下のように、考えてみた。
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1 まずは、おじぎに関連する記述を、昔の文書の中で探してみた
1.1 魏志倭人伝
ヤマタイ国においては、会合やパーティの場と、路上とでは、礼儀作法が、大きく異なっていたようである。
[新訂 魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝 編訳・石原道博 岩波文庫 青 401-1 岩波書店]
の48P には、下記のようにある。
「その会同・坐起には、父子男女別無し。人性酒を嗜(たしな)む。大人の敬する所を見れば、ただ手を搏ち以て跪拝に当つ。」
「大人の敬する所を見れば」の意味が、分かりにくい。
この箇所の原文は、
見大人所敬 但搏手以當脆拝
と、なっているようであり、
にあるように、
「大人を見て、敬する所は、ただ手を搏き、以って跪拝に当つ。」
と、する方が、分かりやすいのでは、ないだろうか。
つまり、
ヤマタイ国においては、身分の高い人に対して、身分の低い人は、「ただ手を搏ち」だけすれば、よかった、頭を下げる動作をしなくても、よかった
と、いうことのようなのだ。ただし、これは、[会同]の場においての礼儀作法だ。
[日本列島に、使者としてやってきた魏の人]の目からは、これは、とても奇異な振る舞いに感じられたのだろう。魏国の礼儀作法においては、身分の低い人は、身分の高い人に対して、[会同]の場においては、[跪拝]すべきであった。なので、
「あぁ、あの[手を搏つ]動作は、我々の国(魏)での、[跪拝]に相当するものなのだな。」
と考え、上記のように、記したのだろう。
かたや、
[新訂 魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝 編訳・石原道博 岩波文庫 青 401-1 岩波書店]
の49P には、下記のようにある。
「下戸、大人と道路に相逢えば、逡巡(しゅんじゅん)して草に入り、辞を伝え事を説くには、あるいは蹲(うずくま)りあるいは跪(ひざまず)き、両手は地に拠り、これが恭敬を為す。対応の声を噫(あい)という、比するに然諾(ぜんだく)の如し。」
すなわち、
道路上で、身分の高い人に出会った際には、身分の低い人は、「ただ手を搏ち」なんてことでは、ダメであった、「逡巡して草に入ら」ねばならなかった。その場で何か話しかけたいのであれば、「蹲り、跪き、両手は地に拠り」というような体勢を取る必要があった、
というのである。
「お酒が入るような「会同」の場ではさぁ、そうそうカタイ事は言われないよ、テキトーにやってれば、いいんだよぉ。その場にエライ人がいても、ペコペコしなくても、OK、とにかく、手さえ打っときゃ、それでいいんだよ。」
「けどさぁ、シラフでもって、家の外で、道の上で、身分の高い人と出会った時にはね、きっちりと、「蹲り、跪」かなきゃぁ、ダメよぉ!」
ヤマタイ国の子供たちは、親から上記のように教えられながら、成長していってたのかも、しれない。
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1.2 日本書紀
[巻第十五 顯宗天皇 即位前記] 中に、下記のような趣旨の記述がある。
[億計王]と[弘計王](二人とも大王家の血筋を引く人)は、わけ有って、播磨国に潜伏し、身分をかくして、[縮見屯倉首]という人に仕えていた。
[縮見屯倉首]が、[伊予来目部小楯]という人の家を訪問した際に、[億計王]と[弘計王]は、それに同行した。
それがきっかけとなって、[伊予来目部小楯]は、二人が、大王家の血筋を引く兄弟であることを、知った。
[縮見屯倉首]に仕えている身分の低い人
で、あろうと思っていた兄弟が、
実は、
大王家の血筋を引く人である、
と、いうことを知った際の、
[伊予来目部小楯]の動作が、とても興味深い。
「小楯大驚、離席悵然再拜」
(上記は、[日本古典文学大系67 日本書紀 上 校注:坂本太郎 家永三郎 井上光貞 大野晋 岩波書店]よりの引用。)
[全現代語訳 日本書紀 上 宇治谷孟 講談社学術文庫833 講談社]
の 323P においては、これを下記のように現代語で表現している。
「小楯は大いに驚いて席を離れ、いたみ入りながら、再拝申し上げた。」
