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千切りキャベツも、私の一部。

こんにちは。とても久しぶりに更新します。久しぶりになってしまいましたが…元気に過ごしています!

通学路に綺麗なひまわり畑があることに最近気づいて、夏っぽい写真が撮れました。



今日は、「千切りキャベツを食べたらちょっと過去を振り返りたくなったので、振り返ってみた話」を書こうと思います。

へっ、千切りキャベツ?という感じですが、千切りキャベツを食べたら訳あってそう思ったのです。

千切りキャベツは一旦置いておいて、まずここ数ヶ月を振り返ってみます。






私は約半年間、ボランティアをしにフィンランドに来ています。

4, 5月と8, 9, 10月は小中高一貫の公立学校で活動しています。

学校が夏休みの6, 7月は障害を持つ人々の仕事と暮らしを支援するコミュニティで働いていました。


また、ボランティアとは別に、アイセックの同期・きのぴーが立ち上げたinclueというメディアで #北欧をまなざす の連載記事を書いてます。

ここにある「まなざす」という言葉は、記事にとどまらず、フィンランド生活において最も大事なキーワードの1つになっています。

そして、フィンランド生活にとどまらず、これからの人生にとって大事なキーワードになりそうです。




よし、それでは。前回のnoteが5月上旬だったので、そこから振り返ります。


夏休みに入る前の5月下旬は、「ようやく学校と人に慣れてきた時期」でした。

裏を返して言うと、5月の途中までは周りの人にビクビクしてました。

「フィンランドの人はシャイだ」とよく言われるのですが、その通り、人見知りする人は多いです。全員ではありませんが。

すると自分もより人見知りになって心を閉じてしまい、その不安が事実とかけ離れたネガティブな妄想を促進し、結果より心を閉じる、というサイクルに陥ります。私の悪い癖です。


そのサイクルの中でビクビクしていましたが、ちょっと勇気を出してとった小さな行動が幸いにも良い方向に導いてくれたおかげで、ようやく学校と人に慣れ、学校での時間を精一杯過ごせたように思います。

今までは話しかけても反応の薄かった生徒達から笑顔で挨拶されると、それはもう嬉しかったです。笑


実際の活動では、例えばいくつかの宗教の授業で日本の宗教を紹介したり、

日本人は「宗教は何?」と聞かれてはっきり答える人もいるけれど、「わからない (あまり信じてない / 多分〇〇)」と答える人が多いよ、という説明のスライドです


QRコードから英語で書かれた「日本の中学校」についてのクイズを読み取るアクテビティを何回か行ったり。


特に、このQRコードのアクティビティをきっかけに先生とたくさん話せて、私自身気づきがたくさんありました。


「もっといろいろやりたかったし、やれたはず…」という悔しい気持ちはありますが、「夏休み入る前に学校と人に慣れることができてよかった!」という安堵が大きかったです。




6, 7月は、タポラ・キャンプヒルコミュニティ(Tapola Camphill Community)という、精神的な障害を持つ大人が働きながら暮らすコミュニティでボランティアをしました。

タポラの様子は、この記事でたくさん紹介しているので是非ご覧ください!

障害を持った人としっかり向き合う機会は今までなく、初めは正直怖いと感じてしまってましたが、次第に自分の中でVillager(タポラで暮らす人)は当たり前にそばにいる存在になりました。

Villagerは確かに特別な支援を必要としているので、「支援する・される」という関係性は部分的に成り立ちます。
しかし、最もおそろしいのは、障害を持つ人々との関わりすべてにおいて、無意識にこの関係性を当てはめてしまうことです。
この無意識は、障害を持っている人の可能性を大きく狭めます。障害を持っていない人の可能性をも狭めます。

