太平記 現代語訳 16-14 湊川の戦 楠正成と楠正季、自害す

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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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楠正成(くすのきまさしげ)は、弟・正季(まさすえ)に言わく、

楠正成 足利軍に前後挟まれた上に、わが軍と新田軍との距離も離れてもたわい。こないなってはもう、逃れようもないわ。まずは、前方の足利直義(あしかがただよし)軍を一散らししてから、後ろの敵に当るとしよかいな。

楠正季 よっしゃ!

楠兄弟は、自軍700余騎を前後に配置し、足利直義率いる大軍中に、突撃を開始。

足利直義 あの向かってくる軍、軍旗の紋はまさに菊水(きくすい)、楠正成だな! いよいよ、戦いがいのある相手が出てきたな。よぉし、楠軍を包囲して、殲滅せよ!

楠正成・正季は、足利直義軍に対し、東から西へ破(わ)って通り、北より南へ追い靡(なび)く。戦う相手として不足無しと思えば、馬を並べ、組んで落としては首を取り、戦いがいのない相手と見れば、一太刀打って駆け散らす。混戦の中に、7度合し、7度分かれる正成と正季。

楠正季 (内心)なんとかして、直義に肉薄して・・・。

楠正成 (内心)組みついて、討ち取ってしもたる!

楠兄弟の一念は、湊川の戦場にメラメラと、炎となって燃え上がる。足利直義率いる50万騎は、楠の700余騎に攻めたてられ、ついに、須磨の上野(うえの:神戸市須磨区)の方へ退きはじめた。

足利直義 うん? いったいどうした、この馬・・・右の足がおかしい! いかん!

直義の乗馬は鏃を踏んでしまい、右足を傷つけてしまった。彼をめがけて殺到してくる楠軍団・・・足利直義の命は風前の灯火。

薬師寺公義(やくしじきみよし) あっ、直義殿が危ない!

公義はただ一騎、蓮池(はすいけ)の堤(神戸市・長田区)の辺から、とって返した。

薬師寺公義 殿、ここは私が、さ、早く!

足利直義 おぅ!

公義は馬から下り、2尺5寸の小長刀(こなぎなた)の刃と柄の端の双方を使い、接近してくる楠軍メンバーの、馬の首を叩いたり胸にかかる紐を切ったりして、立て続けに7、8人ほどを馬から落とした。その間に、直義は馬を乗り換えて戦場から退却し、危機を脱した。

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直義の軍が、楠軍に追い立てられて退いていくのを見た尊氏は、

足利尊氏 新手(あらて)の援軍を、あの方面に送り込め! 直義を死なせてはならん!

吉良(きら)、石塔(いしどう)、高(こう)、上杉(うえすぎ)の軍勢6000余騎が、湊川の東方へ進み、楠軍を背後から圧迫し始めた。

楠兄弟は、取って返してこの軍勢に攻めかかり、駆けては打ち違えて殺し、駆入っては組んで落とし、6時間ほどの間に16回の戦闘を繰り返した。

このような長い長い戦いの末、ついに、楠軍は73騎が残るだけになってしまった。

楠正成 みんな討たれてしまいよったか・・・残っとんのは、これだけかいなぁ。

正成の軍略をもってすれば、たったこれだけの兵力であっても、囲みを破ってどこかへ落ちのびる事は可能であったろう。しかし彼は、「自分の人生、もはやこれまで」との覚悟を決して、京都を出てきたのである。

楠正成 なぁ、みんな! 今日という今日はほんまにもう、一歩も退かんとからに、とことん戦い続けたなぁ!

