東京オリンピックが我々に教えてくれたこと
東京オリンピックを観ていて感じたこと、其れは「ピーキングが人生をも変える」ということです。出場する選手にとってオリンピックとは今後の人生を大きく変える格好のチャンスです。逆に、そのチャンスを逃してしまった選手は先ず第一に応援してくれた人やスポンサー、各関係者に申し訳ないと思うものであり、更にチャンスを逃してしまったことを悔やみます。
実際には、どちらも必要のないことなのかもしれません。特に申し訳ないと思う必要はどこにもありません。公平な選考を経て選ばれた人たちですから、他の選手が出たって結果は似たようなものです。ましてや、単なるファンの人たちはどうあがいても勝てるようなレベルの人ではないのですから、申し訳ないと思う必要は一切ないのですが、選手というのはそういうものです。
50キロ競歩の丸尾さんが応援に来ていた洛南高校陸上競技部時代の恩師中島道雄先生の前を通るときに申し訳なさそうに頭を下げていたという話を聞いて、こちらまで涙が出そうになりました。丸尾さんはベストタイムや過去の実績を見てもメダル候補の筆頭でした。分かりやすく言えば、日本の50キロ競歩とは男子マラソンのケニアなんです。ケニア代表になった時点でメダル候補の筆頭にあがるのと同じです。それが、30番台という結果でした。
マラソンにしたって、一山麻緒さん、鈴木亜由子さん、前田穂南さんの3人を比べても力の差はそうなかったはずです。男子に至ってはMGCでは3番手だった大迫さんが入賞を果たし、あとの二人は何とか完走しただけというだけでした。そして、何よりもロンドンオリンピックの金メダル獲得者のスティーブン・キプロティチが途中棄権、リオデジャネイロオリンピックではメダルを獲得したゲーレン・ラップが入賞を逃すなど、事前の実績など何の役にも立たないことが露呈しました。
男子の5000m、10000mでは力の半分も出し切れないままに終わり、一方で三浦君は予選でさらに自身が持つ日本記録を更新し、良い意味で過去の実績があてにならないことを証明してくれました。田中希実さんと廣中さんも同様です。廣中さんは5000mも非常に惜しかったですね。あと一歩のところで入賞で、10000mでダブル入賞まで文字通りのあと一歩でした。10000mに関して言えば、廣中さんの一つ後ろに入ったのは、ドイツのクロスターハルフェン・コンスタンツェ、私と3000mの自己ベストがほとんど変わらず(私は3000m8分25秒、彼女も正確に覚えていませんが、なんかそのくらい)、私の中では最強の女性だったので、コンスタンツェ選手よりも上に来た廣中さんの凄さを改めて感じました。
対照的だったのが、新谷さんです。新谷さんはもともと性格に浮き沈みがあり、個人的にはそこが魅力だと思います。本気の集中力というのは長続きしませんし、たとえ一時でもそこまで集中できることは純粋に尊敬してしまうところです。ただ、今回は何らかの原因で集中しきれなかったのでしょうか?それとも体調面で上手くいかなかったのでしょうか?情報はいっさいないので分かりませんが、明暗をくっきり分けることになりました。それで言えば、ワコールの安藤友香さんもオリンピック出場を決めるあのレースでは終盤まで廣中さんと競り合っていただけに悔やまれます。
誤解の無いように書いておきますが、オリンピックという舞台で力を出し切るのは難しく、誰がやったって今回出場する選手を大きく上回ることはなかったと思います。寧ろ、良い結果を出した選手が多かっただけに、明暗がくっきりと浮かび上がりましたが、今回は結果を残せた選手が素晴らしいのであって、それ以外の選手の走りが不甲斐なかったとは一切思いません。選手からすれば、当然「参加することに意義がある」とは思えません。みんな一様にショックでしょうし、おおかれ少なかれ応援してくれた人に申し訳ないと思っているでしょうし、実際に筆者も何人かの選手からそのようなお言葉を頂いております。
ただ、別に私は不甲斐ないとは思っていないですし、誰がやったって今回出場した選手の結果を大きく上回ることがなかったということに関して、反論のある人もそういないでしょう。