あらゆる関わりに対して一辺倒に「支援する・される」を当てはめている現実を、私たちは見つめ直す必要があります。


タポラにいたのはたった2ヶ月の短い間です。

上のような意見を人に伝える時、「ちょっとしかいなかったくせに、全然知らないことばかりなのに、まるで全部を知った気になってないか?」などと考えてしまいます。

知らないことばっかりなのは本当です。でも、2ヶ月タポラで過ごした経験は確かにあって、私が感じたことも確かに存在します。

「この経験を生かしたまま、抱きしめて生きていきたい」と思える時間を過ごすことができました。




ボランティア活動の他には、6月のはじめにプラハに行ったり、8月下旬にボランティア団体のキャンプに参加したりしました。


プラハは小学生の頃に2年弱住んでいた大好きな街で、10年ぶりに訪れることができました。

ずっとずっと見たかったこの景色をやっと観れた時は泣きそうで、本当に幸せで、夢のような時間でした。

親がいつも美味しそうに飲んでいたビールをやっと飲めたのも幸せでした。笑

「プラハでの生活は、大小さまざまなレベルにおいて、自分の人格を形成した一部なのだ」と自分の過去に回帰するような時間を過ごせて、日本の外の世界に興味を持つきっかけになった街を「今」訪れることができてよかったです。



そして、先日のキャンプ。

19ヵ国からやってきたボランティアたちと一緒にフィンランド語の授業を受けたり、異文化交流などに関するワークショップやお互いの文化紹介をしたり、サウナに入って湖で泳いだり。

そんな10日間は結構タフでしたが、次いつあるかわからないほどのグローバルな環境がとても貴重で、依然英語はみんなより話せないけれど、前よりもオープンマインドでコミュニケーションを楽しめるようになった自分の成長も少し感じられました。

何よりも、素敵な友達に出会えて嬉しかったです。




そんなキャンプも終わって、いつもの学校の生活に戻って過ごしています。

ここで10月11日までボランティアをして、その後ヨーロッパのどこかをまわって、10月末にフィンランドを離れる予定です。

帰国まで、あと52日。






先週の日曜日、Twitterで見つけたヘルシンキの日本食レストランの唐揚げ定食がとても美味しそうで無性に食べたくなったので、そこでお昼ご飯を食べました。

フィンランドに来てからまだ2回しか日本食を外で食べていなかったので、高くても今日はオッケー!と自分に許可を出して。(高かった。。)

土日だったからか唐揚げ定食は残念ながらメニューになかったので、代わりにチキンカツを注文しました。

タレが日本食っぽくて、白米も一緒に食べれて、とっても美味しかったです。

やっぱり私は日本人なのだなあ、帰国したら美味しいものたくさん食べたいなあと思いながら、ばくばく食べました。


そう、ここでチキンカツの下に隠れている千切りキャベツを食べたのですが、「前も1人で外食して千切りキャベツ食べたことある…」とふと思い、なんだかちょっと切ないノスタルジックな気分になりました。

いつだったかな…と考えて思い出せたのは、


1年半前、6週間のカンボジアでのインターンシップを終えて帰国して、1番最初に食べた、和幸のとんかつ。

空港でこのとんかつ、というより千切りキャベツを食べている時に、「この6週間、空っぽだったんじゃない?」とか考えた思い出があります。



カンボジアでは、小さな語学学校で子どもたち(といっても小学生から大学生まで)に英語や日本のことを教えたり、どんな学校にしたいか先生と話したり、大学生たちと企画してイベントをやったりしました。

こうやって文字にするとなんだか自分の実感値との乖離を感じて、その字面から想像するほどのすごいことは全然できなかったのに…と少し悔しく卑屈な気分になる時もありました。

それでも、それすらも含めて、私にとって「これからの人生に1つの大きな光を照らしてくれたかげがえのない6週間」だったと思うのです。



物事とは本当に様々な要素が詰まっているものであり、どのように切り取って見るのか・どの要素までを認識しているのかなどによって、自分にとってそれが何なのかは大きく異なると思っています。

カンボジアから帰国した日だけをとってみても、プノンペンを離陸する飛行機の中で号泣し、羽田空港で何も考えずぼーっと歩き回って、千切りキャベツを食べて悲観的になり、名古屋へのフライトを待つ間にカンボジアにまつわる記事を読みあさってなんでか泣いて、といった感情的に忙しい時間でした。

