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存在感ある演技派俳優 西田敏行さんの死のニュースに接して

すでに皆様もご存知の通り、俳優の西田敏行さんが先日(10月17日)ご逝去されました。76歳でした。心よりお悔やみ申し上げますと共に、ご冥福をお祈り申し上げます。

人間の一生というものは、必ず終わりが訪れるもの、ということを、最近マスコミ等で報じられる有名人の方々の訃報に接してしみじみと感じます。気付けば自分の齢も58。還暦までカウントダウンに入っています。最近、自分の年齢の重みをしみじみと感じる時があります。

さて、今回、西田敏行さんのご逝去のニュースを何故ここのブログで取り上げるのか、その理由・背景を説明させて頂きたいと思います。

勿論言うまでもなく、個人的には大好きな役者さんであり、演技派俳優の代表格、年齢と共に色々な役も演じ分けられる希少価値のある役者さんでした。ただ、それだけの理由であれば、日本には他にも沢山の素晴らしい役者さんがおられます。

実は、西田敏行さんとのテレビ画面を通しての出会いは、今から遡ること、昭和の時代の1980年に放送された、あの有名な「池中玄太80キロ」というテレビドラマとその主題歌でご自身が歌っておられた「もしもピアノが弾けたなら」という歌でした。丁度、私がまだ中学1年生の頃でした。

私が在籍した中学の文化祭の出し物で、中学2年生の時だったと記憶しています。

ピアノの弾き語りパフォーマンスとして、私が何と、当時流行っていたこの「もしもピアノが弾けたなら」を弾き語りスタイルで演奏したのでした。それも1回だけではなく、何回かに分けて演奏したと思います(確か3回か4回だったような)。

自分で言うのは何ですが、それなりに人気のある演目で、文化祭の中でも結構注目されていたことを思い出します。

自分の自慢話になり恐縮ですが、当時は校内でも、野球部の主将で4番でエースピッチャーの大黒柱、また生徒会会長も務める存在で、校内ではひときわ目立った存在であったことは事実でした。そこで、この時、ピアノまで弾き語りで演奏して、まさに有頂天の時であったのは事実ですね。あの頃に戻りたい!

そんな自分の良き若き頃の思い出の中に、西田敏行さんがしっかりといつも一緒に出てくるのでした。

社会人になってからも、カラオケで、この「もしもピアノが弾けたなら」を歌った回数は数え切れません。あの頃の自分に戻れる気分になれる曲ということで、何度も選曲したのだと思います。思えば、今、折角ピアノを習っているので、今度この曲(弾き語り)に再挑戦してみたい気持ちになってきました。

さて、西田敏行さんについては、よくアドリブの上手い役者さんと評されることが多いと思います。それは事実だと思いますが、天性の部分があると同時に、人の見えない所では、かなりの努力もされていたのではないか、と推察します。見ている人を惹きつける間と雰囲気を醸し出し、知らないうちに彼独自の世界に連れて行かれるような気分に浸ります。しかも、彼の世界はいつもとても居心地の良い場所なんです。

そして、彼は役者の世界の色を大きく変えた方かもしれません。

お世辞でも美男子/色男とは言えない顔立ち、又スマートなスラリとした格好の良い体型とは一線を画する愛嬌のある姿・体型など、役者/俳優とは、昔の時代の映画スターに代表されるように、見映えが大きな要素を占めていました。その世界に、人間力と表現力を持ち込み、演技力で堂々と勝負できる役者さんの地位を確立することに、西田敏行さんは大きく貢献したように、私は感じています。

また一人、自分にとって思い出深き方が、この世から旅立っていかれました。

どうぞ、安らかに天国でお休みになって下さい。

リスク管理コンサル 髙見 広行