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自由に生きる力と責任を育てる保育

先日この本を読みました。
92歳で保育士をされているのこともすごいけれど92歳になってもまだまだ保育について追求したいという、尽きないと学び。その姿勢に驚かされます。学び続ける人はいつまでもエネルギーにあふれ、素敵ですね。


息子が今の保育園に通い始めて2年ちょっとが経ちました。認可外保育園だし、一般的な保育園と比べると、特徴のある保育園です。この2年ちょっと、私は園の方針や、子供、保護者への思い、関わり方に、日々多くのことを学ばせてもらっています。

地域新聞で今の園を知って、勢いで見学に行って、直感で入園を決めたんですが、この園は子供が成長していく過程において大事なことにちゃんと向き合ってくれそうだなという直感がありました。2年通ってみて、その直感が正しかったと実感しています。

「自由に生きる力と責任」さえあれば、どんな子も、どんな世の中でも幸せに生きていけます。この本にはそう断言してあります。92歳まで保育士している方が言うのだから説得力ありますね。時代の変化が著しく、何を持って成功か、(いや、成功がゴールじゃないし、ってこともあるよね)仕事のあり方や、幸せの形もどんどん変化している今。何ができるようになっておけば、将来困らないか、幸せに生きていけるか?正解なんてない時代になっていると思います。それでも、子供を持つ親だから、学力?英語力?芸術?音楽?スポーツ?これをやっておけばいいのかなぁ?ってわかりやすいものを、短絡的に求めてしまうこともあるし、早期教育にはこれがいいって情報があれば、いちいち流されそうになることもあります。でも、こんなにも様変わりする世の中で幸せに生きていくためには、どんな状況になっても、自分が自分らしく、見失うことなく、荒波が来ても乗りこなしていける力をつけておくことが必要ですよね。それがここでいう「自由に生きる力と責任」なんでしょうね。

この本の中に出てくる保育園で大切にされている「自由に生きる力と責任」を育てる保育について、うちの息子が通う園でやっていることと似ていることがあるので、実際私が見て、感じたことを書いてみようと思います。


一斉保育ではない
朝登園すると、特にやることは決まっていない。天気がいいとみんなで散歩行こう!と計画している日はあるけれど、行きたくない子がいれば、その子は残ることもある。この時間からこれをやります、と、やりたくない子がいても全員で一斉にやるなんてことはありません。やりたくないコンテンツだった場合、子供にとってみれば、無理してやらなきゃいけないと、楽しめない。みんなやってるのに楽しめない自分はダメなんだ、と否定することになるのかと思います。大人が用意するのではなく、自分でやりたいことを選んでやる。みんな一緒じゃなくていい、というのは自分が自分の楽しみを作れる、選択できるという力を日々学ぶことになるんじゃないかと思うのです。ちなみに私は幼稚園の時、「お絵かきか、粘土遊びか、絵本を読む時間です〜」って言われて、先生はなんとか選択肢を用意してくれたと思うんだけど、どれも全部苦手で、外で遊ばせてくれ〜〜〜!って思ってました。めちゃくちゃ退屈で、どれも上手にできないから、居場所がない感じがして苦しかったのを覚えています。

自分のことは自分で決める
保育園の様子を見にいく機会が今までに何回もあったけど、保育士が遊びの指示を出すことはないんです。やりたいことは自分で考えて、やる。もともと時間割とか今日やること、ってのが決まってないというのもあるんだけど、朝登園して、やりたい、と思ったことをそれぞれにやるって感じ。そして、それに対して、「これいいですか?」なんて子供達も大人の顔色を伺わない。天気がいいと保育園行く前から今日は川だな、とか、雨の日はカエルがたくさんいそうだからカエルとる!とか言って、自分のやりたいことを考えながら登園しています。与えられるのと、自分で考えて始めるのでは大きく違うんじゃなかなと思います。