あくまでも、その上でですが、やっぱり今大会を観ていて、狙ったレースに向けてピークを作ってくるピーキングが明暗を分けたように感じざるを得ません。どの選手も充分に力はある選手たちですから。特に、マラソンや50キロ競歩のように距離が長くなるレースほどピーキングの差が大きくなります。テレビでご覧になられている方は、ただ練習して、食べて、寝て、後はたまたま調子の良い時があったり、悪い時があったりすると思っておられるかもしれませんが、決して陸上競技のパフォーマンスはランダムにはなっていません。ピークを持っていこうと思って、一流の選手と指導者が共同作業を進めても100発100中という訳ではありませんが、少なくとも、狙ってもないのに、ピークが作れるほど甘い世界でもありません。人間の体も思考もランダムには出来ておらず、やはり所定の手順を踏んでいくことで、ゴールにたどり着くことが出来るのです。
瀬古利彦さんを筆頭に、かつて何人ものオリンピック選手や日本記録保持者を育て上げ、早稲田大学競争部の礎も築かれた中村清先生の著書『見つける、育てる、生かす』から抜粋しましょう。
「長期にわたるスケジュールの組み立ては、トンネル工事に似ているーそう思うのであります。
トンネルは、片方からのみ掘り進むのではありません。向こう側とこちら側から掘り進んで、真ん中でピタッと合うものです。こちら側から、目指す試合を決めたら、どういうふうにやっていくか、というプランを練ります。部分部分、つまりは単なる一日一日の練習、行動をいかに織り込んでいったら、それがまとまって、一つの大きな競技力になりうるか、冷静に判断していかねばなりません。
当然、この部分部分は、試合の日から逆算して、この日は何をやらなきゃいかん、そして次の日はこれだ、というふうに、設定されていくのでなければ意味がありません。こちらから目指す試合を見通して、試合の日から逆算する形で、向こうからもこちらを見通すのであります。
トンネル工事のミスをいかになくすか、これは大変に重要なことであることは疑いのないことであります。そのためには、設計段階での調査、見通しが、完全なるものでなければならないのです。
いざ、掘り進んでみたものの、落盤、出水、けが人続出、はては手前側と向こう側からの合致点がずれていたのではどうしようもありません。
こういう事態に立ち入った時、当然、設計主、管理責任者の責任が問われても仕方ありません、素晴らしいトンネルを掘り上げて共に喜ぶか、大失敗して泣くか、トンネル工事は、設計段階が、大きな意味を持つと言えるでしょう。
(中略)
頂上アタックのチャンスはわずかに数時間
それはトレーニングを何か月も前から仕組んでやってくる。この前の項で、試合日から逆算して組み立ててやってくる、と述べましたが、最後の詰めの段階では、調子の最高の波を、いかにして試合当日にぶつけるか、これが最重要課題となってくるのであります。
これが難しい。どんなにハードなトレーニングを積み、力を蓄積してきたとはいえ、調子の波の高まり部分を維持できるのは、せいぜい三日間くらいしかないのです。
ちょうど、これは、登山にも似て、なかなか難問なのです。エベレストの頂上を攻略するためには、あらゆる物資と多くの人を投入します。ふもとの村では、シェルパの応援も頼みます。さて、そこから、一気に直線で登る訳にはいきませんので、行きつ戻りつのジグザグコースをたどりながら、一歩一歩の行軍となります。そしてたっぷり時間をかけてたどりついた、頂上アタックの為の最終キャンプで、最後の戦いが展開されるのであります。途中から、数を減らしてここまで何人かが来たとしても、酸素ボンベ、食料には限りがありましょう。
屈強な誰かが、最後の頂上へのアタック要員となったとしても、ここまで来て、今度は気象条件との闘いであります。変化しやすい山の気象条件下、頂上をアタック出来るのは、何時間もないと言われています。
多くの金と、人と、物資と、時間をかけてここまで来て、頂上へのアタックチャンスは、わずかに数時間なのです。
