太平記 現代語訳 17-12 脇屋義助、杣山への入城ならず、金崎への帰還を目指す
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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。
太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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10月14日、脇屋義助(わきやよしすけ)と新田義顕(にったよしあき)は、3,000余騎を率いて、敦賀(つるが:福井県・敦賀市)の港を立ち、杣山城(そまやまじょう:福井県・南条郡・南越前町)へ向かった。
瓜生(うりう)家の保(たもつ)、重(しげし)、照(てらす)の三兄弟は、種々の酒や肴を用意して鯖波(さばなみ)宿(南越前町)まで出向き、彼らを歓迎した。さらには、人夫5、600人に食料を運搬させて新田軍メンバーに与え、上を下にも置かないもてなしぶりである。これを見て、新田軍の大将も士卒も、瓜生家の人々を頼もしく思った。
献杯が下の者まで順に回った後、脇屋義助が飲んだ盃を、瓜生保が席を立って頂き、三度傾けた。その後、義助は保に、白幅輪(しろふくりん)の紺糸おどしの鎧1両を贈った。保は、瓜生家の面目身に余りと、感じ入っているようであった。
瓜生保は、館へ帰還した後も、新田軍の両大将(義助、義顕)のもとへ、様々な色の小袖(こそで)20着を贈り届けた。さらに、新田一族やその他のメンバーらが薄い着物しか着ていないのを見て、「痛々しくて、とても見てはおれない。メンバーお一人に小袖一着ずつ仕立てて、お贈りするとしよう。」と思い、蔵の中から、絹布や綿布を数千疋取り出し、裁縫を急がせた。
そのような所に、斯波高経(しばたかつね)よりの密使がやってきた。
使者 瓜生殿、これをご覧ください。先帝が発せられた命令書ですよ。ほらね、「新田義貞一族を追討すべし」って、書いてありますでしょ。
瓜生保という男、元来深く考える性質ではない。それが、足利尊氏(あしかがたかうじ)が偽造した命令書である、などということには、到底考えが及ばなかった。
瓜生保 (内心)うわっ! こりゃぁいかんでぇ。朝廷からおとがめ受けた無法の人らに味方してもて、大軍を動かすだなんて事をしたら、そらもう、わしゃぁ、天罰受けることになるでぇ。
保は、たちまち心変わりしてしまい、杣山城へこもって木戸を閉ざしてしまった。
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瓜生保の弟で禅僧の義鑑房(ぎかんぼう)という人がいた。
彼は、鯖波宿へ急行して脇屋義助らに面会した。
義鑑房 兄の保はねぇ、ほんと、じつに愚かな人間ですわ。足利尊氏がムリヤリ、天皇陛下に書かせた命令書を、まともに受けとってしまい、たちまち、貴方がたに敵対する意志を、かためてしまいました。
脇屋義助 なんだってぇ!
義鑑房 私がもしも弓矢を取る身であったらね、そりゃぁもう、兄と刺し違えて、共に死ぬところでしょうよ。でもまぁ、見てのとおりの、僧侶の身ですからねぇ・・・そんな事をしたら、仏様からおしかりを頂くから、黙って見ているしか、しようがなかったんです・・・じつに、口惜しい限りです。
脇屋義助 うーん・・・。
義鑑房 でね、私、色々と考えてみたんですけど・・・保にしても、だんだん詳しい事情がわかってくれば、最後は、貴方がたのお味方につくでしょう。
脇屋義助 ・・・。
義鑑房 もしかして貴方がた、幼いお子様を大勢引き連れての、行軍の途上では? だったら、その中から一人だけ、ここに留め置かれる、というのは、いかがでしょう?
脇屋義助 ・・・。
義鑑房 そのお子様をね、この義鑑房、懐の中、衣の下に隠しおいてでも、必ず、無事にお育てします。やがて時が来れば、そのお子様の旗揚げだって、お助けしてさしあげます。そうなったら、金崎の守りとなる勢力が一つ、誕生することになりますでしょう?(涙、涙)
脇屋義助 (ヒソヒソ声で義顕の耳に)なぁ、このお坊さんさぁ、おれたちをタブラカそうとして、こんな事を言っているとは、おれには到底、思えねぇんだけど・・・。
新田義顕 (ヒソヒソ声で義助の耳に)おれも、そう思います。この人、信用してもいぃんじゃぁ?
