私のスチュワーデス物語
子供の頃の夢の一つは、スチュワーデスになる、だった。
綺麗な制服を着て、英語が堪能で、スマートな身のこなし。子供心にすごく憧れていた。
物心ついてからも変わらず、将来は英語に携わるお仕事がしたい、とも思っていた。
それが、いざ大学受験を迎えた時、現実を目の当たりにして愕然とした。得意と思っていた英語が全く歯が立たないのだ。
ど田舎の高校生にとって、全国区の模試は超難問に感じた。おまけに、私の辞書には「努力」とか「勤勉」という文字が無く、早々に白旗をあげた。
「英語に携わる仕事に就く」なんて到底無理。
私が英文科を目指すなんて、ちゃんちゃらおかしい。
目の前の目標を見失った私は、偏差値だけで雑多な学部を適当に受験し、合格した中から気まぐれに選んだのが京都の短大の国文科だった。
だが後になって「あーっ、ここを選んで良かった!」と思えた。
勉強熱心な学生では無かったが、課題提出のために図書館に籠って重箱の隅をつつくような調べ物をするのは、これが案外面白かった。
万葉集の世界に引き込まれ、源氏物語や平家物語の世界観を学ぶのも楽しかった。
古都京都という土地の影響も大きかったかもしれない。
ところが、いざ就職活動となった途端、厳しい現実に引き戻された。
売り手市場のバブル期の就活にも関わらず、希望通りの内定がもらえるのは自宅生ばかり。地方出身者は不採用の嵐。当時の関西では地方出身女子への明らかな就職差別があった。夢や希望に満ちて頑張っていた友人たちが、都会での就職を諦めて傷心地元に帰っていく。私も早々に諦めて親が敷いたレールに乗ることにした。
短大の就職課を覗きに行くと、地方出身者には無縁の花形企業の求人票が所狭しと並んでいた。
その中に、航空会社のスチュワーデスの求人票を見つけた。
応募条件に書かれた一文に目が釘付けになった。
「容姿端麗」
学力や英語力だけでなく、容姿でも到底敵わない。
私のスチュワーデス挫折物語。
以上
ふみサロ提出用のビブリオエッセイ。
今月のお題は「カタカナ英会話」。
お題の本からインスパイアされたテーマでエッセイを書く、というもの。
「カタカナ英会話」を手に取ってみて、「あーっ、私、英語にかなりのコンプレックスを抱えてるんだなぁ」と気付かされてしまった。英会話ブームの時も、海外旅行ブームがやってきた時も、頑なに「私、日本人だもん」「日本がいいもん」と英語も海外旅行も拒み続けた私。そこには挫折体験があったようだ。
エッセイを書きながら気づいて、なんか我ながら可笑しくなった。
それに気づいた今も、やっぱり英語を学ぼうという気には全くならない。悪しからず。
私の前には依然として根強い英語コンプレックスが横たわっている。