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受験の思い出【キャリコンサロン編集部】

今週のキャリコンサロン編集部からのお題は「受験の思い出」

過去の、どの「受験の思い出」にしようかと思いましたが、はるか昔の42年前(1980年)を思い出して、入社試験の思い出について、書こうと思います。

■学生時代

大学は商学部に入学しました。2回生(当時の呼び方です)の時に、ゼミの選択があり「損害保険論ゼミ」を選択。ゼミの教授の専門は「フランスの保険事業」。なぜ、教授がフランスの保険事業に興味を持ったのか?それは、「パリが好きだから」と、確か、初めてのゼミでお話していたのを覚えています。3年間のゼミで、最終的に仕上げた卒論は「これからの自動車保険(自賠責と任意の一本化について)」でした。当時は、今ののように、パソコンも無く、ワープロさえ無い時代です。全て、原稿用にに手書きで作成しました。書き損じると全て書き直しです。

4回生になって、進路をどうするかと迷いましたが、損害保険会社に絞って、就職活動を行いました。

■就職活動

当時は、今のように3年時からでは無く、4回生の10月1日が、いわゆる会社訪問解禁日でした。10月1日、人気企業の本社前に長蛇の列ができるというのがニュースになっていたのを覚えています。但し、実際は、その前からの動きはありましたが・・・。

当時、京都の大学だったので、大阪で就職活動を行いました。私も、某損害保険会社の大阪本社に並びました。そして、1日に3社から4社、会社訪問をしましたが、保険会社の数はそれほど無いため、4日間か5日間で初訪が終わり、あとは、取り敢えず、2次面接を待つことになりました。外資系の1社以外、何社かは2次か3次まですすみましたが、結果だめでした。そうなると、もう保険会社で行けるところが無いわけです。残るは、外資系1社の返事待ちのみです。正直、めちゃくちゃ不安な気持ちになりました。就職できなかったら、どうしよう・・・・

そこからは、仕方なく、保険会社以外の会社への訪問を始めました。その時は、とにかくどこでもいいから、内定がほしい・・・そんな気持ちでした。

そこから、まだ募集している会社を探し、会社訪問を行いました。「高級下着メーカー」「着物メーカー」「スポーツ用品メーカー」「アルミサッシメーカー」などなど・・・。履歴書も今と違って、全て手書き作成なので、これはこれで大変な作業でした。

そして、ついに2社から内定をもらい、そのうちの1社である「スポーツ用品メーカー」に行く覚悟を決め、10月27日の「内定ランチ会」に参加しました。ところが、その日、下宿に戻ると、大家さんからの伝言で、選考途中の外資系保険会社から電話があったというのです。当時は、スマホなど無い時代です。自宅であれば固定電話も有りますが、下宿生は、大家さんの自宅の電話から取り次いでもらうしかなかったのです。それを聞いて、すぐに公衆電話に走り、保険会社に電話しました。すると、ついに内定でした。その日、スポーツ用品メーカーに決めたばかりだったので、一瞬、どうしようかと思いました。ゼミの先生と両親に電話をすると「わけのわからない外資系よりも、老舗のスポーツ用品メーカーに行った方が良い」との返事です。

しかし、ここで、自分としては、もともと保険会社に行きたかったこと、そして、どちらを選んでも、もし、その会社や仕事が嫌だった時、後悔しないのはどっちだろうと考えました。すると、答えはすぐに出ました。

■外資系保険会社に入社

翌日「スポーツ用品メーカー」に内定辞退のお詫びの電話をし、外資系保険会社への入社を決めました。決め手は「初志貫徹」「後悔しない選択」です。そしてわずか4日後の11月1日、東京での入社内定式に参加しました。

結果として、その会社に入社した後、30歳の時に、新設のグループ保険会社に出向、その後転籍し、60歳の定年退職まで30年間勤めました。

■最後に

今から振り返ると、自分の選択は間違って無かったと思っています。当初からやりたかった仕事を、何と38年間もやることができたわけです。但し、贅沢なことを言えば、もう少し若い時に、別の仕事も経験出来れば良かったかなとは思います。私の会社は、完全に副業禁止でした。今や、時代の流れは変わっています。これからの若い人は、サラリーマンの特権を活かして、副業にもどんどんチャレンジすることを勧めています。


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