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[巻第十五 仁賢天皇2年9月] 中に、下記のような記述がある。
「二年秋九月、難波小野皇后、恐宿不敬自死。弘計天皇時、皇太子億計侍宴。取瓜將喫、無刀子。弘計天皇、親執刀子、命其夫人小野傳進。夫人就前、立置刀子於瓜盤。是日、更酌酒、立喚皇太子。縁斯不敬、恐誅自死。」
(上記は、[日本古典文学大系67 日本書紀 上 校注:坂本太郎 家永三郎 井上光貞 大野晋 岩波書店]よりの引用。)
[全現代語訳 日本書紀 上 宇治谷孟 講談社学術文庫833 講談社]
の 334P においては、これを下記のように現代語で表現している。
「二年秋九月、難波小野皇后(顯宗天皇皇后)は、以前から皇太子に対し、礼に反した行いのあったことを恐れて自殺された。
-弘計天皇の時、億計皇太子が、宴会に侍っておられた。瓜をとって食べようとされたが、刀子がなかった。弘計天皇は自ら刀子をとって、その夫人小野に命じて渡されたが、夫人は前に行って立ったまま、刀子を瓜皿に置いた。この日さらに酒をくんで、立ちながら皇太子を呼んだ。この無礼な行いで、罰せられることを恐れて自殺された。」
顕宗天皇と仁賢天皇が実在したかどうかについては、諸説あり状態のようだ。よって、上記の事が、史実であるかどうかも、不明である。
ただし、この記述から、日本書紀が成立した時点において、下記のような事柄が、多くの人々にとっては、しごく当たり前な事として考えられていた、ということは、言えるだろう。
(1)大王位を継承する資格を持つ人の前においては、「再拝申し上げ」るべきである。
(2)顕宗天皇の皇后といえども、皇太子の「前に行って立ったまま、刀子を瓜皿に置」く、というような行為は、皇太子に対して、非礼、無礼である。([億計皇太子]は、[顕宗天皇]の兄である、ということに、日本書紀のこの章ではなっている。)
(3)顕宗天皇の皇后といえども、「酒をくんで、立ちながら皇太子を呼」ぶ、というような行為は、皇太子に対して、非礼、無礼である。
日本書紀が成立した時点(8世紀)において、多くの人々の考えるところでは、
身分の低い人は、身分の高い人の前では、身を低くすべきである
と、いうことであったのだろう。
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2 身を低くする、とは、いったいどういう事なのか?
2.1 人間の心中に沸き起こる願望
人間の心の中には、多種多様な願望が、湧き起こってくるであろう。
それらの願望を、下記のように分類してみよう。
第1願望 自らに近しい人の生命を、維持したい
第2願望 自らの生命を、維持したい
第3願望 (自らが他の人に)尊ばれたい
第4願望 上記以外
多くの人にとっては、上記のうちの、数字が小さい願望ほど、より切実な(より強い)願望であると、言ってよいのでは、ないだろうか。
我が子が高熱を出して苦しんでいる時、「代われるものならば、自分が、この子に、代わってやりたい!」と、思う親も、いることだろう。
(わが子と自分との身体を入れ替えることができるものならば、自分が高熱に苦しむことになるが、我が子は高熱に苦しまずにすむから。)
その時、親の心中においては、第2願望よりも第1願望の方が、より大きい強度でもって、(より切実な願望として)湧出しているのである。
第3願望は、第1願望と第2願望の両方が満たされている状態においてはじめて、湧出してくる願望だろう。
高熱に苦しんでいる状態の中においては、自分が他の人から尊ばれているかどうか、なんてことを考えている余裕は、とてもない。
とはいいながらも、この[第3願望 尊ばれたい]、これもまた、極めて切実な(極めて強い)願望であろう。
[第3願望 尊ばれたい]、これの現れ方は様々であり、下記のような様々な言葉でもって、多種多様に表現されるものだろう。
「モテたい」、「ドヤ顔したい」、「1着30万円くらいの、ブランドXの服を着てみたい」、「故郷に錦を飾りたい」、「もっと優しく、接してほしい」、「そんな、上から目線で、言ってほしくない」・・・。
それらの願望に共通している点は、といえば、それは、
[自分は、
他の人から、
どのように、思われている(思われるようになる)だろうか?
