オタクの妊娠 エピソードワン




妊活を初めて5ヶ月が経過した2024年春、生理がついに来なくなった。とは言えまだ体調不良は無く、単に遅れているだけの可能性もあるので一旦様子見をすること半月。生理はやはりやって来ない。これはついに、と5月に妊娠検査薬を使用してみたところくっきりと陽性のしるしが出た。すぐに低用量ピルを処方してもらっていた婦人科を予約した。



受診し、窓口のお姉さんに妊娠検査薬で陽性だったこと、検査をして欲しいことを伝える。検査薬を使用していない場合はここで尿検査をするらしい。名前を呼ばれてエコー検査をしてもらったところ、先生に「いますね。これ心臓。動いてるね。おめでとうございます。」と言われる。確かに映し出されている映像の中心、なんか丸がふたつくっついている落花生みたいなフォルムのやつの中心が結構力強めに動いていた。怖。と普通に思ったけど大人なので、「よかった!ありがとうございます。」と返した。「次回の診察は2週間後です。自治体で母子手帳を貰ってきてください。」と指示されたのでその場で次の予約。最終月経と胎児の大きさからみて今は妊娠9週、3ヶ月に当たるとのこと。出産予定日は12月の初旬。まさかの年内。早い。



妊娠3ヶ月ということに違和感を覚えた人もいるかもしれない。わたしも妊娠するまでは知らなかったが、妊娠とは妊娠する前に始まっているのだ。これだけだと意味不明かもしれないが、本当にそうなのだ。
最後に月経が始まった日を、0週0日・妊娠1ヶ月と呼ぶ。そこから個人差はあれど、だいたい1週間くらいで排卵。排卵後24時間くらい卵子は生きていて、その生きている間に受精できれば受精卵となって子宮へ到達する。そして1週間くらいで着床し、妊娠が成立する仕組みらしい。(※かなりふわっとした知識です。)
つまり「妊娠が成立」するのはだいたい4週目0日・妊娠2ヶ月ということ。ちなみにここらへんが次の生理時期なので、生理が来てない‼️→受診‼️と急いで行ってもまだ胎児が小さすぎてエコーで映らないことが多く、もし映っても心臓の音はだいたい6週くらいからしか確認できないので、「生きた生命を妊娠した」との判断をお医者さんも下せないとのことで、そのタイミングで受診しエコー検査を行っても1~2週間後に再度来てくださいと言われるらしい。エコーは病院にもよるけれど8,000円くらいするため何回もするのは痛手すぎるので、自分の受診タイミングは結果的にまあよかったと思う。



ともかく、妊娠の診断がおりて、無事に心音も確認した。まったく実感は湧かないが、確かに自分のお腹に命が宿っている。


わたしは人間は死ぬまで本当の意味ではずっとひとりだと思っていた。親しいひとも、大好きなひとも、もちろん信用はするけれどめったに自分の内側には入れてこなかったと自負している(中二病)。それなのに、何か、めちゃくちゃ簡単に(前述のとおり色々と条件をクリアする必要があるからめちゃくちゃ簡単では決してないが)内に入ってこられた。まじで知らないやつに。いや望んだ結果なんだけども。配偶者とわたしの子なのは知ってるけど。こんな感じなんだ、と思った。自分のなかにもうひとりいる。女だけがそれを実感できるんだな、と生命の仕組みに普通にため息が出た。変なシステムすぎて。



ここまで淡々と記していると喜んでないように見えるかもしれないが、まずは自分は妊娠できるんだなということがとても嬉しかった。でも同時にこの時期の胎児は母親がどんな風に動こうと、染色体によってはある日突然死んでしまうということも知り、ダメだったらどうしようという気持ちも常に心の片隅にあった。配偶者にも喜びの報告と共に、そういう可能性があることもしっかり伝えた。あんまりなんかまだピンと来てなさそうだった。正直男性は多分最後までこうなのではないかと思う。身に宿すのは女だから。


