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"僕のとなりの"夏鈴さん

◯◯:...ふぅ...


18時。重い身体を引きずって会社を出る。


この瞬間、少しだけ元気になる気がするのは僕だけではないんじゃないだろうか。



しかし、生憎外は雨。


◯◯:うわ...傘持ってないよ...


予報は確かに晴れだったはずなのだが。にわか雨と言うやつか。


『今日傘持っていかなかったでしょ?ほら!』


真横から声が聞こえた気がして目をやるが、もちろんそこには誰もいない。



僕から別れを告げた恋人が戻ってくるはずはないのだから。


◯◯:...ふふ...滑稽だな...


わざと自嘲して段々と強くなる雨の中へ飛び込む。


後悔してももう遅いのだ。




"どちらの事"も。


__僕が決めたことなんだから。

_______________

いつも通り服を着て、テーブルに置かれた封筒を持って部屋を出ようとすると、背後から鬱陶しい声。


??:...ねぇ...そろそろさぁ..."仕事以外"で会ってくれてもいいんじゃない?


夏鈴:...そういうのは禁止されてるんです。ごめんなさい。



??:えーっ...他の子は10回くらい指名したら会ってくれたんだけどなぁ..."いくら積めば"オレのものになってくれる?



クソったれ。あんな何も考えてないヤツらと一緒にするな。


"女は金で買える"なんてアンタの勝手な妄想でしかない。


そんなんだからその歳になって独身なんでしょ。



夏鈴:...ありがとうございました。失礼します。


危うく口から出てしまいそうになった悪態を何とか飲み込んでそれだけ吐き出し、振り返ることなく私は部屋を出た。


...相変わらずの胸糞悪い日常。



何人NGにしても変わらない。


どいつもこいつも結局同じ事しか考えてないんだから。



男なんて...所詮女の身体目当てでしかないんだから。



まぁ私もお金の為だけにやってる訳で、ある程度の覚悟は出来ているのだけど、不快なものは不快。


溜息を吐いて迎えの車に乗りこみ、いつも通りオーナーに封筒を渡す。



友香:...お疲れ様。


走り出した車の窓から外の景色を見る。


ビル街を抜け、バイパスに入ると海が見える。


遥か遠くの水平線をぼうっと眺めるこの時間が好きだ。


数少ない現実に戻れる時間。いや、忘れられる時間か。


夏鈴:...友香さん。お話があるんですけど。


友香:...ん?どうした?


運転席の友香さんはこちらを見ることはせず微笑む。少し間を置いて、私は口を開いた。




夏鈴:...この仕事、上がりたいなって。


友香:...何となく気付いてたよ。ここ何回か、ずっと言おうと思って言えなかったでしょ。


夏鈴:...すみません。


友香さんは変わらず微笑む。


友香:...いいよ。正直"この世界"向いてないなって思ってた。私が言うのもなんだけど、マトモな仕事じゃないもんね...ふふ...


夏鈴:...今までお世話になりました。本当に。


友香:...とんでもない。万が一お金に困ったら連絡してきていいからね?



私の家に着き、部屋のドアが閉まるまで友香さんはいつもの優しい笑顔で見送ってくれた。


夏鈴:...ふぅ...


いつも通り帰宅早々ソファに倒れ込む。一日の疲れが一気に押し寄せるが、解放感にも浸れる矛盾したこの時間は嫌いじゃない。




__あれから何ヶ月経ったろう。


"隣に住む彼"との最後の逢瀬から。


玄関に傘を掛けておけば必ず逢いに来てくれた君は、今ではもう傘を掛けておいてもここに来てくれることはなくなった。




__当然だ。あんな突き放し方をすれば。


でもきっとそれで良かったんだ。



私から離れればまた彼には希望がある。


もしかしたら別れた恋人とよりを戻せるかも知れない。



その方がいいに決まってる。


どちらにせよこの部屋で過ごすのも今日が最後だ。



明日にはこのソファも"新居"へと運ばれて行く。


都心から少し離れた郊外の新居へと。


しばらくは何もせず、のんびりするつもりだ。


それだけの資金は貯まっている。


仕事やらなんやらは、その後ゆっくり考えればいい。


夏鈴:...


今思えば虫のいい関係だった。


たった独りでやってきた私を容赦なく襲う大都会の洗礼。


その苦しみの捌け口として彼に縋った。


彼には恋人がいると知っていながら。


彼も彼で、そんな私を受け入れ続けた。


"都合のいい関係"なんて所詮建前でしかなくて。


気付いたら本気で好きになってしまってた。



__でも。




__私は空っぽだった。



どんなに彼を求めても、求められても



満たされることは無かった。



彼が恋人と別れてまで私を選んでくれた時にさえ。



夏鈴:...お腹空いたな...


毎日決まった時間に襲ってくる後悔を誤魔化すようにやってくる空腹。しかし部屋にはもう冷蔵庫もないので私は仕方なく近くのコンビニに夕食を買いに行くことにした。


靴を履き玄関を開けると、先程まであんなに晴れていたというのに外は雨。


夏鈴:...げ...雨か。


仕方なく玄関に置いてある傘を差し歩き出す。


雨の時のこの独特の匂いは嫌いじゃない。


しかし段々と大粒になり傘にのしかかる雨は私の心まで重くする。



__あったんだろうか、"これ以外の選択肢"が。


色々な人たちの顔が頭に浮かぶ。


地元で私を心配してくれている親、友人。


もうとっくに吹っ切れたはずの"元彼"。


そして__隣の部屋の彼の顔。


考えるまでもない。選択肢など無限にあった。


今よりもずっと幸せになれたであろう未来。


しかし私はことごとくそれらから目を逸らし続けた。


自分への戒めだと言い聞かせて。


__違う。そんな綺麗なものじゃない。



私は...



