あの頃のまま
中学生になりバレーボール部に入部した。
バスケット部と悩んだが、バレー部のほうが早く試合に出られそうだった、
入学早々に体育の授業でバレーボールがあり、顧問の先生に入部を薦められた、
その辺りが選択理由だろうか。
入部して三ヶ月ほどしたある日、強豪A中学と練習試合をする機会があった。
A中は県大会で何度も優勝経験のある強豪、
僕の中学は県で上手く行ってベスト8程度の実力だ。
その練習試合、一年生の僕はまだベンチに入れず応援するだけだったが、
三年生の先輩たちは非常に好調だった。レシーブで粘り、巧みなフェイントや
ブロックアウトで各セットとも接戦、A中と5セットやって1セット奪うなど健闘した。
試合を終え喜ぶ我が中学、一方のA中学では…。
顧問の先生が、部員たちに檄を飛ばし、試合後すぐに居残り練習を始めた。
特にエース格だった選手が強く叱責され、やがて先生とのワンマン・レシーブが
繰り広げられた。
我が中学はすでにチーム解散、自由に帰っていいことになっていたが、
僕はそのワンマン・レシーブの光景に釘付けになった。
先生とエースが、凄い形相で対峙し、ボールを放ち、受け、パッションをぶつけ合っていた。
エロスを発散させていた。
当時80年代始めのユニフォームは、バンツの丈が短かった。
スパッツなどまだ普及しておらず強豪校の先生や選手は、下にD&Mのサポーターを
穿くことが多かった。ケツ割れを穿いている人もいた。
先生とエース、ともにサポーターだった。ユニフォームのパンツの色は白、
サポーターのラインが透けていた。
エースはボールを追い激しく動きコートを転げ回り、パンツの短い裾から
性器の膨らみが垣間見えることもあった。
先生は…。182〜3cmはあっただろう。体重もきっと80kg近く。
当時中一の僕からは、完璧な大人の体に見えた。今の日本代表・福澤選手のようなルックスとガタイ。ユニフォームに隠された屈強な上半身、
短い丈の白いパンツは鍛えられた尻にビッタリ貼り付いて、
尻に食い込んだサポーターの鋭角のラインが、ボールを打ちつけるたび上下した。
僕は、我を忘れ見入った。先生のサポーターのラインが上下するたび、
アソコに電流が走った。
家に帰り、この光景を想い出しオナニーした。
サポーター一丁になり、エースの代わりに自分を投影して
オナニーするのが日課になった。
先生に、激しく、責められたい…。
その想いは、なんと20年経って…、現実化することになる。
※続きは、また。
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