安定期に入るまで親に伝えないという堅実なケースも多いらしいが、わたしは黙っているのが苦手なのと、できれば里帰り出産がしたかったので、心拍が確認できたこの時点で親に連絡した。うちの両親は離婚しており、父は実家にて一人暮らし。母は結婚し配偶者と暮らしている。なので里帰り出産には色々と根回しが必要だった。
まず父に。シャイな父は良かったなとシャイに喜んで、まあとにかく気を付けろと言ってくれた。次に母。待望の孫誕生の可能性に電話口でも大歓喜。なんか良かったなと思った。産後母の世話になりたいことを伝えると、近くに彼女の配偶者もいたらしく、「いいよ~。」と男性の声。新生児の声が耐えられなさそうならホテルとるから遠慮はしないでと優しい言葉を貰う。
産後の援助について了承を得たところで父に再度電話。産後のOKは貰えたので産前実家で過ごしたいことを伝えると、「特にわしは何もできないけどここはお前の家だから。」とこちらも快諾。病気のこともあるので、迷惑はかけないように頑張ると言うと、「わしも頑張る。あと5年は生きられたら。」と少し前向きな発言があった。これは嬉しかったから多分忘れない。義両親には配偶者から伝えてもらった。何でも頼ってねと言って貰えたので安心した。


力仕事が多い職業なのですぐに職場にも報告して業務を調整して貰った。うちの職場は経産婦が多く、率先して業務を変わってくれたりととても頼もしかった。役所にもすぐ申請して、母子手帳とマタニティマーク、妊婦健診で使う補助券、産前産後で使えるクーポンをもらって、今後の流れや不安に思うことなどについて担当の方とお話した。とはいえ実際やってみないとわからなすぎて特に不安なことは思い付かなかった。マタニティマークをもらうと一気に妊婦なんだ~と実感が湧いた。なんか担当の方にお母様って呼ばれるし。ちなみに、つわりがしんどすぎるひとはお医者さんから指示があれば職場に時短勤務や通勤時感の変更の申請が可能らしい。


つわりはすぐに始まった。常に80%くらいの吐き気に襲われていた。でもわたしの場合基本的に吐くことはなかった。しかし何をしていても普通にずっと気持ち悪い。耐えられないことはないが気持ち悪い。この時期電車でマタニティマークを見つけてくれる優しいひとに優先席を譲ってもらえると涙が出そうなほど嬉しかった。でもなんか申し訳なかった。


水の匂いやご飯の炊ける匂いで吐いたり、食べるたび吐いて栄養がほとんどとれず入院した等の体験談を耳にすると、わたしは相当軽い方なのだと思うが、何度も言うがそれでも全然気持ち悪かった。わたしは麺類とトマトとパンが比較的食べやすかった。味噌汁とご飯が何となく食べられなくなって、でもおにぎりなら何故か食べられた。一度だけ通勤中に貧血気味になり、つり革に捕まりながら鞄から素早く出した袋の中に素早く吐いたが、あまりにも動きが素早すぎたのか、忙しない東京の朝を過ごす人々は誰もこの嘔吐に気付くことはなかった。なんだか寂しい気持ちで次の駅で降りて、袋を捨てて少し休んで遅刻することなく仕事に向かった。つわり期間はとにかく家に直帰、休日は基本家にこもった。



この家こもりきり期間にAぇ! groupはCDデビューしたので、CDが発売されたとき恒例のタワレコやシブツタへのポスター撮影行脚に行けなくてなんかめちゃくちゃ悲しかった。CDは発売前日に家に届いたけど、仕事帰りはへとへとで駅ビルのショップにしか寄れず、売り切れていたので買い足せず。売り上げが気になるオタクとして平日に買えなかったぶん土日に買い足して初週売り上げに貢献したくてもなかなか出掛けられず。もちろんデビュー前日の特別イベントやデビュー直後のラジオの公録などもまず大阪なので応募すらできなかった。はやるオタク心は家でワイドショーと音楽番組とCD特典の円盤をリピートし心を落ち着かせた。


2週間後の診察にて、エコーで赤(赤ちゃんの意)の生存確認。その時点で11週。ちなみに12週までの流産を早期流産と言い、特に35歳以上の妊婦にとってはそこが大きな分岐点だそうだ。エコーでみる赤は前回よりだいぶ大きくなって、手足が発達して全体も丸ふたつから長めの丸ふたつに成長していた。この日に初回の妊婦検診として尿検査、子宮癌検査、血液検査を実施。この病院は産院を併設していないので、家の近くの産院への紹介状を作成してもらった。


こんな風に受診してエコーで見ない限り、赤が生きているかどうかはわからない。多量の出血や痛みがない場合でも、つわりが続いていても、そんなことは関係なくお腹の中でひっそりと死んでしまっているケースもあるらしく、病院で確認できるこの瞬間だけが安堵できた。それなのに、ここから次の検診までは4週間空く。4週間後まで、まず生存確認はできない。改めてなんだこのシステムはと思った。でかい声で生きてるか毎日教えてくれ。



つづく。



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