二人は、義鑑房のすぐ側に、にじり寄った。
脇屋義助 (ヒソヒソ声で)実はね・・・陛下は、京都へご帰還の直前に、こうおっしゃられたんだよ、
「足利尊氏に強制されて止むを得ず、新田義貞追討の命令書を発行、というような事も、将来、ありうるかもしれない。しかし、義貞、仮にもおまえが、朝敵の汚名を着るような事があってはならんのだ。だから、恒良親王に位を譲り、今後の国の政治の全てを委ねることにする。義貞は股肱の臣(ここうのしん)となって、親王を助け、再び政権を朝廷に奪回の、大いなる功績を建てよ」
とね。そしてな、三種神器を、親王に渡されたんだ。
義鑑房 (ヒソヒソ声で)はぁー・・・そうでしたかぁ!
脇屋義助 (ヒソヒソ声で)だからな、いくら「先帝よりの命令書だ」なんて言われてもだよ、「尊氏が言っている事なんだから、一切信用しちゃぁいけないよ」とね・・・思慮ある人ならば、そのように考えてくれるはずなんだけどなぁ・・・ハァー(溜息)。
脇屋義助 (ヒソヒソ声で)でもま、瓜生保が正邪を見分けられねぇようになっている以上、いくら口をすっぱくして、彼に説明してみても、ラチあかんだろうしなぁ・・・。
義鑑房 ・・・。
脇屋義助 それにしてもね、急ぎ兵をまとめて金崎へ引き返すのも、もう困難というこの時にね、貴方一人だけが、兄弟のよしみを曲げてでも、朝廷への忠義を全うしてこのように教えてくださったこと、まことにありがたい事だと、おれは思います。
義鑑房 ・・・。
脇屋義助 おれは、貴方を信じます。あなたに頼ってみようと思います。お言葉に甘えて、私のまだ幼い息子、義治(よしはる)を、預かっていただけませんか! なんとしてでも、あの子を守り育ててやって下さいませんか!
義鑑房 分かりました! どうぞ、お任せ下さい!
かくして、義助は、今年13歳になった息子・義治を、義鑑房に預けることにした。
脇屋義助 (内心)義治・・・おれはおまえに、一心の愛情を注いできたぞ。片時も側から放す事なく、荒い風にも当てないようにと、愛し育んできた。なのに、今ここで、信頼のおける若党の一人も付けずに、心も知らぬ人に預け、敵の真っただ中に、おまえを置いて行かなきゃならんとは・・・あぁ、息子と別れるとは、何と悲しい事なんだろう・・・再会できるのは、いつの日かなぁ・・・。
夜が明けた。
脇屋義助 義顕、いよいよおまえとも、さらばだなぁ。おれは金崎へ、おまえは越後へ。
新田義顕 それが・・・。
脇屋義助 いったいどうした?
新田義顕 昨日まで、おれたちに従うは3,500余騎。それが今朝になってみたらなんと、250騎だけ・・・。
脇屋義助 ったくもう! 瓜生の心変わりを聞いて、みんな、逃げていきやがったのかぁ!
新田義顕 こんな小勢では、敵中を突破して越後へ行くなんて、不可能です。
脇屋義助 じゃぁ、こうしよう、おまえもな、おれといっしょに、いったん金崎へ戻れや。それから海路で、越後に向かったら?
新田義顕 うん、そうします。
二人は、鯖波宿から共に、敦賀へ向かう事となった。
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ここに、越前国の住人・今庄浄慶(いまじょうじょうけい)という人がいた。
今庄浄慶 なになに、このあたりを、落ち武者が通るってか・・・よぉし、道中で襲ってやれ!
浄慶は、近在の野伏(のぶし:注1)たちを誘って集め、険阻な場所に枝つき逆茂木(さかもぎ)を設置し、鏃を揃えて、義助らの前に立ちはだかった。
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(訳者注1)落武者を襲って甲冑などを強奪する農民や武士の集団。
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これを見た義助は、
脇屋義助 たしかな、今庄久経(いまじょうきゅうけい)とかいうもん(者)が、こないだまで、坂本でわが軍の下にいたなぁ。あそこにいるやつらはきっと、その今庄の一族だろう。よもや、かつての恩義を忘れちゃぁいねぇだろうよ。誰か、あいつらの近くまで行って、交渉してみろ。
由良光氏(ゆらみつうじ) では、おれが。
光氏は、ただ一騎で今庄たちに接近して、声高らかに、
由良光氏 おぉい、おめぇらぁ、いってぇなに考えてやがる! 脇屋義助殿がなぁ、作戦会議に出席する為、杣山城から金崎へ、ちょっくらお出かけになるその道中と知って、そのように、道塞いでやがんのかよぉ? 矢ぁ一本でも放ちゃぁ最後、どこに逃げようたって、その罪からは遁れられんぞぉ。とっとと、弓伏せてなぁ、兜脱いで、そこをお通し申し上げろぃ!
