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強がりなラベンダー

◯◯:...ただいまー。


仕事を終えて足早に到着したアパートには当然僕以外の誰もいない。



それでも何となく『ただいま』と言ってしまうのは何故だろうか。




◯◯:...はは...1人って思ってたより寂しいものですね..."ひかるさん"...


玄関に飾ってある写真立てを手に取り独り言ちる。写真立ての中の彼女は今日も凛々しい。


同じ部署の先輩にあたる"森田ひかる"さん。僕の恋人。


小柄で愛らしい見た目からは想像もつかないほどの敏腕ぷりで、若いながら課長の職を務めるキャリアウーマンだ。


勤勉でいつでもクールに何でもそつなくこなす姿は文字通り"凛々しい"。


以前大きなプロジェクトを2人で任された時、右も左も分からない僕を励まし、成功まで支えてくれた。


その姿に尊敬以上の想いを抱いた僕から告白し、信じられないことにその返事は『OK』だったのだ。


その上『2人で暮らした方が楽だろう』と僕を気遣い、わざわざ部屋を新しく契約して同居までしてくれた。


歳上ということもあるのか、いつでも僕を優先し、助けてくれる優しさまで持ち合わせている。


僕には勿体ない程の素晴らしい女性。大切な人だ。


そんな彼女も、今はここにいない__


近々始まる新事業の準備の為、1ヶ月前から遠い地へと出張中なのである。


手に提げていたコンビニの袋から弁当を取り出し、レンジで温める。ブーン、と言う耳障りな音に溜め息が漏れた。


彼女がいてくれた時は毎日交代で家事もこなせていた筈が、1人になった途端にこの始末。


こんな姿を見られてしまったらきっと幻滅されてしまうだろうなと思いつつも、日々の疲れと寂しさに勝てない。



しかし、新事業の立ち上げで1人新天地で頑張っている彼女の邪魔になってはいけないと、連絡も最小限に抑え、逢いに行くこともしていない。


◯◯:...ひかるさんは僕の事考えてくれてたりするのかな...


だとしたら嬉しいが、やはり軽率に連絡するのははばかられる。寂しさから彼女に甘え、心配をかけたくなかった。僕も頑張らねば。まだ1ヶ月しか経っていないのだから。


取り出したスマホを机に伏せ、僕は少し温め過ぎた弁当に手をつけた__

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玄関のドアを開け、靴を脱ぐと途端に恐ろしい疲労感が全身を襲う。


ハイヒールって誰が考えたんだろ。仕事だから仕方ないとは言え、何年経っても履き慣れない。


会社の新事業開拓の為、それまで彼と住んでいたアパートを離れ早2ヶ月。


この出張自体は半年の予定ではあるが、事業の進捗次第では延長も充分有りうる。


疲れた目でスマホから出前を注文する。



ひかる:...オムライスでいいか。


引っ越してきた当初は便利だと感じていた出前にもそろそろ飽きてきた。しかし見知らぬ地に1人でいるストレスからか、前のように自炊をする気にはなれない。




__彼の作る不格好なオムライスが食べたいな。


ふと頭にそんなことを思い浮かべた自分を鼻で笑う。


弱くなったものだ、と。


社会人になってからとにかくがむしゃらに仕事に励んできた。


同期の女の子達が色恋に夢中になっている間も。


負けたくなかった。仕事が好きだったから。認められる事が嬉しかった。


会社の人たちはそんな私の事を『仕事バカ』などと呼び、からかう。



彼はそんな私を『好きだ』と言ってくれた。



仕事しか能のない私を。



そんな彼の事が今は恋しくて堪らない__


ふとスマホを確認する。彼からの最後のメッセージは3日前のものだ。


ひかる:...だめだめ。そんな弱気じゃいけんよ...ひかる。


自分を奮い立たせ、着替えてメイクを落とす。



そう、耐えねば。辛いのは私だけじゃない。彼だってきっと寂しいはずだから。


何より、彼にこんな弱い姿を見せるわけにはいかない。


私は彼に連絡しようと取り出したスマホをベッドに放り投げ、先程到着した『やけに形だけ綺麗なオムライス』にスプーンを突き刺した__


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特に予定のない休日でも、いつも通りに起きてしまう自分が憎らしい。



ひかる:...