最終的には夕方に「これからの人生に1つの大きな光を照らしてくれたかげがえのない6週間」だと自分の中で帰着したために、カンボジアの経験を思い出そうとするとこのイメージが先行するのですが、もちろんそれだけではなく、帰国日に右往左往した感情の起伏のすべてもが、かけがえのない6週間の確かな一部です。


“メイン”である部分を紡いで経験を振り返って人に話す時は「千切りキャベツを食べて、6週間が空っぽだと思えてしまった話」は省いてしまうけれど、そんなような、大きくはないけど確かにあった出来事たちの重なりによっても人や世界は形作られているのだと、ヘルシンキで千切りキャベツを食べながら思いふけってました。




話が大変飛躍しましたが、このnoteの前半では5月から8月までの主な出来事を振り返りました。

それらはもちろん大切で、千切りキャベツに比べたら“メイン”で、そしてある意味わかりやすい出来事たちです。

その出来事たちの間には、とりわけメインでもなくわかりやすくもないけれど、確かにあって、時が経てば忘れてしまうような出来事もたくさんありました。


バスを乗り間違えたり降りたい場所で降りれなかったりはたくさんあったし、(家がオートロックなので)鍵もスマホも持たずにちょっと外に出て締め出された時は朝にも関わらず壁を叩いて開けてもらったこともありました。

あまりにも悲観的な予測でしか「ボランティアをやり終えた自分」を想像できない上に、帰国後や将来の不安が尽きず息苦しいと感じていました。なんで息苦しいのかを自覚していたらよいけれど、自覚せずに「なんかよくわからないけれど息苦しい」って思ってる時は、本当に“なんか”よくわからなくて、少し自己嫌悪になりました。

SNSで吉本や炎上商法のニュースを見た時は、なんでこんなにショックを受けているのかわからないけれど、数日間テンションがぐっと下がるぐらいにはショックを受けていました。

6, 7月を別の場所で過ごして8月に家に帰ってきた次の朝、ホストブラザーに久しぶりに「ohayougozaimasu😀」と挨拶された時はなんだかふふっと嬉しくなりました。一瞬だけど、なんだか嬉しい出来事です。

こっちの人に慣れてきたとはいえ、たまに日本の友達と電話をすると嬉しくなるし電話をした後は寂しくなります。普段ホームシックは感じないって思っているけれど、こういう時に「ああ私もホームシックたまに感じているんだな」って自覚しました。



そんな、千切りキャベツのような(?)、「メインの出来事を言語化するとついつい置き去りになってしまうけれども、確かに存在した大切な出来事たち」も、私を形成した一部なんだなあと思います。

2ヶ月後には、そんな出来事たちも含めてフィンランドでの時間を振り返りたいです。




また、千切りキャベツを食べた先週の日曜日は「学校でのボランティアもあと6週間(カンボジアにいた期間と同じ)だ〜〜!」とつぶやいていた時だったので、ラストに向けた区切りとしてもこれまでの出来事を振り返ったという背景があります。

最近は「私だからこの学校に貢献できること」を模索して、価値発揮できないかと奮闘しているところです。

先生たちに「こういうことやりたいんだけど…」と言ったら「いいねえ!」って言ってくれたり、先生たちから「今度授業で日本の〇〇をやるんだけど、授業来てくれない?」って誘われることも前より多くなったり、より楽しくなってきました。



今週も終わり、ボランティアが終わるまで残り5週間です。

自分にできることを精一杯して、生徒たちにとって少しでも世界を「まなざす」きっかけを作りたい、そして自分も一緒にまなざしたい。

大きな出来事も、小さな出来事も、わかりやすい出来事も、なんだかわかりにくい出来事もありったけ感じて、自分の進みたい場所に進んでいけるような時間を過ごしていきたいです。



Kiitos ☺︎  ありがとうございました!

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