今庄浄慶は、馬から下りて、
今庄浄慶 私の親、久経は、脇屋殿の下で軍忠奉公を致しました。いただいたそのご恩、まことにありがたく、思ってはおります。でも、我ら父子は、足利サイドと、先帝陛下サイド、双方の陣営に別れて所属しておりましてな、私は、斯波高経(しばたかつね)殿にお仕えする身です。
今庄浄慶 もしも、ここをお通しするような事になってしまえば、高経殿から、きつぅいお咎めを頂くことになってしまいます。だから、あえて、矢の一本でも射とかないかんなぁということで・・・いや、こんな事、わしの本意ではないんだけど・・・。
由良光氏 ・・・
今庄浄慶 どうでしょう、ここは一つ相談という事で・・・そちらサイドから、その名が足利サイドにもある程度は知られてるっていうような人をね、一人か二人、出していただけませんでしょうか? その方々の首を取って、「新田軍と、たしかに戦いを交えました」という事の証拠とする。そうすれば、わしの方も、斯波殿から咎められずにすみますわ。
光氏は、義助のもとに帰って、浄慶からの提案を伝えた、
脇屋義助 ・・・。
義助は、進退窮まって返す言葉もない。それを見た新田義顕は、
新田義顕 今庄の言い分ももっともだけどな、ここまで我々についてきてくれた士卒たちの志は、親子の間よりも重いよ。彼らの命に代って、自分の命を差し出すってんなら、おれにはできるよ。でも、自分の命を助けるために、彼らに命を捨て去せるなんて、そんな事、おれにはできないな! 光氏、おまえな、もう一度今庄のとこ行ってな、おれがこう言ってるって、伝えてくれ!
由良光氏 ・・・。
新田義顕 それでもまだ、今庄が無理難題を言ってくるんだったら、もう仕方ねぇよ、おれも士卒ももろとも討死にして、部下を重んずる義の心を、後世に伝えるまでのことだ!
光氏は再び浄慶の方に行き、様々に折衝を試みた。しかし、浄慶の決意を変えることができない。そのまま、数時間が過ぎていった。
由良光氏 えぇい、これだけ言ってもダメかぁ! よぉし!
光氏は、馬から下り、鎧の上帯を切って投げ捨て、
由良光氏 新田義顕様は、日本の為に無くてはならない大将。そんな大事なお方なのに、部下たちの身代わりになろうと言って下さってる。かたや、このわしは、一介の郎等、義に依って命を軽んじていかなきゃなんねぇ人間、ならば、わが身をもって、主君の命をお助け申し上げるべし! 今庄、さぁ、この光氏の首を取ってな、それとひきかえに、わが軍の大将をお通し申し上げろ!
言い放つと同時に、光氏は腰の刀を抜き、腹をはだけ始めた。その忠義の心を見て、浄慶はたまらず、
今庄浄慶 待て!
浄慶は、走り寄って光氏の手をしっかと押さえた。
今庄浄慶 待て! 待て!・・・自害なんか、しちゃいかん・・・自害するな!(涙)
由良光氏 ・・・。
今庄浄慶 そちらの軍、大将の言われる事も、部下の決意も、まことにご立派。たとえ、わが身がどのように罰せられようとも、貴方がたに対して、無情な仕打ちをする事なんか、わしにはとてもできない。さ、早くここを通れ!
浄慶は、弓を伏せ、逆茂木を引きのけ、涙を流しながら道の傍らにかしこまった。
由良光氏 浄慶殿!(涙)
新田義顕、脇屋義助も、これに大いに感激。義助は、鎧の左側に差していた金装飾鞘の太刀を、今庄浄慶に与えて、
脇屋義助 おれとこの義顕の運命、この先どうなるか分かんねぇ。もしかしたら二人とも、戦場の塵の中に消えてしまうかも。でもな、たとえそうなってもな、やがて、やがて、わが新田家の中から、再び天下を平定するような人が現われたら・・・今庄、いいか、その時が来たらな、おまえ、その太刀を持って名乗り出るんだぞ、わかったな。その刀がな、おれたちに対して尽くしてくれた、今日のお前の忠義の、何よりの証拠になるんだよ!
今庄浄慶 ハハーッ(太刀を受け取りながら)。
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世間の声A 由良光氏、立派だよなぁ。主君が危機の渦中にある時に、わが命をもって、主の命に替ろうってんだもん。
世間の声B いやいや、今庄浄慶だって、立派なもんさ。義の心を、互いにあくまで貫ぬいていこうとする新田サイドの人々の態度に感動してね、後日の禍も顧みずに、新田軍の前に道を開けたんだから。
世間の声C いやぁ、双方いずれも、ホント、立派なもんですよぉ。
世間の声多数 同感、同感!
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