思えば引っ越してきてからろくに外出もしていない。


ひかる:...たまには外出てみようかな。


『良い仕事をする為には気晴らしも必要だ』と上司が言っていたことを思い出し、私は身支度を整え、家を出た。


住宅街を抜けると少し小洒落た商店街があり、まだ午前中だと言うのにそこそこの人で賑わっている。


その中でとあるカフェが目につき、何も考えず中へと入った。


『いらっしゃいませ、おひとり様ですか?』


無言で頷き窓際の席へ。凝ったデザインのメニューを眺めるが、内容が頭に入ってこない。


他に何組かいる客は全て男女のカップル。みんな楽しそうに談笑している。


『ひっ...ひかるさんは...何飲みます?』


ふと記憶が蘇る。初めてのデートでガチガチに緊張していた彼の事を想い出し、思わず笑みがこぼれた。


この孤独な状況の中で彼の事を考えている時間だけが、私を支えてくれる。


『ご注文はお決まりですか?』


しかしそれも長くは続かず、店員の声で我に返る。


ひかる:あっ...じゃあアイスコーヒーで。


適当に注文して窓の外を見る。



__彼は今、どうしているだろうか。




昨日久しぶりに彼と電話をした。


久しぶりに聞いた彼の声は少し寂しそうで、私は泣いてしまいそうなのを必死に堪えた。



『さみしい』


『あいたい』


そんな短い言葉すら言えない自分に怒りすら沸いてくる。


遠距離恋愛中の恋人同士なら当たり前に生まれる感情の筈なのに。


そんな"当たり前"を見せる勇気がない。


彼も我慢しているのだから、等と言うのは言い訳だ。




__矮小なプライドに邪魔されて、言えなかっただけ。



知らない間に目の前に置かれていたアイスコーヒーを嫌な気持ちと共に一気に飲み下す。強い苦味が脳を揺らした。


いいんだ。今の私にはこれが相応しい。砂糖の様に甘い考えに縋っている私には。



鼻から抜ける苦い風味を吐き出し、私は2杯目のアイスコーヒーを注文した__


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??:◯◯くん、ちょっといいかな?


昼休み。思いがけない人に呼びかけられ驚く。


◯◯:...部長!?


部長は僕の手を少し強めに引っ張ると、そのまま目の前の部長室へと連れ込んだ。


◯◯:...あ...あの...部長、何か御用ですか?


部長:...いいよそんなに畏まらなくて。昔みたいに『友香』でいいから。


優しい笑みで僕を椅子に座らせてくれる友香さん。


僕とひかるさんの直属の上司にあたる人で、入社当時からお世話になっている。


困った時はいつもさり気なく助けてくれるまさに理想の上司。


そして、僕とひかるさんの関係を社内で知っている唯一の人物でもある。


混乱する僕の真正面に座った友香さんは、いつもの少し困ったような笑顔で言った。


友香:...寂しいよね。ひかるちゃんいなくて。


◯◯:......!!!!え...あ...それは...


いきなり核心を突かれて口篭る僕を尻目に、友香さんは続ける。


友香:...その様子だと図星だね。そんなことだろうと思った。


◯◯:...何で...


僕の前に1枚の書類を出し、苦笑いする友香さん。


友香:...昨日提出してくれたこの書類。誤字脱字のオンパレードだったよ?こんなこと初めてだったから、ちょっと心配になったの。それで色々想像したら、思い当たる節は"それ"しかなくて。


心底驚いた。そんな初歩的なミスをしてしまう程追い詰められていた事に。


申し訳なさと不甲斐なさ、そして友香さんの優しさに身体の力が抜ける。


◯◯:...仕事に私情を持ち込んでしまい申し訳ありませんでした。直ぐに作り直しますので...


友香:...ううん、私が言いたいのはそんな事じゃないの。ただ...こんなになるまで我慢してた理由が聞きたい。話してくれる?



逡巡__しかし迷惑をかけておきながら隠すのも申し訳ない。


僕は覚悟を決めて口を開いた。


◯◯:...お恥ずかしながら友香さんの言う通りです。この3ヶ月間...毎日寂しくて...正直すごく辛かったんです...でも...でも僕がそんな甘ったれた事言ってたら...きっとひかるさんに余計な心配をかけてしまう...大事な新事業の邪魔をする訳にはいきません。僕はひかるさんの仕事の後輩でもあるんですから...


友香:...わかってない。


◯◯:...え?


見た事のない友香さんの顔。



僕を見据える目は


間違いなく"怒って"いた。


友香:...あのね。◯◯くんは2つ間違いを犯してる。
まず1つ。君は"ひかるちゃんの後輩でもあるけど恋人でもある"んだよ?邪魔したくないから?違うよね?弱い自分を見せたくないだけなんじゃない?それは間違いなく君のエゴだよ。そんな事したってひかるちゃんは喜ばない。寂しいのなんて当たり前。恋人なんだから。


突き刺さる言葉にぐうの音も出ない。


友香:...2つ目。◯◯くんは..."ひかるちゃんが寂しい思いをしているかも知れない"とは思わなかったの?もしかして自分だけだと思ってた?ひかるちゃんはね...見た目ほど強くないよ。本当はすごく無理してる。それを支えてあげるのが、"後輩であり恋人である君"の役目なんじゃない?



