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体と心と魂と
体と心と魂は三位一体。
密接に繋がっている、と言われている。
実父は先日、大腸ガンの手術を受けて入院中。
手術は治療目的ではなく、余生をより生きやすくするためのもの。
だったにもかかわらず、高齢のためか、ガンの進行のためか、はたまた過去の手術痕の癒着が原因なのか、術後、腹膜炎を起こして緊急再手術になり、生死の境を彷徨った。
当初、2週間程度の入院で済むはずが、思いの外、長引いている。
手術の後、父は錯乱状態が続いた。医師によると、麻酔などの後遺症で70代以上の男性に多いらしい。おまけにしばらく絶食状態が続き、最近、やっと重湯から口に出来るようになった。
食事を口から摂れるようになると、意識もはっきりしてくるとのこと。
この話を聞いて、ふと思い出したことがある。
数年前にヒーリングやチャネリングを習った折、高次の見えない存在と繋がるには、「地に足をつける」と言う意味合いの「グラウディング」がすごく大事で「食べること」もその一つと教わった。
セッション後にクライアントさんにお茶やお菓子を出すのは、グラウディングのためでもある、と聞いて「ほーっ、なるほど」と思った。
「食べること」は、意識や魂を体に納めるための行動の一つなのだ。
父は、生死の境を彷徨ったことで、意識と魂が一旦体から離れた。
身体を動かせなかったり食事を摂れなかったりで、三位一体のはずのそれぞれが分離して戻れていない状態なのかもしれない。
フワフワ浮いた状態が続いてるのかしれない。
患者の生と死を垣間見る機会が多い医療現場の方々は、「食事が摂れるようになるとグラウディングが出来る」を経験的に知ってるのかもしれない。
術後、早くからリハビリを始めるのも、意識や魂が体に戻って馴染みやすいからなのかもしれない。
そんな風に感じた。
余生を生きるための手術で逝ってしまっては、父も無念極まりないだろう。
早く戻ってこーい。
遠方に居る私は回復を祈るばかり。
以上
「ふみサロ」提出用のリブリオエッセイでした。
6月のお題は「記憶する体」
読んでいるうちに、「体と心と魂は三位一体」だということ思い出しまして。
それをテーマに書いてみました。
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