next position出張所ができるまで
前々から『note』を使って何か発信してみたいなと考えていた。神保町のシェア型書店「猫の本棚」の店子になるまでを記してみたい。170もの棚には、きっとそれぞれのドラマがある。これはそのひとつの「ものがたり」だ。
2022年1月、確かTwitterだったと記憶するが「猫の本棚」というシェア型書店がオープンすることを知った。店主の樋口尚文さんは、映画評論家、映画監督でもあり、私は氏の近作2本の作品を鑑賞していたので「何故、樋口さんがシェア型書店を?」と、不思議に思ったものだ。
樋口さんの著作は、それまでも随分と読んでいた。「『砂の器』と『日本沈没』」(2004年・筑摩書房)を手にした時には、嬉しかった。本作には12の邦画作品が紹介されているが、公開当時は見逃した作品もあるにせよ、全作を劇場でみていた私には、ある種の興奮を覚える一冊だった。ちなみにトリは『太陽を盗んだ男』(長谷川和彦監督)である。
『テレビ・トラベラー』(2012年 国書刊行会)はキネマ旬報に連載されたものをまとめた一冊。本書が刊行された当時、私はある大学で1本のドラマを分析するという授業を毎週やっていた。国書刊行会の本は、巻末に索引のあるものが多く、大変重宝した。私が題材にしたものは、樋口さんは殆ど触れていなかったが、だからといって本が面白くないなどということは全くない。
ちょうどこの時期『大島渚全映画秘蔵資料集成』が刊行されて間もない時期で(2021年11月)、猫の本棚では樋口さんのサイン本が販売される、せっかくならば著者から直接購入しようと考えた。場所は神保町。しかし、この場所がなかなか私にはわからない。当時は閉店時間が今よりは早く、夜だったこともあり、一瞬、断念も考えた。今思えば、隣接する「弁当販売店」が眼中に入っていたのだから、何をしていたのだろうと思う。少なからず興奮していたのかもしれない。
閉店の30分くらい前だったろうか、何とか「猫の本棚」に辿り着く。「まだ、大丈夫ですか。迷ってしまって・・・」という私に「そうですよね、ちょっとわかりにくいですよね」と樋口さん。お互いの第一声はこんな感じだった。
棚を拝見しながら、困ったなぁと思っていた。私の関心分野で、私の知らない、或いは知ってはいても「未見」の本が飛び込んでくる。この日、私は棚を眺めただけで、本を手にすることはなかった。
まず時間が足りない、根が生えてしまってはまずいことになる。
樋口さんのカウンター前にあるガラスケースに「「大島渚全映画秘蔵資料集成」(国書刊行会)が並んでいた。購入し、署名をいただく。日付が翌日の1月24日(月)と記された。それほどにお互い慌ただしい最初の訪問日だった。
1974年、中学2年の頃、クラスではちょっとしたSFブームが到来していた。星新一、小松左京、筒井康隆の御三家と言われる面々の文庫本がブームとして爆発的に売れた頃である。私たちのグループは筒井康隆の作品を読み耽っていた。
ハヤカワ文庫のJA30「アルファルファ作戦」という本を仲間内の一人が読んでいて、私もそれを詠みたいと思い、書店を探したが、どこの店舗にもない。早川書房に電話をしたところ、絶版になったとのこと。理由を聞いても歯切れが悪い。
今のようにネットもなければ「日本の古本屋」「スーパー源氏」などの古書サイトもない時代。福岡の古書店に片っ端から電話をかけて問い合わせた。今、それをやれと言われても躊躇するが、当時はそんな方法しか思いつかなかった。
五十何軒目かの古書店でやっと見つける事ができた。その時、自分が出したすっとんきょうな声を今も鮮明に思い出すことができる。片道2時間かけて買いに行った。未だに私の手元にある。
神保町を初めて訪ねたのは1980年、大学2年の時だ。芥川龍之介の卒論に取り組むことは当時から決めていて、その資料を探しにいった。財布と相談しながら、丸二日間、町を歩いた。
以来、どの街に住んでも最初に古書店を探すようになったし、大阪、東京に住んでからは組合が主催する古書市にも定期的に顔を出すようになった。ジュンク堂の堂島店がオープンした際には、週に最低2日は店に足を運んでいたし、当時のスタッフのみなさんとは、今もそのころを懐かしむ機会がある。
多くの方々が本と私の縁を紡いでくださった。
猫の本棚通いが始まった。棚を眺めていると、限られた場所に「樋口尚文さんの蔵書だなぁ」というものがあることに気づく。人様の本棚から抜き出すという感じで、そっとカウンターに差し出す。
「あ、こんなのありましたねぇ」と樋口さん、ちょっと残念そうに(←と、私には見えることがあった)手渡してくれる。実は、古書店で本を買い求めるのと、猫の本棚でのそれというのは、私の場合は微妙に違っていて、呼吸している本をお預かりするという感じがしていた。古書店にはない独特の雰囲気、本が語りかけてくる空間だなと今も思っている。