]
と、いう事が、
自分には、とても、気になる
という点である。それがすなわち、それらの願望の根元にあるものである。
その根元から、多種多様な枝葉が広がっている、というのが、この願望の実相であろう。
[第3願望 尊ばれたい]は、人類が生きていく上において、極めて重要なものなのだろうと、思う。
この願望があるがゆえに、人間は日々、身だしなみを整えたり、自室を清掃したり、礼儀作法を習得していったりするし、そのような強い願望を持つ人が、様々な発見や創造を行ってくれたので、現代の、このような、ありがたい生活を、我々日本人は、日々、送れているのだ。
(身だしなみが整っていなければ、自室の清掃ができていなければ、礼儀作法にかなった言動を行えなければ、その人は、他の人から「尊んでもらえない」可能性がある。)
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2.2 [尊ばれている] と[高度] の舞台
Stage of Power and Altitude, 権威と高度の舞台
においては、
[フレイムワーク 権威 と 高度 の舞台]
というものを、基礎において、考察を進めたが、
このコンテンツのこれ以降においては、上記にならい、
[フレイムワーク [尊ばれている] と 高度 の舞台]
というものを、基礎において、考察を進めてみよう。(下図)
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2.3 他人の[尊ばれたい願望]を満たすための、簡単な方法
ヤマタイ国に、下記の二人の人が住んでいた、ということで、話を、スタートさせよう。
[フツーの人 P]
[大人 T] ([大人]は、「オトナ」とは読まず、「タイジン」と、読んでいただきたい)
(1)[尊ばれたい願望]の自覚
ある日、[フツーの人 P]は、
自分の心中において、[尊ばれたい願望](2.1で(第3願望)としたもの)は極めて強い、ということを、自覚した。
(2)[尊ばれたい願望]が、他者の心中にもある事を推察
そして、[フツーの人 P]は、他者の心中においても、[尊ばれたい願望]は、(自分の心中と同様に)、極めて強いのだろう、と推察した。
(この人は、[古代日本の心理学者]と、いってもいいような人であったのかも。)
(3)円滑な人間関係を作るためのツール、としての、その願望の活用を、思いついた
[フツーの人 P]は、次のように考えた、
そうであるならば、(上記(2)の通りであるならば)、
もしも、
[他者X] の心中の、[尊ばれたい願望]
を、
自分・[フツーの人 P] が、満たしてあげる
ことが、できたならば、
[他者X]は、
自分・[フツーの人 P]
のこと
を、
悪くは、思わないであろう
([他者X]は、[フツーの人 P]に対して、感謝の意を持つだろうから)
ゆえに、それ以降、
自分・[フツーの人 P]
と
[他者X]
とは、
とても良好な人間関係でもって、やっていくことができるであろう
(4)で、その方法は?
[フツーの人 P] は、更に考えた。
では、
[他者X] の [尊ばれたい願望]
を
満たすために、
自分・[フツーの人 P]は、
いったい、どのようにすればよいのか?
そのためには、
「
私・[フツーの人 P] は、
あなた・[他者X]を、
尊んでいますよ
」
と、いうことを、
何らかの方法によって、
[他者X] に
伝えたら、よいではないか!