クラスは縦割り
異年齢保育と言われるものだけど、そもそも全体でも15人くらいしかいない保育園だからクラスなんてない。みんな一緒。息子が入った時は最年少だったから、散歩に行くにも、大きい子と同じように早くは歩けなかったし、途中で転ぶし、帰りは疲れて歩けなくなるし。足手まといでしかなかったんだけど、大きい子たちは、小さい子はそういうもの、と理解しているようで、寄り添ってくれてました。疲れて歩けなくなれば、先に行っちゃったお兄ちゃんたちが戻ってきて、一緒に歩こう、と励ましてくれたり、手を繋いでくれたりしていました。別に保育士が「お兄ちゃんなんだから助けてやりなさい」と水を向けてる訳でもなく、毎日の生活でそうなっていくんでしょうね。おかげで今、息子は小さい子たちを半ば反射的に助けてあげるということができるようになりました。転んでいたり、泣いていたりするとどうしたの?と聞いたり、荷物が重そうであれば持ってあげたり。これは異年齢じゃなかったら育たなかった力だな、と思います。妹が生まれてからもヤキモチ焼くことなく、可愛い、可愛いと仲良くしてくれています。

子供に命令はしない
そもそも保育士のことを先生って呼んでなくて、対等な感じなんですよね。ちなみに私たち保護者のことも下の名前で呼んでくれる。一人ひとりをちゃんと尊重している感じがしていいです。そりゃ大人の方が色々知っているから、水を向けることとか、ちょっとアドバイスすることはあるけど。「これダメ〜」「あれダメ〜」とか「●●しなさい」みたいなことはほとんどないと思います。

こうした方針で保育をしている現場を見て感じることは、保育士は本当に子供の力を丸っと信じてるんだな、ってこと。この子ならできる。と信じて手を出さない、口を出さない。どうしてもの時も、まずは周りの子達がどう関わるのかをじっと見守る。周りの子達の関わり方、力も信じているんですよね。言うのは簡単だけど、これって結構難しいですよね、日々の育児でも。見習わなきゃ、と思うポイントです。

遊びでも生活でも、誰かにやらされるんじゃなくて、自分でやると決める。誰かの指示じゃないから「本当はやりたくなかったのに」とかストレスを感じることもないんでしょうね。たとえ失敗しても、どんな結果になっても、自分がやったことだから、納得感があるんじゃないかと思います。

本の中には、こうも書いてありました。
考えなければ子供は育たない「あれもダメ、これもやめておこう」ばかりだと何も経験できません。

どうしたって危ない!とか止めてしまいたくなることもあると思います。でも、子供たちをみていると、だんだんと自分の力は自分でわかってきていて、経験すればするほど、今の自分にできること、まだ無理なことを学習しています。自分の身体と知能と、子供ってちゃんと向き合ってるんだな、と感じます。

まぁ、ここに書いたように就学前を過ごして、この先どんな大人になっていくのかは未知数です。でも、今息子を見ている限りは、毎日が楽しそうで、自分に自信を持てていて、他者を思う気持ちが芽生えてて、キラッキラしています。この方針の保育がなかったらこうはなっていなかったとは断言できます。この自信やら思いやりが、この先の彼の人生を支えていていってくれたらいいな、と願うばかりです。

子育てで辛いのは、親が本来かすみ草として花を咲かせる子に対して「こんなはずじゃない、この子はバラに育つはずだ、育てなければ」と思い込むこと。子供を否定することです。不幸なのは「スゴイ人」になれないことより画一的な「スゴイ人」像を追い求めてほんとうの自分を否定すること、自分を認めてあげないこと。自分の力を発揮できぬまま終わること。

だそうです。子供は子供で自分の力を知って、それを最大限に表現しようとすること。親である私は、子供の個性を丸っと受け止め、どんなことができたって、できなくたって、素敵だよ、と丸っと受け止めること。子供と共に、私も自分の力を信じて、発揮して、自由に、そして、ちゃんと責任を取れる人生を送らなきゃな。


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