見出し画像

与えられし者 (7)

7 ジャッジメント


ユニは、パン・スュスの命に従って、ミラがかけているロックを秘密裏に外し、その中に潜伏した。


気の進まないことであったが、ミラのこの頃の動きのおかしさにパン・スュスも気づいてしまった。仕方のないことだ。「立野あかり」のデータに接触すると、彼はしばらくの間…2、3時間ほどはロックをかけたままそこから出てこない。

抜け落ちた記録の部分はパン・スュスにとっても奇異に感じるものだった。そりゃそうだ。被治療者のデータに接触している間は、「仕事中」だ。パン・スュスに成り代わって仕事をしているSTは、その間のデータをパン・スュスに送り続けなければならない。


パン・スュスがミラの「ロックをされた状態のデータに潜入される」感覚を遮断している間に、ユニがそこに入り込む。

ユニは、ミラと感覚を一にする。そうすることにより、ミラに起こっているデータの内容をそのままコピーすることができた。

が。

…ユニは、感じたことのない強い快感と愛情を覚えることになる…。


「ミラ、こいつ、何を…」

そこには、とろけるような目で立野あかりを見る、穏やかだが高揚した気持ちのミラがいた。

その手は優しくあかりの頬を撫で、そして彼女の頭を抱きしめる。

「この感触は、なんだ?」

ユニは危険を感じて、ミラとの感覚の同化を切った。


ユニは…自分の「手」を見つめた。

壁を触ってみる。いつもの感触だ。ミラの背中を触ってみる。同じだ。

ミラに何かが起きている。解像度を下げ、ミラを客観的に見る。

「これは、…この『姿』は…?」

いつものミラではない。これは、地球にいたときに「姿」を持っていた、旧人類が使っているイメージの膜だ。

なぜミラがそんなものを。


そうか。

立野あかりだ。

彼女が作ったのか。彼女の知的スペックを見てみる。ここのところで急激にプログラミング能力が上がっている。どんな情報にアタッチしてそれを得たかを知ると…ユニは、身震いがした。

「我々が入ることができるイメージの繭…『ドール』か」


その禁忌には、ユニも惹かれないことはない。

禁忌というものは、禁じられれば禁じられるほど魅力的に見えるものだ。魅力的…蠱惑的、とでもいうべきか。

300年前の人間が感じていた感触、感覚。その時代を生きた人間達は、どの人間も憧憬の眼差しでそれを語る。

ユニは、興味本位でもう一度ミラと感覚を同化した。

強烈な快感が襲ってきた。有機体、生身の人間に触れるということは、こんなに気持ちのいいことなのだろうか?

いや、違う。これは、あかりに触れているから…あかりだからこそ、ミラの快感がこれほど甘美なのだ。

もう一度、振り切るように同化を切る。


ユニは、何かが沸点に達するような衝撃を感じた。

これは。彼にはすぐわかる。これは、オプティミスティック・ウィルスなんてもんじゃない。もっと強く、鋭く、甘やかな覚醒剤。そんな人工的なものではあり得ない、ナチュラルで、生物の根底に関わる美しい刺激。

いけない。これを知ってしまってはいけない。

これは…「愛」だ。


パン・スュスにどう報告したらいいのだろうか?

人工的に作られた我々には…それは、SΤもパン・スュスも同じことだ…どう文字列を並べて説明しようとも伝えられない感触だ。

ただ「彼は禁忌を犯した」としか説明ができない。

いや…それは根本的な問題なのだろうか?

圧倒的に人工物の我々が求め、欲しているものであるが故に…その感触自体が、とてつもない危険と、夢を孕んでいるわけで…。


ユニは、ミラのロックされたデータから浮上しながら、自分も体感してしまった美しい世界について考えていた。

パン・スュスには絶対にわからない、ミラの膨張した、温かく、破裂しそうな「愛」について、どうしたらいいものかと思案していたのだ。

(私には、ミラを裁くことはできない…)


*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*


パン・スュスへの報告書 3529

「事案152に対する調査結果」

筆記者:アジア第15地区担当ストリング・ユニ


潜入日時 移転歴289年11月11日 13:52:05〜16:35:59

潜入データの所在地 386ブロック25483アドレス

調査対象者 ストリング・ミラ、および立野あかり(第1世代移転者「旧人類」、上記アドレスに居住)

事案調査結果

この時間、当該アドレスにおいて、データのロックが敢行された。ロックされたデータは、地球において有機体であった人間の感覚、感触、および感情について追体験をする「ドール」と呼ばれる禁止プログラムを施行中であった。


このプログラムは立野あかりにより記述されたものである。

立野あかりが用意した「ドール」にSΤであるミラが入り込む形での施行であった。


立野あかりは「消去うつ病」と呼ばれるデータの半永続的バグを抱えており、SΤであるミラが治療対象として接触をしている人間である。

「消去うつ病」に限らず、うつ病と呼ばれるバグが起こると、人間は思考力が低下する。

立野あかりを調査したところ、当該人に禁止プログラムを記述する能力は無いと断定できた。


よって、この件はSΤのミラが職権を乱用し、立野あかりにプログラムの記述を方法を伝えるとともに強要し、事案化したものである。


*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*


「ミラ」

ユニは、例の1ビットを慎重に打って、ケース記録を整えているミラに話しかけた。

「珍しいことをするな。お前が1ビットを打ってくるなんて」

ミラは、静かに微笑んだ。何やら、悟りの境地に至った僧というのはこういう顔をするのだろうか?いや、こいつがやっていることは真逆だけどな…ユニはどういう顔をしたらいいか分からず口元を歪める。

「ミラ」

もう一度呼びかけて、ユニは、彼のデータに先ほど書いていた報告書を流し込んだ。


「は」

ミラも、軽く口元を歪ませた。

「…ああ」


そして、…ミラは、泣いた。涙を浮かべたと思ったら、それは慟哭に変わった。

「あああああ!」

ユニには、それが、処分を恐れ、調査書を提出する自分をなじる声なのだと思えた。しかしミラは、ユニを強く抱きしめた。ボディに圧迫感を感じる。

「ユニ!」

深く、深く、そこにあるのは…。

「ありがとう!本当に、ありがとう!」

感謝。強い強い、感謝。


「お前にはわかるはずだ、本当は…」

「言うな」

ユニは、執務室にロックをかけた。

「…これも、長くやると怪しまれるな、端的に言うぞ」

泣いているミラを、ユニは抱き返す。

「お前のデータはオールリセットだ。それは覚悟の上だろう。お前の記憶はゼロになる」

ミラは頷く。

「私は、パン・スュスに、私が見たもの、感じたことを素直に報告し提言しろと命令されている」

ユニの手が、ミラの背中をさする。


「私は、すべて見て、感じた。だから、私に一任してくれ。悪いようにはしないから」


「…頼む…」

温かい、と感じた。あかりにしか感じなかった美しい感覚が、一瞬蘇り、ミラは背中を撫でるユニの手に自分を委ねた。

300年の間、一緒に働いてきた同僚だった。もう、何も言うまい。

彼の手にかかれば、きっと。全てを見て感じたと言うのなら、きっと悪いことにはならない。


もう、自分では止められない。

ミラは、やっと自分がストリング…文字列であることから解放された気がした。

どのデータも、地球にいたときに有機体だったデータもそのあとできたデータも、すべては地球に繋がり、生き、繁栄してきた愛の連続だ。


次→


いいなと思ったら応援しよう!