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Terms Of Endearment

これは2年前の秋に,自分が経験したことです。

うつ病で休職していた従業員が、復職するにあたってカウンセリング。
快復したので、病気になった原因について話し合うことが可能となります。
そうする理由は、原因となった出来事を、現在から冷静に振り返りつつ分析し、他にその出来事を避け得る方法を模索することにあります。

原因となる出来事の大半は、パワハラ的な叱責、同僚とのトラブルや長時間残業等が主なので、そのような返答を期待していました。

返ってきた言葉は、弟が自殺したから。
弟に落ち度はないのに、離婚して親権を取られたから。

不意打ちなので凄いショックを受けました。
数分間、自分が何を話したのかも覚えていない程。
まず、この従業員の立場で、対策できる手段などある訳もない。

そして、この自殺した弟に自分自身を投影したため、自身もダメージを受けました。

そもそも、なぜ、これ程の衝撃となるのか。

世界中のおよそ全ての親にとって、子供に関する事柄は、親の心の最も弱い所、無防備な箇所を占めています。

それは、誰かを愛するということは、自分の心を分け与えることであり、分けたことでその部分が弱くなっています。
自分の体から離れた位置に存在する自分の心だからこそ、自分の愛する人に何か重大事があった場合に、異変を第六感的に感じ取ることも可能となります。

子供が幼ければ幼い程、子供は絶対的な庇護対象となるため、自分の心の相当な割合を分け与えることになります。
そして、ある日突然に不条理に、切り離されてしまう。

欠けた心、暗黒の穴が空いた心で、どうやって生きていけるのか。
喜びや楽しみの感情は、すべて吸い込まれてしまいます。

残念ながら、この問題を時間が解決することはなく、穴は存在し続けます。

裁判所は、事案処理の一環として、親権・監護権・面会交流を前例踏襲で機械的に処理をします。
その処理により、人が死ぬ可能性があることを理解できないし、しようともしない。
それは、許されないことです。

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