楠軍メンバー一同 ・・・。

楠正成 さすがのわしも、もう疲れたわい・・・そろそろ、腹切ってしもたろ。

彼らは、湊川北方に一群の民家があるのを見付け、一軒の家の中に走り入った。

正成は、鎧を脱ぎ、自分の体をつくづくと見つめていわく、

楠正成 あいつらもうほんまに、わしのこの体、よぉけ切り刻んでくれよったやんけぇ・・・ここに1個所、ここに2個所・・・「楠正成、計11箇所の負傷を負えり」ですわいな。

楠軍メンバーA わいらかてなぁ。

楠軍メンバーB 全員、満身創痍(まんしんそうい)やんけ。

楠軍のメンバー72人は残らず、3箇所ないし5箇所の傷を負っている。

楠軍メンバーA タイショウ、ほなわしら、一足お先に、行かしてもらいまっせぇ! なむあみだぶつ、なむあみだぶつ・・・。

楠一族13人と家臣60余人は、大広間に2列に並び、念仏を10回ほど唱えた後、一斉に腹を切った。

上座に座った正成は、弟の正季に対して、問い掛けた。

楠正成 あんなぁ、人間、死にぎわがいっちばん大事なんやてな。今わの際に、どないな事思ぉとるかによって、死んでからの行く先が決まるんやと。

楠正季 ・・・。

楠正成 おまえの、この世の最後の願い、いったい何や? 九つある世界(注1)のうち、どこへ、、おまえ行きたい?

楠正季 兄キ、わしの最後の願いはなぁ、

楠正成 おう。

楠正季 もうあと7回、この人間界に生を受けて、朝敵・足利を滅ぼしたい!

楠正成 エェーッ! またなんちゅう、罪業(ざいごう)の深い事、考えとるんやぁ。

楠正季 ほなら、兄キはどやねん! 兄キの最後の願いは、どんなんやねん?!

楠正成 わしかぁ?・・・わしはやな・・・もうあと7回、この人間界に生を受けて、朝敵・足利を滅ぼしたい!

楠正季 ・・・。

楠正成 ・・・。

楠正季 ハハハハハ・・・。(涙)

楠正成 ハハハハハ・・・。

楠正季 ・・・。(涙)

楠正成 兄弟そろぉて、また人間に生まれかわってな、この本懐(ほんかい)を遂げようやないかい! さ、正季、そろそろ行こか!

楠正季 兄キぃ!

楠正成 うん!

楠正成と楠正季は、兄弟ともに刺し違え、枕を並べて死んでいった。

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(訳者注1)地獄、餓鬼(がき)、畜生、修羅(しゅら)、人間、天上(てんじょう)、声聞(しょうもん)、縁覚(えんがく)、菩薩(ぼさつ)。これに「仏」を加えて十界という。
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橋本正員(はしもとまさかず)、宇佐美正安(うさみまさやす)、神宮寺正師(じんぐうじまさもろ)、和田正隆(わだまさたか)をはじめ、主な一族16人、それに従う武士50余人も、運命を共にした。

兄・菊池武重(きくちたけしげ)の使者として、状況視察のためにやってきた菊池武朝(たけとも)も、楠軍メンバー自害の場に出くわし、自分だけおめおめと帰れようかと、同じく自害し、炎の中に身を横たえた。

元弘(げんこう)年間以来、今日に至るまで、後醍醐天皇(ごだいごてんのう)の陣営について忠節を尽し、功を誇った人間は、いったい何千万人いることであろうか。

しかるに、足利尊氏が天皇に反旗を翻すやいなや、仁義を知らぬ者は、朝廷から受けし恩を忘れて足利陣営へ走り、勇気無き者は、死を免れんとして刑戮(けいりく)に会い、智慧持たぬ者は、時勢の変化を察知できずに、道に違う事を行うばかり。

それにひきかえ、智仁勇の三徳を兼ね備え、人間としてまっとうな最期を遂げた楠正成・・・古より今に至るまで、彼ほどの人物は未だかつて、この世には存在しなかった。

楠兄弟の自害こそは、天皇が再び政権を失って逆臣が威を振るう時代の到来を告げる、まさにその前兆であったといえよう。

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