モーツァルトピアノソナタ第8番イ短調(KV310)の意味するものとは?
先日の弊社主宰のイベント「音楽と日本酒の会」にて、自ら演奏を披露しましたモーツァルト作曲ピアノソナタ第8番イ短調(KV310)について、今回は少し語らせて頂きます。
現在の私のピアノの先生より、この曲について先日説明を受けた時の話の内容が今でも鮮明に記憶に残っています。
モーツァルトが作曲したピアノソナタは全部で17曲、その内、「短調」の曲はたったの2曲だけで、その内の1曲がこの第8番であるとのこと。
モーツァルトの曲の一般的な旋律のイメージとしては、明るくて朗らかな曲が多いということなのでしょうが、私自身は、逆にその明るさに中に少しだけ見え隠れする「暗さ」のような部分を感じ取っていたことが何度かありましたので、「短調」の曲を選曲したことについて、何ら違和感はありませんでした。
それにもまして、私が昔小学校1年生から高校1年生まで続けていたピアノレッスンの中で、最後の発表会で弾いた曲が、実はこのピアノソナタの第1楽章だったということです。改めてその曲に、58歳の今チャレンジしたいという気持ちが強くなり、敢えて自分から先生にこの曲を弾くことを申し出たという経緯がありました。過去の自分に立ち返る気持ちで、という感情が心の底にあったのかもしれません。
そして、実はこのピアノソナタには、副題として、1778年にパリで作曲されたソナタ曲とあります。この意味するものとは、モーツァルトがお母様の死の知らせを聞いた中で作曲したものだったということです。なるほど、だから「短調」なんだと合点がいきました。
彼とお母さんの関係が実際にどうだったのか詳しいことは存じ上げませんが、その曲の中では、お母様のことを非常に慕っていたことを感じさせる旋律が幾つか垣間見れます。言葉ではなく、音で感じさせるところに彼の凄さがありますね。
改めてそのような裏事情を知って弾き直してみると、なるほどこの曲の奥深さを感じてしまいます。私にはできない芸当ですが、自分の母親に送る最後の言葉、それを音楽に残したというわけですね。素晴らしい。
そして、この曲を弾いたことがある方であれば、誰しもが感じると思うのですが、一見平易な簡単な曲に見えて、実は演奏家泣かせの場面が多々あり、非常にハードルの高いピアノソナタに仕上がっているところです。
案の定、先日の演奏では、その難しい箇所で躓き、みっともない演奏になってしまいました。でも最後まで止まることなく演奏を完走できたことに、安堵感を覚えています。
次回は暗譜して再度チャレンジしてみたいですね。できれば年内にそのような機会があれば、全力でモーツァルトの壁に挑みたいと思います。
ピアノとの付き合いは生涯続きそうです。