それが、[他者X]に伝わったならば、[他者X]の心中の、[尊ばれたい願望]は充足され、[他者X] は喜ぶであろう
それを、[他者X] に伝えるための、とても簡単な方法が、あるではないか!
自分・[フツーの人 P]
が、
[他者X]
に、
相対した直後に、
自分・[フツーの人 P] の目の位置
の標高
が、
低くなるように、
自分・[フツーの人 P]
が
何らかの動作を行え
ば、よいのだ
さぁ、実験開始。
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[phase 1]
いま、ヤマタイ国の道路の上で、
[フツーの人 P]
と
[大人 T]
とが、出会ったとしよう。
下図(Fig 2.2)が、二人が出会った瞬間の、
[大人 T]の想像している中での、
[フツーの人 P]の心象風景を表現したものである。すなわち、
[大人 T]は、思う、
「あの、道路の向こうにいる、[フツーの人 P]は、オレ([大人 T])のこと、どれほど、尊く(尊いものと)、思ってくれてるんだろうなぁ? これ(下図 Fig2.2 に示されたような)くらいかなぁ? 自分([フツーの人 P])よりも、オレ([大人 T])のこと、これくらい、より、尊い(尊ばれている)人だ、てなふうに、思ってくれてる(下図 Fig2.2 に示されたように)
のかなぁ?」
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[phase 2]
次の瞬間、[フツーの人 P] は、頭を下げた。その結果、[フツーの人 P]の目の位置の標高は、減じた。
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[phase 3]
そして、次の瞬間、この[大人 T]の心中の思いの図に、ある変化がおこる、[ステージのせり上がり]という変化が。そして、このフレイムワーク図は、下図へと変化する。
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二人が出会った瞬間の
[大人 T]の心中の思い(Fig 2.2)
と
[ステージのせり上がり]が終わった後の、[大人 T]の心中の思い(Fig 2.4)
を、並べて描くと、下図のようになる。
上図に見るように、Fig 2.2 と Fig 2.4 の比較において、
[フツーの人 P]の[degree of 尊ばれている]は、等しい量になっており、
[大人 T]の[degree of 尊ばれている]は、ステージがせりあがった分だけ、より大きい量になっている。
この図にあるように、
[フツーの人 P]の[degree of 尊ばれている]が、
[ステージのせり上がり]の前後で、
等しい量となるように、
[ステージのせり上がり]が行われる
のだ
と、いうように、私は、考えたのだ。
このように、[[大人 T]の心中の思い]の世界において、
[大人 T]の[degree of 尊ばれている]は、
[フツーの人 P]が頭を下げる前より、
[フツーの人 P]が頭を下げた後の方が、
大きくなる。
すなわち、[[大人 T]の心中の思い]の世界において、
自分([大人 T])の、[degree of 尊ばれている]が、増大する
言葉を変えれば、
「あれぇ、[フツーの人 P]は、オレ([大人 T])のこと、オレが思っていた(Fig 2.2)よりも、もっと大いに、尊んでくれてたんだぁ(Fig 2.4)。うれしいねぇ」
と、思うようになる、ということである。
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この逆のケースが起こったとしたら、どうなるだろうか?
いま、ヤマタイ国の道路の上で、
[フツーの人 P]
と
[大人 T]
とが、出会ったとしよう。
[大人 T] 、[フツーの人 P]に対して、頭を下げて、いわく、
「こないだは、どうも、ご苦労様。よくやってくれたおかげで、助かった。礼を言いますよ、ありがとう、ありがとうねぇ。」
その後、おそらく、[フツーの人 P]の脳内には、大量のドーパミンが湧出し、
[フツーの人 P]、心中に思う、
「イヤイヤァ、あのような、おエラい方が、このオレみたいなもんに、頭を下げて、あのような、ていねいな言葉をかけてくださった! すばらしい方だなぁ、あのお方はぁ!」
と、いうことになるのではと、思うのだが・・・。
[フレイムワーク [尊ばれている] と 高度 の舞台]を使えば、このケースのメカニズムについても、説明できるのでは、と、思うのだが、さて、どうだろうか?
