究極の二者択一
◯◯:...17時か...
霞む目でデスクの上の時計を見ると同時に、定時を知らせるチャイムが鳴る。
◯◯:...山下さん。後やっとくから上がっていいよ。今日定時日だから。
隣の席でパソコンとにらめっこする新入社員に声を掛けると、彼女は申し訳なさそうにこちらを伺う。
彼女は新入社員の山下瞳月さん。僕の直属の部下で現在絶賛トレーニング中。
瞳月:...すみません...終わりませんでした...
◯◯:いいんだよ。昨日より全然進んでるじゃん。進歩進歩!
瞳月:...あの...先輩...いつもすみません...フォローばかりして頂いて...
引っ込み思案な性格なのだろう。いつももじもじしている姿にもだいぶ慣れてきた。
??:...瞳月ちゃん。◯◯くん相手にそんな畏まらんでもええんよ?後は私たちに任せて、また来週お願いね?
向かいのデスクからこちらを見ることなく声を掛けてきたのは森田ひかるさん。クールだが面倒見のいい先輩だ。
瞳月:...お2人共ありがとうございます。お先に失礼します。
ペコッと音が聞こえてきそうな可愛らしいお辞儀をして、帰っていく後輩の後ろ姿を見送り、引き継いだ仕事に取り掛かる。これならすぐ終わりそうだ。
ひかる:...いい子やね、瞳月ちゃん。
◯◯:そうですね。真面目だし、見込みもありそうです...それに...
ひかる:...可愛いって?
◯◯:えっ!?急にどうしたんですか?
ひかる:...何かいつも瞳月ちゃんがおる時ヘラヘラしよるけん。
◯◯:そっそそそそんなことないですよ!?
ひかる:まぁ瞳月ちゃんは確かに可愛いけんね。仕事に支障出さなきゃいいんじゃない?
こちらをじっと見ながら口の端を釣り上げて笑うひかるさん。
予想外の質問だが、正直図星だったので狼狽えてしまった。
◯◯:...もう...変なこと聞かないでくださいよ...
山下さんが入社して3ヶ月。何となくふわふわして女の子らしい彼女に惹かれてしまっているのは事実。
しかしそれを先輩に指摘されてしまうのは中々に恥ずかしい。
ひかる:...
そんな僕を少し目を細めて見つめ、ひかるさんはパソコンの画面へと戻る。僕も残り僅かになった仕事を片付け始めた。
ひかる:...おつかれー。
◯◯:お疲れ様です。
15分程の後、無事に本日の業務を終えた僕たちはエレベーターに乗り込んだ。
◯◯:ひかるさん、この後暇ですか?
ひかる:...暇やけん、あんま重たいのは勘弁ね?牛丼とかカツ丼とか。
◯◯:...何でわかったんですか...
ひかる:すぐそこに出来たばっかやけん、そろそろ来るかなぁと思っとったんよ。全く...女の子誘うならもうちょっとオシャレなところの方がいいんやない?あっでも...瞳月ちゃんはラーメン好きやって言っとったね。
◯◯:...もう、からかわないでくださいよ...
お互い一人暮らしの僕らは、仕事帰りこうしてよく一緒に食事をする。僕が入社したての頃、ミスで落ち込んでいた時にひかるさんが誘ってくれたのが始まりだ。
◯◯:...じゃあファミレス一択ですね。あっでも金曜だし、飲み屋でもいいか。
ひかる:...いいでしょう。ふふっ...
その時。会社の門を出た僕らの前に思わぬ人物が現れた。
瞳月:お疲れ様です!
◯◯:...し...山下さん!?
そこには先程帰ったはずの山下さんが立っていた。
ひかる:...もしかしてずっと待っとったん?
瞳月:はい...あの...仕事終わりいつもお二人でお食事なさってるのが羨ましくて...もし...お邪魔でなければご一緒させて頂きたいと...
◯◯:えっ!?そ...そうだったんだ...
顔を真っ赤にして俯く山下さんに見蕩れていると、ひかるさんに脇腹を小突かれる。
ひかる:いいじゃん、そろそろ◯◯君と2人でご飯も飽きたし、3人で行こ?
◯◯:...言い方ちょっと気になりますね...僕は全然大丈夫ですけど。
瞳月:あっありがとうございます!えへへ...