大島渚文庫が誕生したのが、昨年の5月だったか。販売開始前の陳列時に、たまたま「猫の本棚」に立ち寄った。そこにある一冊を見つけた時の衝撃を私は今も忘れることができない。
ベストセラーとなった新書の帯付初版である。こういう本を読まれる映画監督の飽くなき好奇心に驚嘆もしたし、この本の帯付初版の実物に遭遇できるなんて、考えてもみなかった。
販売開始前だったので、その場での購入は勿論叶わなかったが、その週の営業日の開店時間と同時に店を訪問し、入手することができた。実は、私が密かに「棚主になる」と決めたのはこの日でもある。こういうご縁をいただいたのだから、報いなければいけない。そう決意したと日記にも記している。
それから私は、半年間「猫の本棚」を訪問する度に「気分は棚主」(笑)で、ここの空気を吸っていた。
樋口さんに伺ったことがある。
「販売の傾向とか、客層とか、お感じになるものはありますか?」
樋口さん曰く
「わからないんですよ、それが(笑) 真面目に考えて取り組んでみたこともあったのですが、わからない。天候が悪くても、お客様、多かったりもしますし」
確かに樋口さんの言われることも理解できる。そもそも店主が本を仕入れているわけでもない。ジャンルもないし、種別もない。本、写真集、CD、DVD、コミック、私も最近「池野成の映画音楽」をここで買い求めたことを思い出した。夏目漱石の同一タイトル本(だけ)を置いている棚を発見した時には、ある種の感動すら覚えたほどだ。
訪れる度に何かの発見や気づきを覚えることがある。飽きないということなのかもしれない。
で、私は何を思うようになったかと言えば、以下のようなことに至った。
1.自分が楽しめる棚を考える。
2.ジャンルに拘らない
3.棚に遊び心を!
4.価格は適正に。しかし値付けた後は迷わない。
棚主を正式に樋口さんに表明させていただいたのが昨年の11月。売れる売れない云々よりも、楽しむことをまず考えてみようと思った。Twitterにも記したとおり、売却、処分だけが目的なら、方法は新古書店に持ち込むなり、ネットフリマサービスを使うなり、いくらでもある。
笑い話のような話だが、猫の本棚に寄った帰りに神保町の古書店に顔を出したら、そこのご主人から「(猫の本棚で買い求めたある本を)売ってくれませんか」と強く求められたことがあった。読んでもいない本を売る気はないですよ、とお断りしたが、読んだからといって、この店に売るつもりもない(笑) 私が樋口さんから買い求めた金額よりも相当高値を提示されたが、一体、どういう法外な価格を売価にするか、ある程度の想像がついてしまうからだ。それは厭だった。
(価格は適正に。しかし値付けた後は迷わない)というのは、実はなかなか難しいということも経験した。棚に納める本は、私の蔵書で、そもそも読みたい、読むために購入したもの。販売を目的に買ったものではない。故に値付けはいつも悩む。
ある時、大島渚監督のサイン本を棚に納めたことがあった。たまたま私が2冊、所有していて、監督のファンの方に届けばいいな、という思いがあったからだ。
樋口さんにとって大島渚監督は色々な面でお師匠さんのような存在だと思う。私は短絡的に「この本、いくらにしましょうかね」と、問わず語りのように呟いてみた(笑)
「それは、nextさんが決めることですよ」と穏やかな返事。樋口さんは新古書店の主ではないことを改めて認識。
Twitterでこの本を求めた方からの「喜びの声」をいただき、ホッとした。本というのは「読みなさい」と言われて読むものじゃないと私は常々思っている。本は出会うものだ。偶然が必然に変わる瞬間が本にはある。
新刊書店で本が売れると、ものにもよるが8%から15%の利益が生まれる。猫の本棚はクレジット決済だから、その手数料や愛護団体への寄付を考えると、猫の本棚の利益は皆無に近い。樋口さんが「新古書店の主」ではないと前述したのはそういう理由からだ。商売としては全く成立していない。
故に、今後、私の棚の本が高いとお嘆きになる方がいらっしゃったら、樋口さんにではなく、Twitterから私にメールをいただければと思います(笑) 古書店の値付けは店の店主が行いますが、猫の本棚の価格に樋口さんは100%関与していませんので。(ちなみに棚子としては、オーソドックスな値段を設定しているつもりです)
2022年12月、棚子としてデビューしました。
「猫の本棚」は多くの魅力溢れた棚主のみなさんの空間に満ち溢れています。神保町に出向かれた際には、ぜひ足をお運びください。