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2.4 おじぎをする相手の人数を、増やせば増やすほど
このような経験を重ねていくうちに、我々の祖先は、
おじぎをする相手となる人の数
を、
多くしていけば、いくほど、
社会が円滑に回っていく
(ある人が、別のある人の事を悪く思う、というような現象の頻度を、少なくしていける)
と、いうことを、知っていったのでは、ないだろうか。
おじぎをする相手となる人の数を多くしていけばいくほど、多くの人の[願望 尊ばれたい]を、満たしていくことができる、その結果、社会を、より円滑に、回していくことができる、ということを、知っていったのだろう。
だから、日本人は、なにかというと、お辞儀をするようになったのであろうと、私は、想像する。
なお、この章に述べたような考察を進めるに当たり、最初のヒントとなった話がある。それは、仏教の経典の中にある話だ。その詳細は、後の[4 仏教経典中のある話]に、記した。
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3 おじぎの他にも
日本人に知られている、目の位置の標高の下げ方としては、おじぎの他に、下記の方法がある。
3.1 土下座
この場合には、土下座をしている人の目の位置の標高は、土下座している人の前に立っている人の足の位置の標高と等しくなる。よって、おじぎの場合よりも、動作の前と後での、目の位置の標高の変化は、大きくなる。
かつて、(もしかしたら、今でも?)、
店のスタッフの人に、むりやり、土下座をさせて、XXX・・・
と、いうような事が問題になったことがあった。
いったいなぜ、その時、その人は、店のスタッフの人に、
土下座を、させたかった
のだろうか?
頭を下げる側の人の、
動作の前と後での、目の位置の標高の変化
が、大きければ大きいほど、
その頭が下がる様を、相対して見ている人 の側の
[願望 尊ばれたい]の充足度
は、
高くなる
と、いうことなのだろう。
よって、
土下座を強いた人の心中には、
とても大きな、[願望 尊ばれたい]
が、
あったのでは、
と、私は、想像する。
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3.2 五体投地
これは、仏教における動作である。(これを行わない宗派もあるようだ)。
五体(両手、両膝、額)を床面に接して、仏や高僧を礼拝する、という動作である。
この時、この動作を行う人の目の位置の標高は、み仏の足がある位置の標高と、イコール、もしくは、それよりも更に低い、という事になるだろう。
土下座の場合には、頭を下げる人の目の位置は、相手の足の位置よりも上になるだろう。
よって、土下座の場合よりも、五体投地の場合の方が、動作の前と後での、目の位置の標高の変化が大きくなる、ということになるだろう。
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4 仏教経典中のある話
上記の、[2 身を低くするとは、いったいどういう事なのか?] の考察を進めるに当たり、最初のヒントとなった話について、ここに記す。
[阿含経典]の[南伝 相応部経典 三、八、末利]
に、以下のような話がある。
(以下は、[阿含経典 第四巻 訳・増谷文雄 筑摩書房](以降、[書物1]と略記)の 79P~80P を参考にしながら書いた。)
ある日、[コーサラ国]の[パセーナディ王]と、その[妃・マッリカー]が、討論を行った。
討論の議題は、「自分自身よりも愛しい者は、存在するか?」というものであった。
二人は、「自分自身よりも愛しい者は、存在しない」という結論に達した。
[パセーナディ王]は、[釈尊]のもとを訪れ、そのことを語った。それに対する[釈尊]のコメントは、以下の通りであった。
(以下、[書物1]の80Pよりの引用である)
「人の思いはいずこへも赴くことができる
されど、いずこへ赴こうとも
人はおのれより愛しい者を見出すことはできない
それとおなじく、他の人々にも、自己はこのうえもなく愛しい
されば、おのれの愛しいことを知る者は、他の者を害してはならぬ」