そんなこんなでよく行く個室の居酒屋へと3人でやってきたのだが。
◯◯:...ひかるさん...ちょっと飲みすぎでは...?
彼女の脇には空になったビール瓶が3本。明らかにいつもよりハイペースだ。
ひかる:いいのー!瞳月ちゃんが来てくれてばり嬉しいっちゃろ?ほら!アンタこそちびちび飲みよってもっと飲まんと?それとも私の手酌じゃ不満?
◯◯:そそそそんなことないです...ありがたき幸せ...って言うか山下さんごめんね?お酒飲めないのに連れて来ちゃって...
瞳月:...ふふ...とっても楽しいですよ?お2人は本当に仲良しなんですね。
いつもの数倍早く酔っ払ったひかるさんと彼女に振り回される僕を見て山下さんは笑った。
ひかる:まぁ◯◯くんが入社した頃から面倒見ようけんねぇ...可愛い後輩ってとこ。
瞳月:...羨ましい...
◯◯:えっ?なんて?
呟きはか細くて聴き取れなかった。
瞳月:なっ、何でもないです!
ひかる:...ちょっと外すね。
◯◯:...えっ...ひかるさん?どこへ...
ひかる:そんなの1つしかないやんね?無粋な男は嫌われるとよ?
僕の肩をやや粗めに叩いてひかるさんはお手洗いへ。
途端に山下さんが少し僕との距離を詰めてくる。
◯◯:...へっ!?どっ...どうかした?
瞳月:あの...◯◯さんとひかるさんって...その...付き合ってたり...するんですか?
伏し目がちにこちらを伺いながら問い掛ける山下さん。心臓が跳ねる。
◯◯:えっ!そんな...僕とひかるさんは...そんなんじゃないよ...ほら...ひかるさんモテるでしょ?社内の男性陣はきっとみんなひかるさんのこと狙ってるよ。ひかるさんも僕のこと"そんな風"には見てないと思う...僕なんてただの冴えない下っ端だし。
瞳月:...鈍感なんですね...じゃあウチにもチャンスあるかな...
またしても聴き取れない程か細い声。しかし今度は察することが出来た。
山下さんが、僕の手に掌を重ねてきたのだ。
◯◯:...!!!!
瞳月:...冴えないなんて言わんとってください...ウチは優しくて頼りになる◯◯さんのこと...好きです...ウチは..."そういう風に"...見てますから。
突然の出来事に言葉が出てこず、しばらく見つめ合っていると、個室の扉が開く。咄嗟に山下さんは僕から離れた。
その後戻ってきたひかるさんと3人で何事もなかったかのように談笑し、気付けば閉店の時間に。
瞳月:...今日は本当に楽しかったです!またご一緒してもいいですか?
ひかる:...もちろん。また誘うけんね!
ひかるさんは山下さんの頭を撫で、お金をを渡してタクシーに乗せる。
扉が閉まる直前、彼女は僕に向かってウインクをした。
またしても心臓が跳ねる。
ひかる:...何ぼーっとしよると?ウチらも帰るよ。
◯◯:あぁ...はい。
先程の出来事が何度も頭を巡り、無言のままひかるさんの隣を歩く。彼女も何故か何も言わずに歩き続け、気付けば家の前。
ひかる:...お疲れ様。ありがとうね。
◯◯:いっ...いえ...こちらこそ...いつもありがとうございます。
まだ上の空の僕を見てひかるさんは少し笑うと、僕の腕を強く引き寄せた。
◯◯:えっ!?ひっひかるさ...っっ!!!???
唇に当たる柔らかい感触。そして口内に入ってくる彼女の舌。
強いアルコールの匂いと、甘い吐息が脳に突き刺さり、僕の膝は面白いほど震えていた。
ひかる:...んんっ...ふぅっ...これで"1歩リード"...やね?
ゆっくり僕の唇から離れ、上目遣いでこちらを見つめたまま、彼女は呟いた。
◯◯:...えっ...と...これは一体...
呆ける僕にひかるさんは見た事のない顔で笑った。
ひかる:...ライバルが現れたけんね...私も負けんよ...ってこと。覚悟しといてね?それじゃ。
ひらひらと手を振りながら、部屋に帰っていくひかるさん。僕は爆発しそうな心臓を抱えながら、しばらく扉を見つめることしか出来なかった。
__もしかしなくても僕は...
とんでもない二者択一を迫られているのかもしれない___
__________end.
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