最後まで"演じたかった"んだ。



絵に書いたような悲劇のヒロインを。




なんと愚かな。


自分から不幸になろうとする者が幸せになれるはずないのに。



_______________

降り続く雨は勢いを増すばかりで、僕はコンビニの軒先で雨宿りを余儀なくされていた。


__意識的に来ることを避けていた自宅近くのコンビニ。


料理が苦手な"隣の彼女"とよく来た場所。


彼女は今、どうしているだろうか。



身体だけの関係を続ける内に本気で好きになってしまった貴女。


__結局、彼女にとって僕は都合のいい存在でしかなかった。当たり前だ。


そういう約束で始まった関係なんだから。


愛し"合って"いるのだと勝手に僕が勘違いしていただけ。


いつもどことなく影のある彼女にどんな事情があるのかは知らない。


でも。




やけに生活感のない部屋。


玄関に飾られた知らない男性と写った写真。



たまに見る黒塗りの車に煌びやかな服装で乗り込む姿。


部屋に干してある彼女には似つかわしくない"派手な下着。


__そして、僕らのあの関係。


本当は気づいていたのかもしれない、心のどこかで。


彼女はきっと僕の隣にはいてくれないんだ、と。


◯◯:...


何を今更悲しむことがある?


都合のいい関係だった。お互いに。


彼女は一人暮らしの寂しさを、僕は恋人への不満の捌け口を求めただけ。


いつ終わっても文句の言えない関係だったはず。


土砂降りの中、僕は煙草に火をつけた。


いつもより苦い、湿気った味が後悔を助長する。


会いに行けば良かったんだ。


"あの後"何度も見た、彼女の部屋のドアノブに掛けられた紫色の傘。


でももう以前の関係には戻れない気がして。


僕には彼女を求める資格はないのだと思い込んで。


◯◯:...会いたいよ...夏鈴さん...


吐き出した煙と共に消えていく独白は、当然彼女に届くはずはない。


急に温かくなった頬に構わず、雨で消えてしまった煙草を捨て、2本目に火をつけた__




__その時だった。



??:...こんなところで雨宿り?


視界を覆う紫色。その下には




__ずっと会いたかった彼女の姿があった。


________________

何かの間違いかと思った。


土砂降りの中、到着したコンビニの喫煙所に"彼"がいたのだ。


彼は濡れることも最早気にならないのか、空を見上げ何やら呟いている。


あまりにも弱々しい姿を見て、私は不思議と可哀想とは思わなかった。






ただ、愛しかった。



何故そう思ったのかは自分でも分からない。でも私は。



もう一度彼に会いたかったんだと



その時ようやく気づいた。




夏鈴:...こんなところで雨宿り?


声を掛けると彼は目を見開き、しばらく無言で私を凝視した。


まるで幽霊でも見たかのような顔で。


夏鈴:ぷっ...あはは...何その顔。



私は笑った。久しぶりなんじゃないかと思うほど大声で。


◯◯:...夏鈴...さん。


そんな私を見て彼は申し訳なさそうに俯く。


なんで...君がそんな顔...


こうなったのも全部私のせいなのに。


なんで...君はいつも...そんなに...


傘を差しているはずなのに濡れた顔に構わず、私は彼に言った。


夏鈴:...今日...家...来ぃひん?風邪...引いてまうで。


◯◯:...そっ...そんな...良いんですか?


信じられないといった顔の彼に昂る気持ち。


もういいんだ。悲劇のヒロインは終わり。


どんな人生を歩んできたって



今までどれだけの人を裏切ってきたって





幸せになる権利は無くならない筈...でしょ?


夏鈴:..."この傘"が見えたんやったら...ウチは絶対に断らんよ。知ってるやろ?


◯◯:うう...夏鈴さん...会いたかったです...ずっと...ずっと...!!


夏鈴:...男の子なんやからそんなすぐ泣いたらアカン。でもそんな弱い男も...嫌いやないけどな。


年甲斐もなく泣きじゃくる彼の頭を撫で、私は彼の手を取り歩き出した。


私たちの少し歪な思い出の詰まった、"あの部屋"へ。


 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

◯◯:それじゃ、行ってきます。


夏鈴:...うん、今日は残業?


◯◯:...まさか。いつも通り定時で帰りますとも。


出掛ける間際、僕の袖を遠慮がちに掴む恋人を抱きしめる。


夏鈴:...ホンマに?約束やで?

◯◯:ふふっ...僕が夏鈴さんとの約束破ったことあります?


夏鈴:ない...けど...


俯いたままこちらを伺う彼女に口付け、笑う。


◯◯:...これからもずっとそのつもりですよ。愛しています、夏鈴さん。


夏鈴:う...ウチも...愛してる...で?



もう一度彼女を抱き締め、僕は部屋の扉を開ける。


◯◯:うわっ...雨だ...


夏鈴:...これ...持ってき?


彼女が差し出す紫色の傘。


◯◯:ありがとうございます、じゃあ...行ってきますね。


彼女は僕が曲がり角を曲がるまで恥ずかしそうにずっと手を振ってくれた。


貴女がくれた至って普通の幸せな日常。


相変わらず恥ずかしがりで素直じゃなくて


誰よりも愛しい貴女。



これからもずっと



"僕のとなりの"貴女で居続けてくれることを願っています__


____________end.

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