◯◯:...!!!!



考えたこともなかった。ひかるさんが寂しい思いをしているかもしれない、なんて。


普段見せる完璧な姿...その裏に隠されたものに気付きもせず...甘えていたんだ、彼女に。


◯◯:...僕は...僕は...


涙が止まらない。この3ヶ月間の間に彼女から送られてきたメッセージ、短い電話での会話...その全ての真意がわかった気がして__


友香:...ごめんね、ちょっと感情的になっちゃった。◯◯くんが優しいのはよく知ってる。ひかるちゃんの事を本当に大好きなのも。だからこんな事で拗れて欲しくないの。自分が今何をすべきか...わかったでしょ?


◯◯:...はい...すみませんでした...無用な心配を...


友香:...まったく...男の子ってなんでこんなに自分の事になると周り見えなくなるんだろうね、ホントに困っちゃう。


笑顔に戻った友香さんは別の書類を僕の前に差し出した。


友香:さて...ここからは仕事の話なんだけど。今月残業し過ぎ。よって、君の心身的影響を鑑みて...今日から3日間の"強制休暇"を与えます。これは部長命令。


悪戯っぽくウインクする友香さん。


◯◯:...友香さん...


友香:あぁ...それとね..."ひかるちゃんのサイズは9号"。わかったら今日はもう帰ってよし。


また涙が溢れそうになるのを必死に堪え、僕は深々と頭を下げた。


◯◯:...お気遣い、感謝します!!


友香:...自分の気持ちに正直に、ね。


背中にあたる上司の声に後押しされ、僕は足早に会議室を後にした__


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上司:森田さん、今日はもう上がっていいよ。最近ちょっと詰めすぎだと思うから。


ひかる:...!!すみません...お気遣い頂いて...


出張先の上司に言われ、思い出したように疲れが襲う。


上司:...気にしなくていいんだよ。本当によく頑張ってくれて助かってる。明日から休みだし、ゆっくり休んでね。


ひかる:...ありがとうございます...失礼します。


優しさに少しだけ挫けそうになった心に鞭を打ち、会社を後にする。


__気を遣われてしまった。


やはり気取られてしまっているのだろう。この頃自分でも分かるほどに気分が落ち込んでいる。


部屋に帰った私は着替えもせず、ベッドへとダイブした。


ひかる:...ダメだ...寂しいよ...◯◯くん...


初めて口に出してしまった本音に、我慢していたものが溢れ出す。


頬をゆっくり伝うものに構うことなく私はスマホを取りだし、彼に電話をかけていた。



限界だった。


私は変わってしまったんだ。彼に出会って。


彼が居ない、それだけでこんなに弱くなってしまうほどに。


でももうそんなことどうでもいい。今は彼の声が聞きたい。



今なら正直に言える気がした。『寂しい』と。


◯◯『...もしもし?』


電話の声には騒音が混じっていた。恐らく屋外...仕事帰りだろうか。


ひかる:...お疲れ様。ごめんね、急に電話して...


◯◯『そんな...!!嬉しいです!ひかるさんの声聞きたかったから...』


耳元に響く彼の優しい声が心を溶かす。


ひかる:...あの...さ...笑わないで聞いて欲しいんだけど...


そこから約1分ほど。私は言葉を紡ぐことが出来なかった。


『あいたい』


たった一言が言えずに。



◯◯『...ひかるさん?』



心配そうな彼の声に我に返る。



ひかる:ううん...なんでも...ない。



◯◯『...』


電話口の向こうで黙ってしまう彼。


いけない。困らせてしまった。たった一言でいい...言わなければ...



必死に言葉を紡ごうと口を動かすが、声が出ない。



__言葉が出てこない。



なんで...私はこうなんやろ。


今更強がってなんになるん?一言『あいたい』って言えばいいだけなのに。



傲慢で弱い自分が嫌になり、血が出そうな程下唇を噛み締める。




その時だった__


ピンポーン


ひかる:...!?ごめんね、誰か来たみたい...



こんな時間に誰だろうか。そもそも尋ねてくる人など居ないはずだが...



通話を繋いだまま玄関を開けると









そこには彼が立っていた。


ひかる:...えっ!?◯◯...くん!?


彼は照れくさそうに微笑み、私を抱きしめると震える声で言った。


◯◯:...ひかるさん。ごめんなさい。僕...間違ってました。寂しい思いをさせて...本当にごめんなさい...!


