#スポーツがくれたもの(藤原の場合)
「誰にも迷惑をかけずに、誰かのためになる力」
中学校時代はサッカー部でした。
高校生時代は帰宅部で、時々グリーンコートという小さなコートで
フットサルをやったりしていました。
大学生時代はフットサルサークルに入り、ゆるゆると活動していました。
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改めて考えると、学生時代の充実度はかなり低かったのかもしれません。
そんな私とスポーツの関係性。
30代に突入して、東京で働いていた会社から、大阪のある会社に入ったときの出来事です。
当時の会社の代表は、筋トレとランニングを習慣としている社長でした。
私が感じるには、猛烈に物事にコミットする人間です。
仕事上の私の立場は、「常勤監査役」という役割でした。
ちなみに「監査役」とは
監査役はコーポレート・ガバナンスを担うものとして、公正不偏の姿勢を貫き、広く社会と企業の健全かつ持続的な発展に貢献する。
というものでした。
その他、色々監査役にまつわる資料を読み込んで私が出したひとつの答えがあります。
「社長と同じ意識レベルで、会社について考え、時に社長よりも客観的・俯瞰的に意見を持つ役割。その役割で社長と” 二人三脚する ”こと。」
ということで。
ついていけない前提で、一緒に走ることを決めました。
4月後半 歩数や走行時間を計るのがやっと
5月 1km5分で走れるようになる (月間走行距離200〜250kmくらい)
6月 社長と一緒に「自主的フルマラソン」完走 (月間走行距離200〜250kmくらい)(たしか4時間17分くらいだった気がする)
以降、走ることが習慣化されて
フルマラソンの大会に出ることがたのしみになりました。
最終的な主な走行実績としては以下になります。
・フルマラソン 3:16:55(2016年 瀬戸内海タートル・フルマラソン)
・ウルトラマラソン(50km)4:56:03 完走(2016年 高野龍神ウルトラマラソン)
走り始めたきっかけは、「社長と近づきたかった」です。
一緒に走っている時以外は、
誰のために走るわけでもなく、ただただ自分が走りたいから走る。
でした。
それだけのことなのに
沿道の方からは応援され
記録が更新されたら喜ばれ
並走した方になぜか感謝され
時に、誰かに刺激を与えられていたみたいです。
「誰にも迷惑をかけずに、誰かのためになれている(かもしれない)力」
スポーツが私にくれたものは、そんな力です。
最近は、毎日走ることは出来ておりません。
最近は、毎日ブリッヂしています。
■ 参考
監査のデザイン。
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RUNBRIDGE コミュニケーションデザイナー
藤原 皓平