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誰にも読まれない原稿
誰も読まないかもしれない物語を書いている。もしかしたら誰か読んでくれるかもしれないけれど、誰も書き上がるのを待っていないことは確かである。
こうなると、自分のために書いているとしか考えられない。
では何故自分のために書くかといえば、それはやはりそこに物語があるからとしか答えようがない。
何故山に登るのかという問答と同じだ。
この頃は、自分のなかに物語が存在するのは、現実から逃避するためだと考えている。子どもの頃から、周囲との距離感に悩み、失敗と成功を繰り返してきた。その挙句に体得したのが、「自分ひとりきりの世界を築いてそのなかでひとりで楽しむ」という手法である。
余談だが、わたしはすっかり大人になりましたという年齢なので、ひとりきりの世界を楽しむ時間と、社会と交わって要領よく振る舞う時間とのバランスを保つのも上手になってきている。
読書や映画鑑賞や手芸が好きなのも、同じようなことだろう。
ひとりでいたい。誰のことも気遣う必要がないひとりきりの世界で、わがままいっぱいに過ごしたいと、わたしの場合はそればかり。
淋しい人間だなと思う。
淋し過ぎて、家族や友人と庭でバーベキューするのが至上の喜びという性格だったらどんなに良かったろうと考えることもある。
あるけれど、バーベキューが始まると、早く終わって欲しいという思いでいっぱいになるので、やはり向いてないのだろう。
本題に戻って、誰にも読まれない原稿(物語)は、可能な限り早く形になりたいと願っているのがひしひしと伝わってくるので、少しずつでもいいから進めていきたい。
こんなに長い物語は書いたことがないのに、ここ数週間は「これじゃあ辻褄が合わないからもう一回はじめから」という段階に陥り悩ましかった。
そして、今日ようやくはっきりと判った。
これじゃあ辻褄が合わない……ということが。
こうなったら、主人公とその家族のジェノグラムを作成するところからやり直すことにする。
誰も待っていないから、ゆっくりやれる。
まずは薄いコーヒーを入れて、ちびちびやりながら取りかかろう。
明日もお休みだったらいいのに。
○見出し画像は、『みんなのフォトギャラリー』から
okadatomokoさんの作品を使わせていただきました。
ありがとうございます。