ひかる:......っっ!!!!



__私の中で押し止めていた感情が弾けた。


ドアが開いていることにも構わず、彼の胸で子供のように泣いた。


彼はそんな私の頭を撫で、扉を閉めて中へと入ってくれる。


ひかる:...ゔぅ...ひっく...わた...わたしもっ...ひっ...さみじがっだ...でも...言えなかった...ひっく...勇気...どうしても出なくて...ゔぅぅぅ...ごめんなさい...



◯◯:...僕がいけないんです。自分が寂しいばかりで...ひかるさんのこと...支えてあげなきゃいけないのに...



彼の声にも涙が混じっているのがわかる。私は必死に首を横に振った。


ひかる:もういい...もういいの...ありがとう...本当に逢いたかった...来てくれて嬉しい...


彼の体温、匂い、心臓の音を全身で感じたくて私は彼を強く抱き締めた。


どれくらいそうしていただろう。彼は優しく私の顎を引き、私の顔を上へと向けさせる。


◯◯:...ふふっ...やっぱり勇気を出してここまで来て正解でした。こんなに...こんなに可愛いひかるさんが見られたんですから...


見上げる私の涙を拭い、彼は笑う。急に彼が大人に見えて途端に恥ずかしくなり、目を背けてしまった。



◯◯:...それと...今日は渡すものがあるんです。



彼が大切そうにカバンから出した小さな箱。



◯◯:...開けてみてください。


ひかる:...これ...は...!!


予想外の贈り物。中には__




__シンプルなデザインのシルバーリング。


驚きを隠せない私の前に彼は跪く。


◯◯:...ひかるさん。今回の事で痛感しました。僕は"弱い男"です。だから...強くなります。大好きなひかるさんのために...!!何を捨てても...必ずひかるさんを守ります...だから僕と...僕と...結婚してください!!


__こんな感情は生まれて初めてだ。


誰かをこんなに...こんなに愛しいと思えるなんて。



私は涙を拭い、跪く彼の頭をもう一度力一杯抱き締めた。


ひかる:...私も...気付いたんよ...自分がこんなに弱い女やったんやって...◯◯くんがいなきゃ...もう生きていけないんやって...そのくらい...大好きなの...やけん...私からもお願いします...私と...結婚してください。



私たちは顔を見合せ、笑った。昨日までの辛さなど跡形もなく消え去るほど清々しく__


________________

友香:...一応聞くんだけど...これは何?


休み明けの月曜日。友香さんのデスクに僕が提出した封筒には


『辞表』


と書かれている。


◯◯:見ての通り、辞表です。今までお世話になりました。


友香:...何となく予想は出来るんだけど...理由を聞いてもいいかな。


困惑気味の部長の姿にも、僕の決意は揺るがない。"彼女"と相談して決めたことだ。


◯◯:...大切な人の...傍にいる為です。もう僕はこれがバカげた理由だとは思いません。友香さんのお陰で、本当に大切な事に気付くことが出来ました...この恩は一生忘れません。



友香:んー...そこまで言うなら止めはしないけど...今日付で◯◯くんに辞令が出てるんだよね..."一応"目を通してくれる?


◯◯:...辞令...ですか?



怒られるかもしれないと覚悟していたのだが、何故か友香さんは笑っている。


戸惑いながら受け取った辞令にはこう書かれていた。



辞令

△△ ◯◯を××月××日付で

"**支店"へ異動とする。


◯◯:......!!!これ...は...


**支店とは...今まさに彼女が...ひかるさんが立ち上げている支店の名前...という事は...


友香:...簡単に辞めるなんて言わないで欲しいなぁ...人事のお偉いさん説得するの...結構大変だったんだよ?...で、この"辞表"...どうする?



◯◯:...友香さん...本当に...本当にありがとうございます!!一層引き締めて取り組ませて頂きます!!



友香:...それでよし。向こうでも大変だろうけど、頑張ってね。苦しくなったらいつでも帰っておいで、もちろん2人で。それと...式には必ず呼んでね?



◯◯:もちろんです!!!


友香さんは優しく微笑むと、僕の提出した"紙切れ"をゴミ箱に放り込んだ。


部長室を出た僕は晴れやかな気持ちで、スマホを取りだした。そこにはひかるさんからのメッセージが。


_______________

こっちにはいつ帰ってくるん?早く会いたい。
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◯◯:ふふっ...随分素直になりましたね...ひかるさん。



僕は我慢出来ずに、電話をかける。伝えなければ、これ以上ない朗報を。


いつでも僕を想ってくれる、寂しがりで愛しの人へ___




____________end.

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