一度失敗したからと言って、再チャレンジを試みようものなら、それは死を意味するーと言われるほどの厳しさです。
コンディショニングの成否が勝敗を分ける
簡単に「ピークの持っていき方を失敗した」と言って済まされるぐらいのお遊びなら、諦めもつきましょうが、命を賭けてやる世界では、失敗は絶対に許されないのです。
もちろん、瀬古の場合においても許されるものではありません。
最高の調子が、試合の三日前に来たら早すぎます。四日前ならもっとダメ。試合が終わってから調子が上向くようでは、あとのまつりというものです。力の差のほとんどない者同士が、何人も出ぶつかり合うようなレースでは、コンディショニングの成功、失敗は、勝負に直結するのです。試合の前に、どうも調子が上がって来ないと叩いたら、早く来すぎてレース前に頂上を超えてしまうかもしれない難しさ、頂上の手前とばかり思っていたところが、実は頂上だった、或いは、頂上だと思っていたのに、実は調子は下降線に差し掛かっていた、などという掌握の難しさがあるのです。
調子の最高点を100点としたら、95点の上りと95点の下りがあります。ここらを、レースの行われる、わずか一時間の間に、どんぴしゃりと持っていくこと、これが最高であります。中村も、瀬古も、そうなるべく懸命の努力をしております。試合当日というより、試合の行われる時間帯に、最高の調子をもっていく、確かに至難の業ではありますが、決して不可能なことではない、そう信じております。
試合の最中にベストコンディションが訪れるとはどういうことか。スタートして5キロ、10キロの間は身体の調子がどうもいまひとつ、苦しいなと思いながら集団に食らいついて走っているうちに、15キロ、25キロあたりから調子がぐんぐん調子が上がってきて、折り返し当たりからはもう絶好調、あとは思いのままに突っ走れる態勢が出来上がることを言うのであります。こうなりますと、後半に訪れる勝負どころは、最高のコンディションで闘えるというわけです」
『見つける、育てる、生かす』中村清著
狙ったレースに向けて最高の状態を合わしていく、そして私にはそれが可能かどうかは分かりませんが、レースの時間まで計算に入れて最高の状態を作っていく、そして、それはレースの何か月も前から仕組んでいたことが一つになった瞬間であり、決してランダムに成し遂げられるものではありません。一見、レースには関係がないように思えるレース3か月も前からの練習が最後の全てかみ合うかどうかの紙一重の闘いです。
今回の東京オリンピックをご覧いただいても分かるように、超一流選手とていつもいつも上手くいくわけではありません。ですが、断言できることはあります。それは、人間の体も精神もランダムに出来ている訳ではないので、偶然狙ったレースの日に最高のコンディションが訪れることは先ずないということです。
人間は身体も精神もプログラミングすることによって、ある物事に対して特化した能力を発揮することが出来ます。これは陸上競技も例外ではありません。特に、マラソンなどの長い距離になればなるほど、そうです。確かに一部の文化人類学者が主張するように、我々の祖先のルーツは持久狩猟民族だったかもしれませんし、個人的にはかなり信憑性の高い説だと思います。
ですが、原始時代にはある決められた距離を全力で走るということは絶対にしなかったのです。狩りの途中だって、本当に全力を出し切ってしまえば、次に狩られるのは自分です。東京オリンピックのマラソンゴール直後の服部君の前に肉食獣が表れたら黙って食べられるしかないでしょう。逃げる方も同様です。これから走るのが1500mなのか5000mなのか分からないので、初めの1500mで全力を出し切るように初めからペース配分する訳には行きません。
陸上競技が本能に反する行為であり、ある距離を目標とするレースペースで走り切れるように体の能力を特化させることであるという一つの事実から、トレーニングは計画的かつ構造的にピーキングの概念を入れたものでなければなりません。
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